バレンタインのお話。ゼノ編。
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「ゼノおはよう!この扉を開けるにはとある呪文が必要なの。さあ、合言葉は?」
「"ハッピーバレンタイン"、ナマエ。それからおはよう。とびっきりのプレゼントを用意したから僕の部屋へおいで」
ドアの隙間から手招きをすると、彼女は心底驚いたように僕を見上げた。
「なっ、なんで即答なの!?」
急いでドアを全開にして部屋を出ると、僕の前に駆け寄ってくる彼女。今日はいつもと雰囲気が異なっていて密かに目を奪われた。ヘアスタイルが違うのだ。
なぜなら今日は特別な日。この世界じゃほとんど概念的なものしか残らなくなってしまったが、過去世界がそのイベントで盛り上がっていた事実に変わりはない。
ああ、エレガント!先日新しく仕立てた服も美しく着飾って、これはますますプレゼントを渡す瞬間が楽しみだ。
「なんで?私しか知らない合言葉だったはずなのに!」
「そりゃあ今日はバレンタインデーなのだから、そう考えるのは必然だろう」
「考える時間1秒もなかったよ!?」
「1秒もあれば充分さ。君の考えることなど手に取るように分かるからね」
頭の上に手を置いて、せっかくのヘアセットを崩さないように優しく横に滑らせる。
早朝なのにノックをしてからすぐに顔を出したから、僕の訪問は予想外ではなかったはずだ。それもそのはず、昨日のうちに早朝迎えに来るから準備をしておいでと、僕の方から告げていたのだから。
そんな僕を驚かせるつもりだったのだろう。『合言葉』、それはこの日に限って設けられたパスワード。素直な彼女はわざわざ複雑なものを設定しない。携帯のパスコードを僕の誕生日にしていたくらいだからね。ああ、これは惚気ではない。分析だ。
「私、悩むゼノの顔が見たかったのに。そんなに即答だと逆に爽快というか……」
「それはすまないことをした。でもバレンタインデーにバレンタインと言いたくなるのは普通だろう?君の設定が甘すぎたんだ」
「それは、確かに、そうです」
がっかりさせてしまったようだ。悔しそうに口をとがらせて、僕に軽くパンチを寄越す。そんな彼女が愛おしくてついつい加虐心にさいなまれた。
「……ああ、気づかないフリをしてしばらく付き合ってやった方が、ゲームとしては楽しめたかな」
「なんのゲーム……?」
「君の反応を楽しむゲームだ。わざと見当違いなことを言えば、君はきっと僕の思い通りに笑ってくれた。僕の企みには気づかずに」
途端に目を細める彼女。
「ゼノ、性格わるい」
「君は可愛いね」
「はぐらかそうとしても無駄!私、もう拗ねちゃった。ばいばい」
僕の額に人差し指を置いてから、くるんと半回転して部屋の中に戻ろうとする。これは大変だ。プリンセスの機嫌を損ねてしまった。僕も続けて部屋の中に入って、一応ドアを閉めてから彼女の背中を捕まえた。
「も〜、とりあえず抱き締めとけばいいとか思ってるでしょ」
「抱き締めるだけじゃあダメかい?それならこっちを向いて」
腕の中で華奢な体をひっくり返し、すぐに唇を奪った。特別な日だから朝一番から濃厚なものをプレゼントする。顔を離して様子を窺うと、それでもまだ釈然としない表情で。真横を向かれた。
「だめ」
そっぽを向いていながら、少し笑ってしまっているのを僕は見逃さなかった。これは弄ばれている。
「これでもダメか。それならば今日の僕は君の機嫌を取り戻すために、精一杯のもてなしをしなければ」
「できるものならね」
「とにかく、まずは部屋に来てくれ。言ったろう?プレゼントがあるんだ」
今のキスと同じくらいの、もしくはそれ以上の想いがこもったプレゼントだ。この日のために用意していたものがある。さっそく彼女を僕の部屋までエスコートすると、ベッドに座らせて箱を渡した。
おそるおそる中身を見る彼女。すぐに見上げたその表情がここ最近で一番輝いていて、僕は心の中で噛み締めた。どうやら喜んでくれたようだ。
「君が愛用していたブランドのものを意識してみたが、なにせその方面には疎くてね。どこかの面で劣っているかもしれない」
発色や、質感や、香りや、内容成分など。女性の間ではそれぞれの面で相当のこだわりがあるらしいが、サプライズにしたかったのもあるし、第一弾は僕の知識と記憶のみで作り上げた。
気づいた方もいるだろうか?その通り、箱の中身は化粧品だ。昔からお洒落好きの彼女にはピッタリなプレゼントではないだろうか。
「私、一瞬現代に戻ったのかと思った。こんなプレゼント貰ったの何千年ぶりだよ」
喜んで貰えたようでなにより。さっきまでのツンとしたオーラは完全に無くなってしまっている。そればかりか、心の底から嬉しそうに僕のプレゼントを抱き締めた。
「ゼノ、この世に生まれてきてくれてほんっとうにありがとう」
「おや?今日は僕の誕生日だったかい?」
「あなたがいなければこの世界はずっとずっと生きづらかったし、もう一度オシャレすることも出来ないし、……こうして好きな人と一緒に過ごすこともできなかった」
嬉しいことを言ってくれる。こちらこそありがとう、そう礼を言いながら隣に腰掛けた。
「どうしてこれを?こんなの、いつの間に用意したの?」
「それは、君に贈るためだ。銃や戦闘機を作りながら密かに手をつけていた。君は科学担当ではないからね、気づかないのも無理はない」
「そういえば……たまにゼノから良い香りがするなって思ってたの。でも気のせいだと思ってた。薬品の一部だろうって」
サプライズのためだ、その辺はきちんと気を使っていた。彼女はさっそく中身を取り出して、照明にかざしたり蓋を開けたりし始めた。
自分が丹精込めて作ったものを誰かに披露する瞬間は、いつも気分がいいものだ。たとえば今の彼女は……銃を手に入れた時のスタンと同じ顔をしている。
「僕はどんな君でも好きだよ」
「なーに?いきなり」
「特に、デートの時は一段と綺麗だったね」
「……デート?昔の話?」
急に過去のことを引っ張り出してきた僕に、彼女はキョトンと目を瞬かせた。
「もちろん君が欲しがっていたものを用意した、というのが一番の理由だが」
「うん、確かに欲しかったけど」
「僕は僕とのデートのために美しさに磨きをかけてお洒落してきてくれた君のことを、もう一度この目に写したかった」
そのためにはこの道具が必要だ。
普段の彼女は凛としていながらやんちゃなところがあるから、少し大人びたプリンセスのよう。けれど、デートの日は最大限に着飾ってくれるから、まるでクイーンのような綺麗な彼女に会えた。
メイクという科学の魔法にかけられたのだ。僕は魔法使いになっただけ。
「今日は何千年ぶりのデートをしよう。まあ外を少し歩くくらいしかできないが。さっそくそれらを使ってみるといい」
「うん、うん!そうする!」
「そうしたら感想を是非とも僕に教えてくれないか?カラーバリエーションにも不足があれば、なんなりと言いつけてくれ」
ああ、僕が魔法使いというのは少し違うか。僕は今魔女に魔法の杖を与えたのだ。魔法をかけるのは彼女自身。その杖にはまだまだ改良の余地がある。
こうなったらもうブランドを立てようか。彼女以外にも化粧品に食いつきそうな少女がいることだしね。それに、男性陣にも専用の洗顔料くらいは与えてやった方が良いだろう。今はもうサバイバル生活をしているわけでは無いからな。
「要望を踏まえて改良したものを、君の誕生日に贈ろう。……どうだい?そろそろ機嫌は取り戻せたかな?」
返事の代わりに抱き締められた。楽しそうに笑っているから、どうやら答えはイエスのようだ。頭を撫でながらキスを落とした。その顔が見れただけでも満足だ。
「私もゼノと同じ」
「同じ?」
「ゼノもオシャレしてたでしょ?コートとか髪型とかビシッと決めて。クマはいつも隠しきれてなかったけど」
まあ、恋人を連れて街を歩くのだからそれなりの格好をしなければ。目の下のこれは見逃してくれ。至近距離から僕の顔を見つめるのは君だけだから、いいんだよ。
「どんなゼノも好き。たまに意地悪なところも、優しいところも、たまに優しすぎるところも」
「そうかい?嬉しいよ」
「黒いところも白いところも、全部全部好きだよ。だってどっちもゼノだから」
腕にぎゅうと力を込めて、猫のように頬を擦り寄せる。今日は甘えたがりだ。まるでチョコレートのように甘い。
「ねえ、どっちのゼノも今日くらいは私だけに独占させて?いいでしょ?」
ああ、お望み通り。もとよりそのつもりだ。今日どころか明日も明後日も、僕は永遠に君だけのもの。それに……僕の心をこんなに溶かしてしまえるのは、そして味わえるのは、この宇宙には君しかいない。