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「今回の件に関しては圧倒的にあの男に非があるが、だとしても君にもそれ相応の罪がある。体に害があるということを分かっていながら毒ガスなんぞに手を出すなんて、」
お説教タイムが終わらない。
「ごめんなさい」
ベッドのヘリに座って言葉を並べるゼノの後ろで、ベッドのど真ん中で項垂れる私。布団どころかマットレスの下に潜り込みたい。
「もしや君は煙草の有毒性を分かっていないだろう?スタンリーに説明するだけで骨が折れるというのに、ナマエ、君まで"そう"だとは思わなかったよ」
「ごめんなさい」
「そうだ、こんなことになるのなら僕が初めから煙草を作らなければ良かったんだ。禁断症状が出てしまうから仕方なく与えてしまったけれど、ああ、まさかこんなことに」
「ごめんなさい」
「僕が元凶なんじゃないか。そんな当たり前のことに今更気づかされるとは、これはむしろ喜ぶべきことなのか?しかしそれでナマエの体が蝕まれることになるのだから」
「ごめんなさい」
ごめんなさいしか言えない。
煙草の悪いところを長々と説明されて、もう何度ごめんなさいを言ったか分からない。その上まだ話を続けようと言うのだから、もうとっくに頭がパンクしていてゼノの声は右から左に通過していくだけだった。
途中からなにやら自分のことを責め始めているし、これはある種の混乱を招いている……それはともかく、このまま放っておくとゼノが酸欠で倒れてしまいそうだから、後ろから服を引っ張って話を止めた(申し訳ない顔をするのを忘れないように)。
「ゼノ、ゼノ……」
「なんだい」
「……ごめんなさい」
私の渾身の謝罪に彼が振り返ったところで、んっ、と唇を押し付けた。しかし思いっきり不機嫌そうな顔をする。……恋人がキスをしたというのに。
「ゼノ、大好きだよ」
「……そんな言葉で解決を試みるとはね。とても褒めたものでは無い」
「愛してる」
「……」
黙り込むゼノ。じとー……と睨みつけられている。とりあえず口を閉じさせることには成功したけど……。
「もう絶対こんなことしないから、許して。どうしたら許してくれる?」
「……反省はしているようだが、許しを貰える前提で話を進めるのはいかがなものかと思うよ」
「ごめんなさい」
「……」
大きな大きなため息をつかれた。
呆れられた?捨てられる?さっきの煙草みたいに、全身を粉々にすり潰されてゴミ箱にポイされる?そんなのは嫌だ。そしたらゼノを抱き締めることができない。
もう泣きそうだ。泣いてもいいだろうか。目頭が熱くなってきた感覚に、それでも泣いてはいけないと目を大きく開いてゼノの言葉を待っていたら、ふいに彼が立ち上がった。
「ぜ、ゼノ……?」
変わらず不機嫌そうな顔で振り返ると、ベッドの上に膝を乗せて近寄ってくる。それと同時に肩を押された。
弱い力だったけど、予想外の行動だったから腹筋に力を入れる隙もなく、重力に従ってポスンと後ろに倒れ込む私の体。その上に靴を履いたまま馬乗りになるゼノ。再びじいーと睨まれている。
え?なにこの体勢。何か声を出そうとした口の中に、いきなり彼の人差し指の爪が入り込んできた。
「もしこれが未遂で済んでいなかったら、僕はおそらく半年は許していなかったね」
うぐ。冷たい金属を食べさせられている。煙草の代わりのつもりなのだろうか……彼のことだから清潔にはしてあるんだろうけど、なんとなく変な味がする。ぐ、ぐ、とそれを舌に押し当てながら、ゼノはさらに続けた。
「いや、当然今もまだ許してはいないが。今回は僕にも多少の非があるから、君だけを責めるのも不公平というものだ」
ゼノの言葉に、少し光が見えた。瞬きも忘れて次を待っていると、早くも口の中から爪が出ていって、今度は額に別の指を置かれた。
「今回は見逃してやる。次は無いからな」
「ぜ、ゼノ……!だいすき!」
「おおっと」
ああ、良かった。許してくれた。その言葉が聞こえてきた途端、安心感に包まれてゼノを下からぎゅううと抱き締めた。良かった、ゼノが優しくて。結局すぐに許してくれるんじゃないか。やっぱりゼノはこういうところがある。
首に回した両腕に力を入れたら、ゼノも同じように背中に腕を添えて抱き寄せてくれた。それはたぶん、そうしないと彼の首に私の全体重がのしかかるからだ。
そんなことより……ゼノの匂いでいっぱいになって幸せな気分。薬品の匂いで安心するなんて、変なの自分。
「もー好き好き、大好き」
「ナマエ、喜ぶのはいいが力加減というものを知っているかい?このままだと僕の首の骨が折れてしまう」
「そんなの知らない!抱き締める方が大事だから」
「脊椎の方が大事だ!」
もう既にさっきまでの不機嫌オーラは吹き飛んで、はしゃぐ私をなだめるモードに移行している。そうだね、確かにゼノの首が折れたらゼノが死んでしまう。
一瞬で考え直し、両腕を離して再びシーツに体を沈めた。その代わりと言ってはなんだけど、垂れ落ちている彼のネクタイをぐいっと引っ張って、驚いた顔におねだりしてみた。
「ゼノ、きすして」
「しょうがないな、君は……どうしてそんなにテンションを上げているんだい」
だってゼノが好きなんだもん。私を許してくれて嬉しいのもある。不機嫌を治してくれたのもそう。だけど、なんといってもこんなに怒るところを見たのは今日が初めてだったから。
ゼノの知らない一面を知ってしまった。しかも原因が私を心配してのことなんだから、そんなの嬉しいに決まってる。
「君、本当に悪いと思っているのか?」
「思ってる!」
「分かった。信じよう」
急に笑顔になった私に疑いの目を向けたゼノだけど、私のそのまま過ぎる主張を簡単に受け入れてくれた。
さっそく私の要望通りに顔を近づけてくる。待ちきれなくて私の方から軽く触れると、それで満足したと思ったのかすぐに上半身を起こそうとするから、とっさに頭を捕まえた。ダメ、満足するまで離してあげない。
+
さすがに腕が疲れたらしく、仰向けに倒れ込んだゼノの靴をポイポイ地面に投げ捨てた。もうこのまま一緒に寝てやるんだから。まだ夕方にもなってないけど。抵抗する素振りを見せないから、とっくに彼自身もラボに戻ることは諦めているらしい。
キスのせいで中断された話の続きを、彼は若干呼吸を浅くしたまま続けた。ちょっとだけ真剣な顔に戻っている。
「言っておくが、なにも僕は煙草そのものを認めていないわけじゃあないんだよ」
「え、そうなの?」
「そうでなければスタンはとっくに見限っている。体に害があろうと、楽しむのは個人の勝手だ。副流煙があるから全肯定はできないが」
親友を見限るだなんて、そんな悲しい単語を淡々と……。
「でも、君はスタンに少し唆されたその場の流れで、安易に手を出そうとしたんじゃあないか。とても許せはしないね。もっと自分の体をいたわれ」
正論過ぎて何も言えない。けど最後のセリフだけは包装し直して送り返してあげる。
「ところで、ナマエ。君自身の動機をまだ聞いていなかったね。普段の君ならすぐ断るだろうに、何故今日に限ってスタンの誘いに乗ったんだい」
「……ゼノが動揺しているところを見てみたくて。ほら、ゼノってあんまり感情的にならないじゃない」
私のことに関しては。
ゼノは、特に世界がこうなる前は、世の中の不満に思うことに対してはよく愚痴を漏らしていた。私はそれを聞きながら適当にうんうん頷くのが趣味だった。
「煙草ならさすがに心配して止めてくれると思って」
「僕はまんまと踊らされたというわけか。思い通りになって満足かい?」
「そんなことないよ、全然予想以上だった。ゼノが私に対してこんなに怒るの、初めてでしょ?」
「感情的になったところで大抵の問題は解決しないだろう」
「そうだよ、いつも余裕そうにしてるから、たまには違う顔も見たくって。それに、……私のために時間を割いてくれると思って」
知ってる。ゼノは決してお遊びで科学をやっているのではない。楽しんではいるけれど、そこには明確な目的があるのだ。それを私ごときの小さな感情で邪魔してしまうことが嫌で、今まで遠慮していたというのに。
スタンリーが誘ってくるからつい。……そうやって、すぐ人のせいにする私は、自分のことしか考えていない子供のようで醜いな。
「つまり、君は構って欲しかったのかい?」
そうとも言う。
「……ごめんなさい」
「謝らないでくれ。僕も君が構ってくれたら嬉しい人間だ。その感情にわざわざ蓋をすることはない」
「でも、それで迷惑かけたんだし」
「僕は君の好意を迷惑だとは思わない」
そんなことを当たり前のように言われたら、きゅんきゅんしてしまう。
「ほら、ナマエ。もう今日は君のそばにいてやるから。僕も反省している。もう変な気は起こさないでくれよ」
「分かった。嬉しい、ありがとう」
「ナマエからは一瞬でも目を離さない方がいいと学んだからね。ほら、今日は朝まで僕のことを好きにしていい」
ほんと?それは随分と太っ腹だ。
そういうわけで、その日私は朝までゼノのことを好き放題した。具体的なことは想像におまかせする。
+
後日談。
「君の寂しさを紛らわすために、僕のクローンを作るのはどうだろうか」
「私の相手をするのがオリジナルなら、なんでもいいよ」
「ああ、そうなるのか」
「当ったり前!クローンが私を満足させられると思ってるの!?……でもやっぱり同じ顔が何人もいるのは怖いから、ゼノはゼノだけがいいな」
「それはそうだな。君をどうこうできるのは僕一人で十分だ」
「なァ、あんたらの周りだけクソ熱くてヤケドすんだけど。火ぃ貰っていいか?」
スタンリー、彼があの時話しかけてきてくれなかったら、私はたぶんずっと寂しい思いをしながら過ごしていたことだろう。
そのことでゼノを怒らせてしまったから声を大にして言えないけれど、彼にはとっても感謝している。だから私は交渉するのを忘れていない。
「ねえ、ゼノ?スタンリーのことも許してあげてね。私のためを思ってのことだったの」
「煙草を勧めることがかい?」
「ゼノの気を引く手段がたまたま煙草だっただけだから。ね、お願い」
「……わかった。考えておこう」
そしてちゃんと考えてくれたゼノは、結局すぐに煙草の製造を再開した。
「あんがと、あんたがいなきゃ俺はニコチン切れで死ぬとこだった」
「そもそもスタンリーが言い出さなきゃこんなことにはならなかったんだけどね」
「スリルがあってイイじゃん。ねぇ、次は何しよっか」
また何か企んでいるらしい。まだ好きな食べ物の話しかしてないのに、もうとっくに悪巧みの仲間にされている。楽しいからいいけどね。やっかいな友人と恋人がいて、彼の苦労は底知れない。