『choke=不安でやらかす、他』
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「Hey!ナマエ?」
ソファーに座ってだらだらとくつろいでいたら、シャワールームから私を呼ぶ声が聞こえてきた。十秒ほど時間を置いてスマホを閉じると、今度は扉を開く音がする。聞こえていないとでも思ったのだろう、さっきよりも随分と大きな声で私の名前を呼んだ。
「ナマエ!こっち来な!」
「・・・なーにスタン、聞こえてるよ」
スマホをテーブルに放り投げて彼の元へ向かうと、そこには風呂上がりで髪を濡らしたままのスタンが立っていた。バスタオルで乱暴に頭を拭きながら、片手にはもう火のついた煙草を装備している。いくらなんでも吸いたがり過ぎるでしょう。せめて髪を乾かしてからにすればいいのに。
いつも通りの彼に小さく笑うと、スタンは頭を拭く手を止めて、洗面台に置いてあった小指ほどの小さな瓶を顔の前に掲げた。
「これ、何?」
「え?なにそれ、知らない」
「そう?ナマエんだと思ったのに」
スタンがそうやって首を傾げた直後に、自分の今の言葉を死ぬほど後悔した。ああしくった。やっぱり『知ってる』と答えておけば良かった。そう答えておいたほうが、なんの疑いもなく今すぐ回収できたのに。
あの小瓶。今、スタンが手に持っている小瓶。あれは私が先日ゼノから譲り受けた栄養剤だ。・・・いや隠さずに話そう。媚薬である。ゼノの計らいでそれっぽいラベルが貼られているので、一見その辺に売っている普通の栄養剤のように見えるが、その実中身は媚薬である。マジのやつ。洗面台に置いていたのをすっかり忘れていた。
「俺こんなん知らねぇし、・・・ホントにナマエんじゃない?」
「知らないよ。ゼノの忘れ物とかじゃない?」
「あーかもな。・・・いや?ゼノが前に来たの一週間前だ。昨日はぜってぇこんなの無かった」
白々しい顔をして嘘をつく私に、スタンは一瞬相槌を打つが、すぐに矛盾に気づいてしまう。ああどうしよう。・・・ああどうしよう。今更やっぱり私のなんて言えない。そんなこと言ったら絶対に怪しまれる。どうして一度嘘をついた?そうやってスタンに少しでも疑われたら、私は彼の尋問によってもれなく全てを話すことになる。
イコール死である。
これが媚薬だということが分かったら、どうして私がわざわざこんなものを手に入れたのか。スタンはそれを知りたがるはずだ。しかもこれは特注品で、ゼノが私のために寝る間を惜しんで丹精込めて作ってくれたもの(嘘です3分程で完成した)。そんなものを、どうして私が持っているのか?
目的はただ一つ。スタンを出し抜く為だった。理由などない。ただ少し興味があったから。いや、スタンは理由なんかよりも、私が媚薬を求めた事実に意識を向けることだろう。
「これ、開いてんじゃん」
そのとき、スタンが小瓶の蓋を開けた。思わず全身に鳥肌が立つ。待って。待って。待って。待て待て待て待て。その手を止めて!無意識に一歩前に出る。指先に力が入る。冷や汗ダラダラ。とんでもない緊張状態だ。そんな私に気づかないまま、スタンは鼻を近づけて中身の匂いを嗅いだ。
「ふぅん・・・なるほどね」
スタンは呟いた。
目を細めて、煙草を咥える。
あ、ああ、気づかれた?
「ナマエ、明日の予定は?」
「えっ、えっと、友達とお出かけ・・・」
「キャンセルしな」
「な、なんで突然そんなこと」
何も知らないふりをして、スタンを見上げる。しかし彼は顔色一つ変えずに右手を差し出し、指をクイと折り曲げる。
「ほら、今すぐ電話。スマホは?」
リビング、と小さく言うと肩に手を置かれ体の向きをひっくり返された。背中を押され、促されるままにソファーに戻ってスマホを手に取る。そして、私はスタンが見ている前で友達に電話をかけて、適当に理由をつけて明日行けなくなったことを伝えた。
「これでいいの・・・?」
「じゃあ、次はシャワーだ」
「え、今日はいいよ。明日入るから」
「明日こそ入る余裕あんの?たぶん立てなくなんぜ」
「・・・どういう意味?」
ここまできて何も知らないふりをし続ける私。スタンはそんな私の心の中を知ってか知らずか、ここぞとばかりに優しい笑みを浮かべた。この見透かされているような、居心地の悪い視線。彼は腰に手を回し、煙草を外して深い深い口付けをする。
しばらくして顔を離すと、私の目の前で先程の小瓶をゆらゆら揺らした。
「待ってっから」
ああ、これは完全にバレている。なんでか知らないがバレている。私は貼り付けた笑顔を返してシャワールームに駆け込んだ。
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よし、逃げよう。思い立ったが吉日、私は体を洗って服を着た後、音を立てないようにドアを開けた。髪は濡れたまま。結局こうなるなら、シャワーを浴びる前に逃げる決断をしておくんだった。
幸い外は温かいので風邪を引く心配はないが、周囲の人の目を集めてしまうかもしれない。けれど、そんなことはどうでもよかった。その前にまずはスタンに気づかれないようにこの家を出ないと。
スタンの家(apartment)はこれまでに何度も何度も寝泊まりしているから、もう勝手は分かっている。どの道を通ればいいのか、玄関の鍵はどちら回りか、階段はどっちの方向かまでを頭の中でシュミレートし、拳を握って意気込んだ。
「よし、これで逃げられなかったら私は死ぬ。逃げられたら私は生きる。・・・よし!」
シャワールームを出て、リビングに顔を出す。電気は消されていた。どうやらスタンは寝室かどこかに別の場所にいるらしい。耳を済ませて様子を窺う。
大丈夫、気配はない。ソファーに置いていた自分の荷物を回収し、リビングを抜けて一直線に玄関へ向かう。後ろを振り返っても彼はいない。ああよかった。このドアを開ければ天国だ。私は生きる!
ほとんどガッツポーズをしながらドアノブを引くと、目の前の壁にスタンリーが寄りかかっていた。
「Hi sweetie.シャワー、思ったより早かったじゃん」
なんで外にいるんだよ。
「ナマエ、どこ行くつもり?勝手に抜け出すなんて悪い子だね」
はああ、やられた。外にいることだけは全く予想していなかった。何も見なかったことにしてそのままドアを閉めると、ずるずるとその場にへたり込む。この時点で私の死が確定した。コングラッチュレーション。イエア。
すぐにドアが開いて彼が顔を出した。玄関に座り込む私のことを見下ろして、「何やってんよ」と至極当たり前を尋ねてきた。私はそれに答えず、スタンに質問を返す。
「なんで・・・外いるの?」
「なんでって、ゼノと電話してたんよ。俺おかしいこと言ってる?」
「いや、ぜんぜんおかしくない」
そっか。そうだよね。電話って外でしたくなるよね。分かるよ。一人で勝手に相槌を打っていると、スタンは私の腕を掴んで立ち上がらせた。
「さあ、行こうナマエ。これからたっぷり愛してやっから」
騙されてはいけない。これは悪魔の囁きだ。しかし私はそれに従うしかない。悪魔から逃げられるとしたら、その時にはもう私はこの世にいないから。
・・・あー何言ってんだろ私。
+
"HELP HELP HELP HELP HELP"
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"Oh….Could it be that you are with your boyfriend?"
(おおナマエ、なんてことだ。もしやスタンと一緒にいるのかい?)
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"HELP HELP HELP HELP HELP HELP HELP HELP HELP HELP"
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"Ahh,don't worry! What’s done is done!"
(ご愁傷さま、気にしたら負けだ)
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スタンにタオルで髪を拭かれながら、私はスマホとにらめっこをしていた。
助けて助けて。マジで助けて。無心にとある一単語を延々とタップし続ける私。送り先は言わずもがなゼノである。しかし向こうは私を相手にしてくれない。いつものことだと思ってるのだろう。助けてってば。
スタンは恨めしそうに、けれど愉しげな様子でスマホの画面を覗き込んできた。
「なに、俺といながら他の男と愉快なやりとりしてんよ」
「なんでもないなんでもない」
「貸しな」
「あっ!」
スマホを取り上げられた。タオルを肩に担いで、片手で何かを素早く打ち込んでいる。ソファーに頭を仰け反らせてその様子を眺めていたら、スタンはすぐにスマホを返してくれた。急いで画面を見ると、やっぱりゼノに変な文章が送られている。
"Hi Xeno! Thank you for the awesome gift the other day! This is fucking cool!!"
(ゼノ!この前あんたがくれたプレゼント、めっちゃ最高!礼言っとくぜ)
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私が普段(ゼノには)使わないハートの絵文字を、わざとらしく連打して。ゼノもこれを送ったのがスタンであると分かったようで、すぐに"HAHAHA"と返事が返ってきた。わらうな。
またスマホがピコンと鳴ってメッセージを知らせる。
"You two are ELEGANT!!!"
(君たちはエレガントだ)―――――――――――――――――
私はそのメッセージを既読無視してスマホを閉じた。