審神者二世は忙しい
02

 咳き込みながら涙目で顔を上げると、冷めた紺碧の瞳と目が合った。二年付き合っても見慣れない端正なお顔立ちは今日も健在である。

 彼──山姥切長義は、この女を担当する連絡係だ。彼女が監視員となった二年前からずっと、政府との橋渡し役として付き合っている。
 彼は溜め息と吐息の中間のような息を吐き、手に持った端末を操作しながら女の横に腰掛けた。

「今月の君の規則違反は零件。時空移動も制限範囲内。特に問題はなかったと政府に伝えておこう」
「はーい、よろしくお願いします」

 時間軸によって定められた範囲内でしか時を遡ってはならないとか、任務中の刀剣男士とむやみに接触してはならないとか、指示されたこと以外は歴史に介入してはならないとか、監視員に課せられた規則は何かと厳しい。時間を遡っている以上、歴史に何らかの影響を与えてしまう恐れがあるから仕方ないことだが。山姥切長義の業務内容には、監視員の行動記録を監査して、規則違反を報告するというものも含まれている。

 刀剣男士を監視する人間を、別の刀剣男士が監視する。簡単に言えばそういう構図だ。政府はいったいどこまで審神者や職員を信用していないのかと、呆れを通り越していっそ笑うしかない。

 慣れた手つきで政府に電子文書を送信した山姥切長義は、とても自然な流れでふたりの間に置かれた団子を手に取った。女が止める隙もなく、そのまま四本の串のうち一本がまるまる彼の胃袋の中に消えた。

「あっそれ私の団子」
「さて、政府からの伝令だが」
「無視ですか」

 彼は女の言葉には耳を貸さずに、端末をするすると操作して政府からの文書を見せる。ずらりと羅列された彼女への通知を一件一件確認しながら、そのうちの半分は一行目を読むや否やひょいとリストから消してしまった。
 繰り上げられて一番上に表示されたそれに目を留めると、長義はやれやれと言いたげな声音で読み上げた。

「有給休暇消費の催促が届いている。これで何回目の通達かな?人間なんだから、身体を壊す前に休むべきだ」

 その小言は四割建前、六割本音だった。別に女を心配しているのではなく、単に効率という観点から客観的に分析した結果にすぎない。人間は休息を取らなければ疲労が溜まり、著しく能力が低下するから。山姥切長義は誰かに弁明するかのように、心のうちでそう自分を納得させようとしていた。
 しかし実際のところ彼女は疲れ知らずなのか何なのか、働きぶりに変化はない。長義がこっそりと測定した疲労度指数も、相変わらず基準値を示している。

 それらの気遣いも知らないで、女は能天気に眉をハの字に傾けた。

「またそれですか?ほんとに大丈夫なんだけどなあ。団子があれば元気100倍!」

 三色団子の最後のひとつを串から外して頬張りながら、女はぐっと拳を握ってみせる。
 この監視員が休暇を溜め込むのは一種の癖のようなもので、強制執行された過去も一度や二度のことではなかった。一向に反省する色は見えないが。政府からのストップを食らって絶望したような顔をしていた女を思い起こして、山姥切長義は諦めつつも、俺は忠告したからねと念を押した。

「はぁい。でも山姥切さん、休みがあっても行くところなんて思いつかないですよ」

 どうせ江戸の街しか動けないし、変にこの時代の人と関わって政府の規則にひっかかっても面倒くさいだけですからね。
 女は不満げに愚痴をこぼして、二本目の団子に手を伸ばす。小皿の上の甘味は残り一本になった。

「里帰りのひとつでもしたらどうかな」

 有給休暇に関する通告を確認済みの欄に振り分けながら、山姥切長義はそう静かに提案する。
 口元へ運ぼうとしていた女の手が、ぴたりと静止した。それは彼女にとって多少の衝撃を含む提案だったらしい。流れる空気がすこし変わったのを感じて、山姥切長義は脚を組みなおした。

「……お母さんの本丸に?」
「そうだ。君は審神者二世だろう」

 審神者二世。
 これこそ、女の生まれながらにして第一の呼び名だった。

 「審神者二世」とは、片親、多くの場合母親を審神者に持つ子どもたちの俗称である。彼らは産まれたときから親の本丸で生活し、刀剣男士と関わり、そして成人すると審神者になる。
 けれど、審神者の子供が“例外なく”審神者になれるかといえば、それは否だ。少なくとも、こうして語っている彼女自身がその“例外”である時点で。女の母親は確かに立派な一人の審神者で、彼女は確かに本丸で刀剣男士とともに育った「審神者二世」だ。

 それでも、彼女は審神者にはなれなかった。

 端的に言えば、素質がなかったのである。霊力と呼ばれるものが、審神者として刀剣男士を喚び起すにはあまりに向いていなかった。

 だから彼女は、その呼び名があまり好きではない。不釣り合いなレッテルを貼られていると、焦りと嫉妬と劣等感が綯い交ぜになったような澱みが心を支配してしまう。
 山姥切長義はそれを見透かした上で、あえてその言葉を使った。意固地なこの女に言うことをきかせるには、それが効果的だと知っていたのだ。
 彼の狙い通り、「審神者二世だろう」という一言は確かに強い打撃をもって彼女に受け止められた。女はどこか上の空に「そうですね」と呟いて、それきり押し黙った。

 審神者二世だけど、審神者じゃない。
 審神者になりそこなった私は、からっぽな呼び名にばかり埋められた、何者でもないなにかだ。

 それが、この女の卑屈で自虐的な自己評価だった。