あれから何年経っただろうか……。
風の噂であの男が死んだと聞いてから、出来るだけ外界からの情報を断った事でまさに俗世間と関わることのない坊主達と同じような事になってしまった。
何年経とうと変わらない姿は変わらず見る人からすれば二十代に届くか届かないかと言う危ういラインを保った若々しい美しさを誇っていた。
今や妖怪は肩身の狭い思いをしていることから、この尼僧姿は良い隠れ蓑となった。
姿が変わらない事から、精々二、三年経過する度に転居を繰り返している。まるで自分が八百比丘尼にでもなった気分だ。まあ、あながち間違いではないが。
そのうえ最近では妖力制御装置なんて便利なものまで出来たおかげで意識して妖力を抑える必要もないから助かる。
チョーカーだなんて、まるで自分に首輪をしているようだが私にはある意味似合いなのかもしれない。
尼僧一人旅なんてしていれば最近素行が悪くなっている妖怪に目を付けられるなんて街を出れば日常茶飯事。
「ようようこんな美人の尼さん一人で何してんだぁ」
はやし立てるように下品な口笛を吹く輩までいる。
別に仏道に帰依している訳ではないので殺生なんて気にしていない。
最初の頃は【見て】いる事しか出来ずに何度も意識的に吐きそうになったがもう何十年と妲己が殺す場面を見て来たせいで免疫が付いた。というより見てもそれを当事者としてではなくテレビの画面の向こうのように思う事で自己防衛機能が働いたのだろうと考えるに至った。どこぞの妖刀に取り憑かれた女子高生のようだ。もうそんな内容すら思い出せない。
「はあ……」
同じような台詞はここ数年で聞き飽きた。
「私に気安く触れるんじゃあない、下種が」
「っのアマ!」
「ええ、尼ですが、何か」
裾から普通基準よりも少し大ぶりの扇を取り出し、振りかぶろうとした瞬間だった。
パアンッと乾いた発砲音が何処からともなく聞こえてくると私に襲いかかろうとしていた妖怪の眉間を寸分違わず打ち抜いた。
「いけねえなあ、寄ってたかって一人のオンナに群がるなんてオタクらそんなんだからモテねーのよ?」
「しかも非力な尼さんを狙うなんて、妖怪どころか男の風上にも置けませんよ?」
「とりあえず、ぶっ飛ばーす!」
突如現れたかと思えば群がっていた十人ばかりの男妖怪達を瞬殺と言って良い程の勢いでノしてしまった。
丁度逆行になる場所から現れたその男達の中に、一瞬過去の影と重なってしまうような男がいた。
「こ……みょ……」
その呟きは妖怪の最後の断末魔によって私以外の耳には届かなかった。
「大丈夫ですか?」
モノクルを付けた男が太陽の逆光を後光に立つ男に不意を取られて硬直していると竦んだのかと勘違いしたのか案じるように声を掛ける。
赤髪の男はピュウと口笛を吹くと「マジかよ」と呟いたのが聞こえた。
「こんな美人が尼僧にしておくなんてなんて勿体無え!」
車の傍にいた男はこちらに歩み寄ってくると私の目の前に立つ。
逆光で良く見えなかった男の顔は、垂れ目気味の紫水晶を思わせる瞳に太陽の光を受けて輝く金色をしていた、懐かしい面立ちをしていた。
「テメェ……今迄何処ほっつき歩いていた」
「さて、お会いした事ありましたでしょうか」
「トボけてんじゃあねえぞ、西刹院。いや、紫苑っつった方が良いか?」
前者はともかく、後者の名前を知っているのは限られた人間だけだ。
此処は恍けて逃げようとするのはどうやら無理らしい。
「三蔵、知り合いなのか?」
「そうですか……やはり貴方があの人の跡を継いだのですね……」
「……今は俺が東亜三十一代目玄奘三蔵法師だ」
やはり、と言うべきか面影はあったので察しはついていた。
人間というのは成長が早い。特に子供であれば尚更だ。
この子はもう、あの時の十にも満たない幼い子供ではなく立派な大人の男性に成長していた。変わらないのは私の方だった。
「おいおいサンゾー様よぉ、こんな美人の知り合いがいるんなら俺様にも紹介してちょーだいよ。
あ、俺沙悟浄ってーの♥」
「俺は悟空!」
「僕は猪八戒と言います」
「私は……」
「おい、とっととこんなクセェ所離れんぞ」
「ちょっとちょっと三蔵、自己紹介の時間くれぇくれても良いんじゃねーの?」
「まあまあ、確かにこんな血なまぐさい場所にいつまでもいるものではありませんし、積もる話は移動しながらでも良いでしょう」
八戒さんの提案に結局は押し切られる形で取りあえずは収まった。
四人が移動に使ってきたジープに乗り、次の町までは近い場所らしく車なら一時間も掛からない場所にあるらしいので同行する事となった。
「改めまして、先程は有難うございました。
私は紫苑。法名は西刹院と申します。どうぞよしなに」
「何が法名だ。俺はテメェの名前は何処の寺にも登録はなかった。
どういう事か、説明してもらおうか」
やれやれ、どうやらこの人がいる間はいつも通してきた誤魔化しは効きそうにない。
「確かに、私は仏道に帰依した覚えはありません。
ですが西刹院と言う名を賜ったのは事実です。
私がこうした姿を取っているのも、一重にこの【西刹院】という尼僧である為。ご聡明な貴方様であればご理解頂ける事でしょう」
「…………。
女一人でこの砂漠越えか」
「ご心配無く。伊達に一人旅をしていませんから」
「ほあー。ってことは姉ちゃんつえーのか!?」
そこは笑って誤魔化しておく。
バレると後から面倒になる事は解っているからだ。
「あ、そろそろ街が見えてきましたよ」
五人を乗せたジープは日が暮れる前に街へと辿りつく事が出来た。
結局何かの縁だと言う事でその日は夕食から泊まる宿まで同じだったわけだが、その夜他の三人が寝静まった頃に私の部屋へ訪れる者が一人。
「テメェ、今まで何処ほっつき歩いていた。あの後寺がどうなったかくれえ風の噂くらいは耳にしているだろう。それに十年以上経っているってえのに俺の記憶と寸分変わらねえ姿をしていやがる」
「そう質問を一気にされてもまとめては答えられませんよ。
一つずつ、貴方の疑問には答えてあげましょう。
まず一つ目ですが、貴方は私に言ったではありませんか。
【何処の寺にも帰依していない】と。まったくもってその通りです。
私には行く宛も帰る場所もありません。なので旅の修行僧という形を取って色々な場所を放浪していました。
二つ目の質問ですがこれは私の耳にも届いてはいました。
ですから、私はあの寺へ行く事は出来ませんでした……。
最後の質問ですが、それはもう解っているのでは?」
「質問を質問で返してんじゃねえ」
やれやれ、と肩を竦めれば険呑な眼差しがこちらを射抜く。
「……私は、妖怪です。だから人間の貴方とは歳の取り方が違うんです」
やはりか、というようにフンと鼻を鳴らした。
「目的は何だ」
「目的、と言われましても……ああ、でも安心して下さい。
私は今この桃源郷で起きている異変には影響されませんので、貴方達を狙うような真似はしませんから。
敢て言うなれば、果たすべき約束が失われてしまったので、目的を探す為に生きていると言ったところでしょうか」
「まるで死に場所を求めているような言い方だな」
「あながち間違いではありませんね」
「だったら、テメェの命俺の為に使え」
「横暴ですねえ」
呆れたように言えば、今、目的があって旅をしていると告げられた。
今は亡き光明三蔵が守護していた魔天経文と聖天経文の内の一つである聖天経文が奪われ、それが天竺にある吠登城に葬られたはずの牛魔王の組成実験に使われているのだという。
封印実験の阻止及び桃源郷における妖怪の自我の喪失を追求する為に西へと旅をしていると言う事を教えられた。
「その旅に同行して力を貸せと?
まあ、特にする事はなかったので構いませんが」
「あとその喋り方をやめろ。昔に戻せ」
「あ、やっぱり駄目ですか?
やはり尼僧の真似なんてやっていると人間に混じって誤魔化すにはこれが丁度良かったんですよ。光明の影響ですかねえ。
ま、気が向いたらそうしましょう」
「だからやめろと言っている。
あいつらには俺から言っておく」
相変わらず、根本的な所は変わっていないと思えた。
それが少しだけ安心してしまったとは、決して口にはしないが明日からは大変だろうなあなどと思い、一人残された部屋で思わず笑みを零した。
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