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「しんどい」
いつまでもずぶ濡れのままホームにいるのはしんどいので、階段を下りて雨の当たらない屋内で時間を潰そうと考えた。でもお金がないから駅構内のカフェにも入ることもできないし、そもそも人がごった返していて変に身動きを取ればますます疲れが溜まってしまいそうだ。
もうこうなったら、ただひたすらじっとしていよう。まあどこに行っても靴の中はドロドロなので結局のところはしんどいままなんだけど。そんなこんなで隅の方で壁に寄りかかって虚無の時間を過ごしていた時。
「あれ、名前ちゃん?」
「……え?あ」
まるで天からの贈り物のような、温かくて聞き覚えのある声が耳に入ってきた。急いで顔をあげると、そこにいたのは可愛いお洋服を雨でぐっしょりと濡らした、中学からの大親友。
「杠ちゃん!なんでここいるの?」
「えっとね、お出掛けして帰るとこなの。最寄り駅ってワケでもないのに偶然バッタリ出会うなんて、なんだか運命みたいですな!」
この駅構内のどんよりとした空気の中、普段通りの明るい声が光を照らしたようだった。友達の顔を見るだけでこんなに安心出来るなんて、私の心は自分で思うより相当寂しがっていたらしい。お互いにぐっしょり濡れていることを笑い合った後、杠ちゃんはこれまた明るいテンションで私に手の平を差し出してきた。
「まさかまさか、駅に取り残されちゃった感じの人?わお。なんと驚いたことに、ここにもう一人そんな可哀想な人がいます!」
なんかどこかで聞いたことのあるようなセリフを言いながら、頬を赤らめる杠ちゃん。可愛くてもう不安な気持ちなんて全部吹き飛んでしまった。いつ動くかも分からない電車なんて、一人より二人で待つ方が気楽ってもんだ。
そして私はこの偶然を利用させて頂くべく、恥を忍んで全力で頭を下げた。
「ゆ、杠さま!お金をっ!お金を貸してください!どうか……!」
「……んで、神様仏様、杠様のご厚意で電車賃奢ってもらったってか。はーん?いいご身分じゃねぇか」
家のドアを開けると、本当に千空がそこにいた。
あの後電車は思っていたよりも早く運行を再開してくれて、私たちは普段の満員電車とは比べ物にならないほどすしずめ状態でようやく帰路についた。杠には感謝でしかない。今度お礼しなきゃな、と思いながら帰宅した私を出迎えてくれた千空。
本当に家にいたんだ。この家の家主は彼のハズなのに、居候の私の方が滞在時間が長いことに疑問を抱いていたから、より一層今の状況が珍しく感じる。
「あのね、その件はちゃんとありがとうって言ったし!大雨の中必死の思いで帰ってきた人に一番に向ける言葉じゃないし!千空が出迎えてくれて嬉しいな!」
「あ゛ー、それは良かった良かった。とりまおかえり」
「千空、最後しか聞いてないでしょ」
「おかえりにはただいまだろ」
「ただいま!」
千空がおかえりを言うことも、それに対して私がただいまを返すことも珍しい。普段は逆なのになぁ、なんて雨ですっかり重くなった靴と靴下を脱ぎ捨てながら、そのことに嬉しさを感じる自分がいる。
「ま〜おつかれ。オラとっとと風呂行け。浸かりてぇだろうから沸かしてある」
「やったあ、気が利くう」
「あと……一応メシっぽいものも用意してあるが、有り合わせなもんで期待はすんな」
「ほ、本当!?嬉しい、ありがと千空」
ほら、これもいつもなら私がやることだ。なるほど……いつも千空はこんな気持ちで帰ってきていたのかな。家に好きな人が待ってくれているだけでこの安心感。まあ千空が同じように思ってくれてるかは別として。
バスタオルを投げかけられ、濡れたコートや鞄を奪い取られながら、お風呂に入りたいという気持ちは存分にあるのだが。私の強情な胃袋が、今すぐにでも食糧持ってこい状態であることに気がついた。
「私お腹空いちゃったから先食べたい」
「ずぶ濡れのまま家ん中入るやつがあるか。いいから先に風呂!」
「でもお腹……」
「テメこのやろ」
なんか千空、お兄ちゃんみたい。背高いしかっこいいし。なんだかんだ言って面倒見がいい千空、好きなんだよね。隙あらば惚気。
「ねぇお兄ちゃん、なんでもいいからなんかサクッと食べられるやつない?」
「誰がお兄ちゃんだ……ったく、もうしゃあねぇな。これやっから大人しく従え」
これ、と呆れ顔で懐から取り出したのは、いちご柄の小さな包みだった。飴玉だ。なにこれ?千空が持つには珍しいもののような気がしてしばらく首を傾げていたら、「この前居酒屋入った時にもらった」と教えてくれた。
「え?千空、私が知らない間にいつ居酒屋行ったの。合コン?」
「はぁ〜?んな時間の無駄でしかない集まりに誰が行くんだ。科学部の奴らだよ、ほら高校の……突然同窓会すんぞって大学までカチコミされて無理くり付き合わされた」
「カチコミ……。へぇそうなんだ、未だに仲良いもんね〜せんくう。科学部の皆と」
高校時代を思い出しながら、さっそく飴玉を口の中に放り込む。あ〜美味しい。居酒屋で貰ったのをそのままくれるなんて残飯処理感ハンパないけど。それでも美味しいものは美味しいのだ。鼻からふんわりと広がる良い香りに頬を綻ばせると、ふいに千空に名前を呼ばれた。
「名前、オラ」
人差し指でくいっと手招きされたかと思えば、途端に近づいてくる彼の顔。あ、そういえばおかえりのアレがまだだった。
この大荒れの天気のことも、目の前で電車が止まってしまった災難も、全身の疲れも全部全部どこかへ吹き飛んでしまうような――
「……えへへ。ただいま、千空」
それは甘いいちごの味がした。
千空がこうして出迎えてくれるだけで、こんな日もたまにはいいかなと思えてしまうなんて、随分と都合のいい脳みそをしている。たぶん千空も私のそういうところを見越して、そうやって不敵に笑うのだ。
「ククク……あ゛ーおかえり。さあさ、とっとと体温上げてこい。風邪引くぞ」
あのね〜千空。体温ならもう上がってるよ。