寝ても醒めても
ここエンジニアルームは普段はキーボードを叩く音や機械を動かす音など無機質な音で溢れているのだが、今日は違っていた。
廊下にまで聞こえるほどの女性の声がずっとしていたのだ。今日12月28日はボーダーの一応仕事納めの日である。
「ね。どう思う!?クリスマスだよ!?恋人たちのクリスマス!!」
「う、うん、そうだね」
この言葉を朝から何回聞いたのだろう。周りの奴らも苦笑いしながら適当に相槌を打って作業を進める。
「東さんって忙しいからさ、仕方ない所あるよね」
「忙しいってわかってるから私1ヶ月も前から聞いてたんだよ?!」
「…そうなんだ」
ここエンジニアルームの紅一点である母田は朝からそれはまぁ荒ぶっていた。
普段は淡々と研究に取り組む優秀なエンジニアなのだが、いかんせん恋人との事になると少し、いやかなり人格が変わる。
「何もクリスマスに防衛任務入れなくても…!」
このさっきから全く止まることなく恋人への不満を言っている母田の恋人とはなんとあの東さんなのである。元A級一位部隊を率いていたこともあり、ボーダー最初の狙撃手であり、現在大学院生とボーダーの隊長をこなしているあの、東さんである。
ボーダー隊員の中では古参であり、我々エンジニアにも顔が知られているほどの優秀な隊員だ。
時々エンジニアルームにも顔を出して、新しいトリオン技術やトリガーについて相談してきたり、開発依頼をしに来たりする。頭もキレ、人格者であり、人間的に実に素晴らしい人だ。繁忙期のエンジニアルームに差し入れをしてくれる事もある。エンジニアの中にも東さんを慕っているものも少なくない。
「東さんは優しいから若い子にクリスマスを譲ってあげようって考えてるのはわかるんだよ!?でも私は!?私の事は!?」
あれは今年の母田の誕生日の翌日だっただろうか、えらいご機嫌な母田にどうしたのかと男性陣は遠巻きに様子をうかがっていたのだが、どうやらあの東さんと付き合う事になったらしいのだ。その噂を聞いた時は何かの冗談かと思ったがしばらく様子をうかがっていると嘘ではなかった。
東さんがエンジニアルームに来るときは母田の存在を確認しているし、時々一緒に飯でも食べる約束をしていたのだろう、迎えに来て一緒に帰ることもあった。
エンジニアの飲み会で珍しく酔った母田に話を聞いたところ、東さんとはボーダーに入る前、中学生の時からの知り合いらしく、なんと家庭教師をしてもらっていたそうだ。紆余曲折あって東さんに母田が猛アタックをし、晴れて付き合う事になったそうだ。正直意外だった。東さんは年上の美女と付き合いそうなものなのに。まさか母田とは。
そしてその日は東さんが母田を迎えに来ていた。「あまり飲みすぎるなよ」とたしなめるように言う東さんに、「気を付けます」とにっこり笑う母田をみて、こいつは東さんの前だとこんなにかわいらしい女性になるのかと驚いた。
腕を組んで歩く後姿にはハートマークが飛んでいたような気がする。恋とは恐ろしいものだ。
付き合って初めてのクリスマス。当然恋人と一緒に過ごせるものだと思ってた母田の期待は見事に裏切られたようで、クリスマスイブとクリスマスはずっとエンジニアルームにこもりっぱなしだった。
「クリスマスイブどころかクリスマスさえ過ごせないってどういう事?!」
今年のクリスマスイブ当日は退勤時間の18 時を回っても誰も帰る気配はなかった。
母田に気を使っているというわけでもなく、悲しいことかな、母田以外のエンジニアは、全員フリーだったのだ。
エンジニアの男たちは恋人さえできないほど日々忙しく過ごしていたのだ。
そう、時間さえあれば彼女の一人や二人…
その日も今日のようにの母田愚痴を散々聞かされた挙句、
「もークリスマス会行ってくる!」
と突然立ち上がった母田は仕事を片付けると、そのままどこかに飛び出していった。
後から話を聞くと、結局クリスマスイブにフリーの女性隊員を集めてクリスマス女子会なるものをオールで敢行したそうだ。
数時間にも及ぶ愚痴を聞いていた我々に対しては何も救いのない結末だったのだ。
せめて俺たちも誘って合コンみたいなものを開いてくれていたら、俺たちのクリスマスだけでも救われたかもしれないのに…。
翌日どこから入手したのか、東さんの写真を写真立てに飾ってデスクに置いていた。
「クリスマスは我慢したから一緒に年末は過ごせると思ってたのに!年末も防衛任務!信じられない!」
母田の声で現実に引き戻された。
年末年始はなんとか自宅でゆっくり過ごせるように現在進行形でみんな日付をまたぎそうな時間まで残業してるわけだが、母田の話に付き合っているためか、進歩はあまりよろしくない。
普段の母田はあっさりして、男性が圧倒的に多いエンジニアルームでも全く気にせず日々仕事に邁進している。
しかし、東さんとのことを話す母田はまぁ女の子らしくなるのだ。
「年末年始もさ、家族と過ごせるようにって下の子を優先したってのはわかるんだよ、東さん優しいから」
遂に母田はデスクに顔を突っ伏してしまった。
朝から口も動いていたが、それと同時に手もしっかり動かしていた母田はどうやらエネルギー切れらしい。
自分の仕事はとっくに終わっているようだが、なかなかここから帰ろうとしないのはラボのメンバーに気を使っているのか、はたまた誰かが来てくれるのを待っているからなのか。
どうやらそのまま疲れて眠ってしまったらしい。
一人が無言で母田の背中にブランケットをかけてやる。
いつ東さんに誘われてもいいように仕事をかなり無理してこなしていたから疲れもたまっていたのだろう。
少しこの場で寝かしておいてやることにする。その後仮眠室にでも転がしておいてやろう。
「少し休憩するか」
一人がそう言いだしたので、母田を置いてみんなで自販機に飲み物を買いにラボを出ることにした。
10分ほど休憩してラボに戻ると、母田のデスクに人が立っていることに気づいた。
「遅くまでお疲れさん」
母田の頭を優しく撫でる東さんの姿があった。
「東…さん!」
「お疲れ様です!」
慌てて挨拶をすると、口に手を当ててしーっとされた。
「起きるとうるさいからな。」
そう言うと、東さんは母田をひょいっと担ぎ上げた。
「みんなには悪かったな、邪魔してただろ?」
笑いながら母田の荷物をパパッと持つ。
小柄な母田だが、人を一人抱えているのに余裕そうだ。鍛えているのだろう。流石戦闘員だ。
「みんなに差し入れ持ってきたから食べてくれ。それじゃ」
東さんはそれだけ言うと、母田を連れて出て行ってしまった。
何というスマートな人なんだろう。かっこよすぎる。
あとでラボのソファーに置かれたおにぎりや飲み物を見て、ますます東さんのファンが増えた。
そして翌日俺たちは仕事が納められなかったので、出勤したが、母田は出勤してこなかった。
「え?!東さん?!なんで?!」
「よく寝てたなぁ」
「え、ここどこ?!東さんの家?!なんで?!!」
「さて、今日は俺も1日フリーなんだがどうする?」
「え!え!え!え!起きる!待って!待って!」