THE STONE WORLD


02

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「見せつけんなって、お二人さんよ。俺一瞬でフラれてんじゃん」

からかうような声と共に、背後でソファーが沈む音がした。彼とのデートはここまでだ。想像していたよりもずっと短い時間だったけど、まあ楽しかったという感想はゼノの目の前だから胸の中に閉じ込めておく。
しばらくしてから口を離すと、ゼノはこれまた知ったような口調で話し出した。でも私からは目を離さないでいてくれるから、やっぱり彼は私がされて喜ぶことを熟知している。

「スタン、確かに君は魅力的だが彼女の心を動かすのは容易いことではないよ」
「分かってる分かってる。だからつい出来心で誘ったんよ。このゼノに夢中って割と酔狂な趣味してっかんね」
「僕とナマエに同時に喧嘩を売るなんて、なかなか器用な男だな。コスパがよくて感心してしまうね」

酔狂な趣味って、酷い言い草だけど否定はできない。私もどうしてこの科学とエレガントなことしか興味が無い科学者にのめり込んでしまったのか、自分でもよく分かっていないし。ていうかゼノと仲良くやっている時点であなたも人のことは言えないよね。
彼の薄い胴体を抱きしめながら延々と額をぐりぐり押し付けていたら、いい加減飽きたのか頭に手を置かれた。

「ナマエ、そろそろ」
「イヤ。もう少し」
「困ったな……仕方ない、思う存分抱き締めてくれ。今の僕には拒否する権限も理由もないからね」

本来私は甘えたがりの性格なのだ。一度抱き締められたら気の済むまで離してあげないスタンスで生きてきた。もしかしたらゼノはこうなってしまうのが嫌で私に会いに来なかったのかもしれない。
でもそんなの自業自得だ。頻繁に会いに来てくれたらもう少し短い時間で済んだかもしれないのに。

「高く売れそうだよな、ゼノ先生のスキャンダル。カメラ作ってよ」
「いきなりなんだい?」
「だってあと一歩のとこでケンカ始まりそうだったじゃん。んな面白そうなの是非とも記録に残しておきたいね。将来笑いものにすっから」
「おおスタン!君の方こそいい趣味をしているじゃあないか。だが残念だったな、僕らが仲違いすることなどそうそう無いよ」

ここにフラグを立ててみようかな。

今の一件で思い出したが、そういえばゼノは昔から嫉妬してくれた試しがない。全て論理的に考えてしまうから、感情論は後回し。もちろん全てがそれに当てはまるわけではないが。
ゼノは私がどのレベルの罪を犯せば心を乱してくれるのだろう。思いついても実行したことがないから分かるはずもない。そんなことを考える意味なんて無いのに、そんなことを考えてしまうくらい、彼は私のことを信用し過ぎている。



「んじゃ、煙草やってみる?」

普段なら絶対に頷くことの無い提案を、不覚にも魅力的だと思ってしまった。

「俺が始めた時ですらさんざ文句言われたしな、あんたがこれに手ぇ出したらどうなっちまうと思う?絶対怒るね」

それと同時に、彼の性格をなんとなく理解した。これまでのやり取りで察したけれど、スタンリーって結構イタズラが好きなのかも。悪友のノリというか……今朝私に話しかけてきたのだって、『あのゼノに夢中だから』という理由らしいし。
友人の恋人について、ちょっかいを出したくなる気持ちは分かる。でも普通だったら実行しない。それは嫉妬やいざこざを招くから。けれどスタンリーがそれを実行できるのは、さっきも言った通りゼノが簡単なことで動揺しないから。

「どう?興味ない?気分良くなんぜ」

なんかこれ、ドラッグを誘う時のセリフみたい。体に悪影響を及ぼすという意味では、実際そう大差ないしね。だからこそゼノは嫌がるだろう。まさか私がこんなものに手を出すわけがないと、信じきっているから。
吸いかけの煙草を指の間に挟んで、爽やかに悪い顔をするスタンリー。ソファーの後ろを振り返れば、つい先程私から解放されたゼノが、さっそく作業の続きを始めている。言うまでもないことだけど、彼のためにも一応確認しておかなければ。

「そんなことをしたら、ゼノはたぶんあなたのことも怒ると思うけど」
「あー、煙草全部取り上げられっかもな。そんくらいは有り得る」
「だったら」
「でもあんたが頷かなきゃそうはならない。さあ、どうすっか決めな」
「……」

挑発されている?それに、試されている。これも彼にとっては暇潰しの一環なのだろう。

「あなたにとってリスクがデカすぎると思うんだけど……私にどう責任取らせる気?」
「んーま、ゼノが怒ったらあんたがどうにかしてくれるって信じてっかんな」
「簡単に信じちゃっていいの?もし万が一手に負えないくらい怒ったら……」
「ゼノが惚れちまうくらいだ、あんた相当のやり手だろ」
「……それは、照れるけど。分かった、一本ちょうだい」
「ちょろ」

悪巧みに唆られてしまうのは、人間として仕方がないことなのかもしれない。それ以上にスタンリーの口が上手い。
まあいざとなれば彼の前科を持ち出せばいいか。成人が煙草を吸うだけなんて、どう転んでも犯罪にはなり得ないから。あっちの方が社会的に過去酷いことをしている。だからなんだって話だけど。

…………とかいう軽いノリで手を出してはいけないものだった。まあ分かってたけど。こうなってしまうんだろうな、ということはなんとなく予想できたけど。彼の反応は予想以上だった。
スタンリーから新しい煙草を受け取って、咥える方向も分からないくらい無知な私が煙草のプロから丁寧な指導を受けている間、彼の中で都合よくセンサーのようなものが反応したようだった。さっきまで私のたちの会話には微塵も興味が無いような顔をして科学を楽しんでいたのに、いつの間にか背後に立っていたのだ。

「ナマエ」

と、自分の名前を呼ばれたことを認識した時には既に、咥えていたはずの煙草はゼノの手の中にあった。言っておくけど、まだ火をつけていない。それなのにどうして?気づくのが早くない?いくらなんでも。これも彼の凄まじい観察眼の一つ?
ソファーの後ろから伸びてきたゼノの両腕。煙草を持たない方の手が、混乱している私の口元を――つまり顔面の下半分を覆い、そのままガッシリと固定した。
顔を動かせなくなったうえに言い訳する術をなくした。でも呼吸はできるし、瞬きもできる。それだけが今の私に許された行動。言い換えれば、今の私は何も出来ない。一本の指を動かすことすら。空気がそう言っているから。動くな、と言っている。

「何をしている?」

振り返ることはできないが、振り返るまでもなく、その言葉に怒りの表情が顕著に現れていることを感覚で察知した。ゼノが、怒っている。私のことで。その現象があまりにも珍しくて、同時に対処法が分からずひたすら困惑するだけだった。
耳の近くで彼の低い声が聞こえて、思わず身震いがした。

「何を考えている?」

そう言いながら、今しがた私の口から奪った一本を、おそらくはスタンリーにとって貴重なその一本の煙草を、無惨にも真っ二つにへし折った。
へし折るだけではなかった。そのまま指の腹ですり潰し、ぺしゃんこにした。あっという間に元の形を無くした煙草。中身の葉がパラパラとソファーにこぼれ落ちていく。
ああ、私は今からこれと同じことをされるんだな。なんとなく悟った。

ゼノ、確かに彼は私が煙草に手を出すことを嫌がりそうだとは思ったが、これほどまでとは思わなかった。本気の怒りだ。なぜなら隣に座る彼が、これまた珍しく焦った様子で背後のゼノを見上げているから。

「おいゼノ、」
「スタンリー・スナイダー、しばらく煙草はお預けだ。今日この時をもって煙草の製造を停止する」
「マッ、……じかよ」
「その顔は、どうやら己の業の深さを自覚しているようだね。それなら僕からはこれ以上は何も言わないでおこう」

自分で提案しておきながら、少しはこんな事態になるかもしれないと彼自身も予想していたから……既に覚悟ができていたかどうかは知る由もないが、それでもスタンリーは驚くだけで反論しない。

「せいぜい今手元にある分を、大事に大事に浪費することだ。分かったかい?」

怒り心頭のゼノを前にして、たった今覚悟を決めたという顔をしている。あーあ、お前が頷かなければこんなことには……という顔もしている。ひどい、スタンリーが言い出したことなのに。
こんなに早くバレるなんて思いもしなかっただろう。私もだ。

「……じゃあナマエ、僕らは一旦部屋に戻ろうか。二人でゆっくり話をしよう」

今まで口元を押さえつけていた手が離れた。そのまま研究室の出口へ向かう彼。この地獄のような空気感の中、そう簡単に動けるわけがない。ソファーにじっと座ったままでいたら、ゼノはドアの付近で振り返った。

「おいで、ナマエ」

ゼノ、笑ってる。それはどういう表情?怖すぎる。なんで笑ってるの?
ついさっきと同じ言葉なのに、今回は彼の言う通りにする前に深呼吸が必要だ。助けを求めようとスタンリーを見たら、彼は目だけでグッドラックと伝えてきた。ダメだ、彼はおそらく自分の煙草の心配しかしていない。

「……」

潔く叱られてこよう。



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