「その脚をどけて頂いても?」
サーヴァントというよりは、まるでサッカーゴールを死ぬ気で守るキーパーのような威圧感がある。ゼノの言葉を借りれば、まさに優雅、エレガントな佇まいなのに……その眼力は番犬のように鋭く、何者もそばに近づかせないという強い意思を感じる。
「どうかなさいましたか?聞こえませんでしたでしょうか。スナイダー様、わたくしこの部屋を出たいのですが」
部屋の出入口を塞ぐ俺の片脚を目だけで見下ろしながら、彼女は至って平常通りの口調でそんなことを口にした。レースで縁取られた袖口で口元を隠しながら、しかし嫌悪感にまみれたオーラは隠すことなく、次に俺の顔を見つめてくる。何故ここに?と聞きたいらしいが、予想はつくだろうからわざわざ尋ねられることはなかった。
廊下の先で彼女がこの部屋に入るのが見えたら、そりゃあ追いかけるわな。早速用を済ませた彼女が廊下に出ていこうとしたところを阻んだのは、ドアの囲いに寄りかかってタバコをふかす俺の脚。ゼノが俺の普段の行動をストーカーだと言い切った日から、俺はもう自分がストーカーだってことは割り切ってっかんな。エミネムの"Stan"は俺のことだぜ。
彼女はキーパー。俺はその鉄壁の守備を破るべく奮闘しているオフェンス。
「あんたが俺にキスしてくれるってんなら、考えなくもねぇけど」
「キスをご所望なら、今すぐ地面に這いつくばってみてはいかがです?大地はいつでも受け止めてくださいますよ」
「キレッキレじゃん」
『くたばれ』をそんなにも優雅に言うやつがあるか。鉄壁の壁がある。見えない壁だ。周囲との関わりを完全に遮断する分厚い壁。それはアイアンメイデンのような鋭いトゲすら持ち合わせている攻防一体の代物で、俺の渾身の口説きをものともしない。
……いやま、出会い頭にキスミーは少々直接的過ぎたか。流石は優秀なゴールキーパー。ふっつーに蹴り返された。正面突破は通じない。
「あんたを抱きしめながらだったら、いつでもどこでも寝てやるのに」
「生憎のこと、私はルーナ様以外の方と添い遂げるつもりは毛頭ございません。ぜひ他を当たってくださいね」
「ナマエ」
脚を下ろした。
両脚を地についてタバコを外し、彼女の正面に歩み寄る。
「俺はあんたじゃねぇとダメ」
「左様でございますか」
だからなんでしょう、という顔で俺を見上げてくる彼女。わたくしはあなたでなくでも構いません。少しの曇りもない彼女の瞳から、そんな訴えが確かに届いた。うーむ、結構本気でやってるつもりなんだけど。俺の熱意はいつまで経っても彼女の胸に届かない。
届かないというか……届くのは届いているんだが、わざわざ新しい切手を貼られて丁寧に送り返されてくる。もちろん未開封のまま。
「……」
「……では。今日も良い一日を」
どうしたものか。
片脚に重心を置いてタバコを咥えると、彼女はこれまた丁寧に挨拶を済ませて俺の横を通り過ぎた。あんたが振り向いてくれない限り、俺はいつまでも良い一日を送れることはないってのに。
彼女の背中を見送りながら子供のように口を尖らせていると、驚くほどタイミングよくゼノが入れ違いに部屋に入ってきた。さてはこいつ……廊下で盗聴してやがったな。
「君が一人の女性を口説き落とすのにこんなにも手間取るなんて、僕にとってはなかなか興味深い事象だよ」
「そーかよ」
「確率で言えば何分の一になるだろう。君が恋愛成就に失敗する確率は……今回が初めてだろう?」
「まだ失敗してねぇ」
からかうような表情と口調に睨みをきかせながら即座に否定すると、「その態度を見る限り本気のようだね」と受け流された。
「何が?」
「彼女のことさ」
「え、ああ。本気だけど」
「何故だい?」
「なんでって」
"She's a keeper."
絶対に逃がしたくない人。惚れた女を自分のモンにするのに理由がいんの?いんねぇよ。
さて、正攻法がダメなら何か他の手を考えなければ。どんな手を使ってでもその守りを崩してやれる自信が俺にはある。例えば……受け止めるべきボールが試合中に突然暴発するようなことがあったら、たとえどんなに洗練されたキーパーでも驚いちまうだろ?
なんとも都合の宜しいことに、恋愛にはスポーツほど分かりやすいルールは無いから、何をしたって口説き落としたもん勝ちだ。ま、コートどころか人生を退場するほどのことはできないが。てかそもそもこんな世界じゃ、法律という名の審判ですらどこにも存在しない。
「賭けてもいいぜ。俺の全部。俺、できっかんな」
「そうかい。なら僕も便乗してみようかな。君の腕は確かだからね。……ふむ、では『君が成功する方に』……何をベットしようか」
俺は目に見えないライフルを静かに構えて、狙いを定めた。
"keeper"
取っておきたいもの
→手放したくないもの
→逃がしたくない人
→ずっと一緒にいたい人
かつては金持ちの家に仕えていたというが、彼女を雇っていた主はここにはいない。世界は今や石像に溢れており、運良く目覚めることが出来た人間は、あの日あの国立公園いた中でも選ばれた者たちだけ。
時を同じくして彼女もそこにいたらしい。そして同時に石化攻撃を受け、何千年の時を経てほぼ同時に石を解除した。
「さて、どうぞ皆様お召し上がりください。栄養補給は体力の温存に大変有効な手段ですから、冷めないうちに」
ゼノがNASA関係なく生涯科学者であるように、彼女は主人がいないこの世界でもサーヴァントとしての姿勢を崩さなかった。朝から晩まであの状態。落ち着きのある所作と、丁寧な言葉遣い。周りがむさ苦しい男たちばかりだから尚更目立つ。
使用人でありながらシェフもやっていたらしい彼女は、本来の仕事として野宿中とは思えないほどの食事を毎食振る舞ってくれた。それ以外にも、復活したばかりで何も無いこの世界でも、タスクを見つけてきてはそれが最初から自らの役割であるかのようにせっせとこなしていく。
「あんたは休まなくていいの?」
「必要な時に必要な分だけ休息の時間を確保しております。それも私の仕事ですから。お心遣い感謝申し上げます」
「そう?」
今いる中では一番歳下なのに、よく働いてくれている。プライベートというものが無いのだろうか。これは別に、過剰表現をしているわけではない。俺は本当に素の彼女を見たことがなかった。あの時までは。
……というのもまあ、俺自身それまで彼女にあまり関心がなく、さして注目していなかったから気づかなかったというだけなんだが。たとえば寝込みを襲えば素の彼女には簡単に会えただろう(いやしねぇけど)。たまに事務的な話をするくらいじゃ打ち解けようもない。
「ナマエ!今日もおつかれ。最近冷えてきたよな〜、風邪引かないようにな!」
「カルロス」
そんな彼女に親しく接することができているのは、マックスとカルロスという男たちだけだった。
「風邪引くなはお前だろ!昨日腹出して寝てたぜ?これから起きてくるお嬢にそんなはしたない姿見せんじゃねぇぞ!」
「マックス、あなたも昨日の夜服がはだけていましたよ」
「マジ!?ハッズ!」
「うぇ〜いザマぁ」
「カルロス黙れ」
人づてに聞いた話じゃ彼らは元同僚らしいから、仲が良くても何もおかしいことはない。ただし、どうやら彼女はそんな彼らに対してもある程度は冷たく接しているようで。冷たく……というか、温度感がないというか。まあ最初からそういう性格なんだろうなと疑わなかった。
あの時までは。
人形のように表情を変えない彼女が、まさか笑う時が来るなんて思いもしなかった。
食事の時間しか関わることがなかったから、ただの食事担当、こいつのおかげでマシな飯が食える、貴重な役目を担ってくれているありがたい存在、そういう認識しか抱いていなかった俺だったが、さすがにあの時の彼女の変わりようは強烈過ぎた。強制的に記憶に刻みつけられた。
「ルーナ様!よくぞご無事で……!」
それは、俺らが復活してからしばらく時間が経った時のこと。たくましくも一人の少女が目覚めてきた時のことだった。
時間差で一般人も起きてくる可能性はある、というゼノの予想は共通の認識としてあったが、年端の行かない少女が自力で目覚めてきたということで、ちょっとした話題になったのを覚えている。
が、もっと話題になったのは彼女の人格の変わりっぷりだ。
「ずっとずっとお待ちしておりました……!ルーナ様ならきっと起きてこられると……わたくしめは信じておりました……!ううっ」
「ちょっとナマエ!離れなさい!感動の再会ができて私も嬉しいけど、あなたのハグは鬱陶しいわ!」
初見は何かに乗っ取られたのかと思った。だがその起きてきた少女が当たり前のように接しているから、ああ、これが彼女の本当の姿だったのか……と気づくのにそう時間はかからなかった。
「だってルーナさま……私、あなた様に死ぬほどお会いしたかったんですう……お話したかったんですう〜!!」
「気持ちは嬉しいわ!でもそれは一旦置いといて、いつも言ってるじゃない!もうちょっと遠慮っていうものを……!」
シェパードがポメラニアンになった感じ。
マシンガンが水鉄砲になった感じ。
ゼノはこう言ってた。
ブーメラン星雲が地球になった感じ。
いや、その例えは分からない。聞けばブーメラン星雲というのは宇宙で一番温度が低いとされている天体らしい。勉強になった。
「失礼、スナイダー様。少し右にずれて頂いてもよろしいですか?」
「ああワリ。邪魔した?」
「いいえ。ただ、これからルーナ様がおいでになりますので、可能であれば全身丸ごとどこかに移動していただけると助かります」
「……」
そんなこんなで波乱の本性大暴露事件を経た彼女だったが、外野に対しては依然として冷たい態度を取り続けた。変わったことといえば、愛想笑いをするようになったくらい。人を不快にしない程度には心のこもった、でもあくまでただの愛想笑い。発言は相変わらずキチーけど。
が、人前でもルーナの傍にいる時は本性の彼女が姿を現すもんだから、その温度差でこちらが風邪を引いてしまいそうだ。
「あっルーナさまっ!ご機嫌いかがですか?あらあ、よくお似合いです!そのお洋服は私が繕ったものなんですよ!動き辛いところなどありませんか?」
「……おはようナマエ、もう少し声のトーンを落としてもらえないかしら?」
「えっへへ〜ん、何をおっしゃいますかお嬢様!私はいつもこんな感じですよ」
こんな感じじゃねぇ。
「あ!肩紐がほどけていらっしゃいますね。結び直しますからこちらにお座りください」
「いいから、こんなの自分でできるわ」
「そんなこと仰らずに!わたし、お嬢さまのお世話ができることがとってもとっても嬉しいんです〜!!!……うえっ、ひっく」
「ちょっと!突然泣き出さないで!ああもう分かったわよあなたの好きにしなさい!」
「ルーナさまあ……だいすきです……わたしの光……女神さま……」
こんなにもキャラの濃い人間の素性を知らないまま、しばらくの間共同生活していたのかと思うと……少し感慨深い。
「……」
彼女が俺に対して表情を変える瞬間を見たくなった。