ケーブルグラムハイボール
成人してしばらくすると自分のお酒の耐性がわかった。自分はあまり飲んでも顔に出ないし、酒に酔うことはあまりないタイプのようだ。遺伝的にそうなのか、姉2人もお酒が割と強く、飲むことが好きであちこち飲み歩いている。聞いてもいないのにここら辺のおすすめのお店をいくつか教えてもらった。女の子と行くならこのおしゃれなお店、男同士で行くなら安くてお酒が沢山飲めるお店、そして、一人で飲みたくなったらこのお店、と。今日は特に予定もないし、ふと思い立って一人でバーに行ってみることにした。バー初体験である。上の姉に教えてもらった、感じが良くて気の利くマスターがいるというお店の扉を開けると、バーのイメージにぴったりの薄暗い照明がついていて、ジャズが流れていた。友人たちとは経験したことのない雰囲気の店だった。すぐにマスターと思わしき店員が声をかけてくる。
「いらっしゃいませ」
カウンターテーブルが10席ほどあって、そこに一人の女性が座っているだけだった。どこに座ろうかと悩んでいると、マスターがさっと促してくれた。
「よろしければこちらへどうぞ」
自分が迷っていることに気づいたのであろう。姉の言うとおり気の利くいいマスターだ。壮年と言っていいだろう、ダンディーに白髭を蓄えたマスターは一枚の紙を渡してきた。
「メニューです。どうぞご覧になってください」
「ありがとうございます。こういうところ初めてでよくわかって無くって」
変にかっこつけずにわからないことはわからないというのが楽しむコツだと姉が言っていたので、すぐに伝える。
「成人したばっかりで、お酒はまだよくわからないのでマスターのおすすめください」
メニューを読んでみたがさっぱりわからないので、そう注文する。これも姉の入れ知恵だ。
「かしこまりました」
マスターがカクテルを作り始めてくれた。それをじっと見る。自分でもカクテル作れたら楽しいだろうなぁ、なんて思いながら。
「貴方、成人したばっかりでここ来れるなんてすごいわね」
見てると客の女性に話しかけられた。下の姉と同い年くらいだろうか、スーツを着たきれいな女性だ。
「そうですか?」
「見たところ学生でしょ?お金大丈夫?」
なかなか失礼なことを言われている。確かに普通の大学生ならこんな高級そうなバーには来ないか。
「大丈夫ですよ、ちゃんとアルバイトしてますから」
いつもしている笑顔で適当にごまかす。ボーダーをアルバイトと言えるかは微妙だが。
「お姉さんこそおいくつですか?」
女性に年齢の事を聞くのはタブーと知っているが、先に失礼なことを聞いてきたのは向こうだ。
「女性に年齢聞く?」
「すいません、美人な方なので気になってしまって」
「…内緒」
相手は笑って答えをはぐらかした。意外といい相性かもしれない。バーに行ったらその時出会った人と話すのも楽しみの一つだと姉が言っていた。そうこうしているうちにマスターがお酒を持ってきてくれた。
「ありがとうございます。これ何て名前ですか?」
「こちらは「ギムレット」ですよ」
「ははっ、良い名前だ」
聞き慣れた名前に思わず吹き出してしまった。まさか自分の隊の隊長がよく口にする言葉をここで聞くとは。むしろあれはカクテルの名前でもあったのか。手に持って匂いを確かめる。柑橘系のさわやかな香りがした。
「貴方の瞳の色ね」
「え」
席を一つ空けた隣にいる先ほどの女性に言われて、その女性の顔を見る。
「貴方の綺麗な瞳の色と同じ色よ。それで選んだんでしょマスター?」
彼女はマスターに話しかける。
「ええ、そうですよ、よくお分かりで」
「相変わらずそういうところがかっこいい!ギムレット選ぶのは流石としか言いようがないわ」
気さくに話す感じからして彼女はここが行きつけなのかもしれない。
「お姉さんはお酒詳しいんですか?」
折角だから今日は彼女に話し相手になってもらおうと、話しかける。独りでバーを楽しむほど経験もないし、お酒にも詳しくない。人と話すのは嫌いではないし、その場限りの付き合いも気が楽でいいのかもしれない。
「ん〜まあそれなりに。お酒の経験は沢山してきたからね」
スーツを着こなしているあたり、もう社会人になって長いのかもしれない。見た目は下の姉と一緒くらいだが、実年齢はそれより上なのかもしれない。女性は本当に見た目だけではわからない。それからしばらくお酒をちょっとずつ飲みながらあれこれ話をした。ボーダーに所属していることは隠したが、アルバイト先の上司が少し天然が入っていること、年下のバイト仲間はいつまで経っても女の子に慣れない事とか、彼女は笑いながら聞いてくれていた。彼女は社会人で仕事の疲れを癒しにこのバーに来ていること、このバーは自分だけの秘密で親しい友人にも教えていないという話だった。話してみると会話が弾んだ。お互い深い所まで会話は続けず、当たり障りのない事を話しただけだが、会話のリズムとか、話の返し方とかが心地よかった。マスターは時折彼女がする注文に答えてカクテルを作ったり、自分の適当なリクエストに毎回抜群においしい物を出してくれていた。
気が付けば23時を過ぎるところで彼女が時計をちらりと見た。
「学生なら明日も講義あるんじゃないの?最後の一杯にしといたら?」
「明日は朝からアルバイトなんですよ」
明日は日中防衛任務が入っているので朝から本部基地に行く予定だ。大学の講義の代返は荒船に頼んである。
「…そう。私は明日も仕事があるからそろそろ帰るわ」
思いのほか楽しい時間だったので、その一言がさみしく感じられた。
「じゃあ、最後はお姉さんのおすすめ飲みたいです」
ついそう言って引き止めてしまった。先ほどまでのマスターとの会話からしてカクテルに詳しそうだし、きっとおいしいのを選んでくれるだろうと期待したのだ。
「…じゃあ、マスター、彼にケーブルグラムハイボールを」
「かしこまりました」
彼女は少し迷ってからそう注文した。初めて聞く名前だ。どんなものが出てくるんだろうと期待する。
「ウイスキーをベースにレモンジュースとシュガーシロップを入れて……」
彼女がカクテルの解説をしてくれる。やはりカクテルに詳しいようだ。
「最後にジンジャー・エールをいれるのよ」
「ジンジャー・エール…」
先程のギムレットと言い、思い浮かぶのは自隊の隊長である。
「どうしたの?嫌いだった?」
「いいえ、好きですよ」
「でしょうね、よかった」
出されたそのケーブルグラムハイボールというカクテルを手に持つ。のんでみると少し甘くて飲みやすい味だった。
「どう?」
「おいしいです」
嘘やお世辞ではなく、そう伝える。
「貴方にぴったりのカクテルだと思うわ」
彼女は笑いながら席を立つ。ぴったりとはどういう意味だろうか。お酒の知識が少ないので意図がわからない。
「また会えますか?」
本当に帰ってしまう時になって自分でも思っていなかった言葉が口から出てきた。言った自分が一番驚いた。このバーの雰囲気も好きだが、彼女の雰囲気も好きだったのだ。
「どうだろう?縁があればまたどこかで会えるわね。マスターご馳走様」
それだけ言って、カウンターにお金を置いて出て行ってしまった。
残された自分は彼女のおすすめのこのカクテルを少しずつ口にする。また逢えたら運命ってことかな、そう思いながら。
本部基地の廊下を一人歩く。防衛任務開始時間まであと30分はあった。昨日はいつもよりお酒を飲みすぎてしまったような気がする。昨日の女性と話しているとお酒がよく進んだ。初めての場所だったにも関わらず居心地がいいと感じてしまったのはバーの雰囲気がそうさせたのか、マスターの人柄か、それともあの女性のおかげか。ラウンジに寄ってコーヒーでも買って飲もうかと思い、作戦室に行く道ではなく、ラウンジに続く道を歩いている時だった。前から聞こえる声に思わず、顔を向けてしまった。この声は。
「あ、思ったより早く再会したね、昨日はありがとう、楽しかったよ」
「うそでしょ…」
昨日、あのバーで話していた、あの女性が目の前にいた。驚くことは昨日見たスーツとは違い、見慣れたボーダーの制服を着ているのだ。すなわち彼女はボーダー関係者だ。隣にいた同僚と思わしき人に一言二言話すと、同僚の人はそのまま歩いて行ってしまった。自分と彼女だけになる。
昨日は自分がボーダーであることを隠していた。うっかりしゃべってしまうこともなかったはずだ。それでも知っているということは。
「まじで…え、最初からおれのこと知ってた??」
「もちろん、君を知らないボーダー職員はなかなかいないんじゃない?二宮隊の犬飼澄晴くん?」
君の事知ってるってヒント結構出してたよ?「ギムレット」とか、最後のカクテルは君の誕生日カクテルなんだよ?
にっこり笑いながらそう言う彼女におれは次にバーで会う約束を取り付けるのだ。これは運命の出会いなんだって。