山姥切長義は政府の刀である。
多くの同位体がするのと違い、彼は聚楽第に監査官として出向くことはないし、その後に本丸で生活することもない。彼は政府で顕現され、人間と刀剣男士の両者を同僚に持つ、政府所属の刀剣男士だ。
刀剣男士が給与を得ながら政府に勤めるというのは、いまどき珍しい話ではなくなっていた。疲労回復に時間のかかる人間と違い、極端な話、彼らは霊力を付与した特殊な食べ物を与えることで際限なく働かせ続けられる。労働力として利用しない手はなかった。
言わずもがな、審神者によってただ使役されるための存在であるはずの刀剣男士が、その審神者を管理するというのはいかがなものかという批判の声も未だに小さくはない。しかし、日ごとに苛烈さを増す時間遡行軍の攻撃から歴史を守るためには、もはや政府は手段も種族も選んでいる場合ではなかったのだ。
山姥切長義は、そうして人手不足の波にのまれた政府で顕現され、空席を埋めるために雇われている刀剣男士のうちの一振りである。
武士の時代に打たれ、活躍した名刀であるこの山姥切長義に、戦場で戦うどころか人間の真似事をさせて扱き使うとはどういう了見か。そう不満をもらす同位体もいると聞くが、この彼は今の立場がそれほど不服ではなかった。
聞けば、彼のしているような業務にあたるのは珍しいことらしい。よく話をする同僚の肥前忠広や南泉一文字、獅子王などは(彼らがそれに向いているかどうかはともかく)書き物や帳簿などの事務仕事を職務としているようで、なるほど確かに自分のそれとは毛色が違っているなと思う。
長義の仕事は、机について算盤を弾いたり、公式文書や社内報を発行したりすることではない。それどころか、コンピューターとにらめっこする時間よりもむしろ、その脚を動かしている時間のほうが長いだろう。
彼の主な仕事は、政府からの司令を届け、それが遂行されたことを確認し、必要と判断すれば手助けを行うこと。
誰の、という疑問に対する答えなど、長義にとってはただひとつに決まっていた。
端末に表示された位置情報にちらりと目をやると、その所在地を示す赤い印はすでに目的地に到着しているようだった。少し離れたところから様子をうかがって、GPSが正しく機能していることを確認する。
待ち合わせに指定した団子屋でひとり茶を飲んでいる彼女が、物陰から視線を送る長義に気づく気配はない。戦場で育っていないから仕方ないが、幕末の江戸でここまで鈍いのも考えものだな。長義は心の中で溜め息を吐いた。
伸びた髪を男のように結い上げ、いっそ呆れるほど地味な装束に身を包んだ、この時代では男だと思われるであろう女。
彼女は『歴史監視員』と呼ばれる、政府の役人の一人である。
政府と『歴史監視員』との橋渡し。それが、この山姥切長義の業務だった。
*
歴史監視員。
この職がいつごろ成立し、どれだけ続いているのか女は知らない。女が働き口を探し始めたころには既に定着していた。少なくとも、時間遡行軍からの攻撃が始まった二十年前よりは後なのだろうけど。
でもそれはきっと、この青い空がどこまで続いているのか考えるのと同じくらい、意味のないことだ。
団子屋の娘が運んできた串刺しの団子を頬張りながら、女はひさしの向こう側に広がる空をぼうっと眺めた。
江戸の昼は、存外に平穏だ。
歴史監視員とは、その名の通り正しい歴史が守られているか監視する者のことを指す。
彼らの使命は、歴史をあるべき姿に戻すこと。
こう謳えば聞こえはいいが、実際は地味な仕事ばかりである。
時間遡行軍を殲滅するのは刀剣男士の役目。刀剣男士が守るのは「大いなる流れ」であり、彼らにさほど精密さは求められない。代わりに、その戦闘によって生まれた小さなずれやひずみを修正し隠蔽するのが、歴史監視員の本分だ。
例をあげるなら、史実と異なって記されてしまった記録を書き換えたり、戦闘で荒れた路地裏を片付けたり。時には、力及ばず殺された準歴史重要人物の替え玉を用意することもある。言うなれば、刀剣男士の補助役。歴史改変を可能な限り減らすことが、監視員に期待された役割だった。
歴史監視員になるために経歴や資格は必要ない。若くしてこの職に就く者が多いのもそれゆえだ。
求められるのは少しの霊力と神気への高い耐性。それから、刀剣男士と契約を結ぶにかなううつわ。要するに審神者になるには霊力が足りないけど、一般人よりは高いですよという人間が対象となっているのであり、つまりは霊力不足でその道を諦めた審神者候補生のためのポスト。現に、女の同僚のほとんどが審神者志望だった者たちだと聞いている。他人事のような言い方だが、かく言う女ももとは審神者を志していた。
審神者を諦めて、監視員になって二年。もう二年か、とどこか歳をとったような気分で、またひとくち団子を頬張った。
……それにしても。
「遅いなぁ……」
道行く人の影を眺めては、ぼうっとしたまま呑気につぶやく。警戒心も集中も欠いている今の彼女が、近寄る気配に気づけるはずもなく。
「ちょうど定刻になったところだよ。あわてんぼうさん」
「うわっ!!っごほ、びっくりした……!」
頭上から唐突に降ってきた声に驚いて、ちまちま啜っていた茶が喉のおかしなところに入り込んだ。戦場が生まれゆえか、彼らは気配を消すのに長けている。刀剣男士としては優秀なのだろうけど、それは敵に対してのみ発揮して欲しいものだ。
団子を喉に詰まらせていたら大変だった。自分を驚かせた声の主に、女は恨めしげな視線を送った。