Encounter 1
「・・・あのう、千百合ちゃん。」
「ん?」
「つかぬ事をお伺いしたいんですけれど。」
「うん。」
「あれ、良いんですか?」
「?どれよ。」
「幸村君の事、皆の前で幸村君って呼んでらっしゃいますよね。」
「それか。」

移動教室の帰り道。

社会科資料室から教室へと戻るべく歩いている途中、紫希が徐に聞いてきた。

「だってさあ、なんかこう、ほら、ね?」
「分かりますけれどね。千百合ちゃんと、幸村君が良いのなら構わないんですけれど。」
「・・・いやまあ、うん。紫希の心配はその通りなんだけどさ。」

千百合と幸村、2人が構わないのなら、誰の前で幸村呼びしようが精市呼びしようが紫希は構わない。
が、幸村は今の所、千百合がクラスなどで精市と呼んでいない事を知らないし、千百合も知らせていないのだ。
スクールとの交流時でさえ、真田の前では迷った挙句、「ねえ」とか「ちょっと」とか言って、幸村を呼ばないで乗り切ってきた。

「どうも恥ずかしくてね。」
「お気持ちは分かります、とっても。」
「分かってるのよ、精市が気にするかなー、とかはさ。」

(それもありますけれど、もう1つの方が少し気がかりなんですよね・・・)

もう1つの方。

それは、入学してまだ幾らも経っていないというのに、早くも幸村精市という人物が学校で有名人になりつつあるという事だった。

なんせ美形で成績優秀、テニス部でも早くも一目置かれているらしいと、皆が話す声が聞こえてきている。

今はまだ今年度のレギュラーは決まっていないが、その時がくれば幸村はレギュラーになるのではないかと紫希は踏んでいた。
1年にして「常勝」を掲げる立海のレギュラーだなんて、もうそれだけで女子からは騒がれる要因だ。

だから、余計なトラブルを避けるという意味でも、名前呼び程度の「お付き合いしています」アピールはしても良いのではと紫希は思っていたが。

(まあ本人がこう言ってるんですし、幸村君本人が千百合ちゃん以外に興味がありませんから・・・)

心配のし過ぎかな、と思いながら話を変えようとした時。

「・・・あ。」
「ん?・・・うーわ。」

噂をすればなんとやらだ。

廊下の壁に凭れかかって顔を寄せて話し込んでいるのは、件の幸村とそれから真田。
後、知らない男子が1人。

「ご、こめんなさい!なんだか、タイミングの悪い話題を・・・」
「いや、良いよ。避けては通れないし。それよか、あっちの男子知ってる?」
「いえ、全然。」
「うーん。彼奴スクールでも見た事無いな。」

でもまあ、十中八九テニス部の誰かだろう。
体格からして、同級生だろうか。

「それじゃあ、此処は・・・あ、千百合に春日。」
「む?」

気づかれたか、と千百合が隣で呟いたのが聞こえて紫希は苦笑した。
自分は兎も角、千百合に幸村が気づかないわけがあるまい。

「今戻って来たのかい?」
「紫希が資料の片付け当番でね。」
「手伝って貰っていたんです。」
「待て、今日の当番はもう1人居たのではなかったか?」

真田の記憶では当番は2人居た筈で、しかもそれは千百合ではなかった筈だ。

「あ、佐野君は先に戻ってしまっていて・・・」
「彼奴は・・・たるんどる!」


「佐野恒雄、1年C組出席番号17番。座席の位置は窓側から4列目の、前から2つ目。」


「え?」
「性格は明るく陽気な反面、少々忘れっぽい所が目立ち、入学してからこれまで、もう2度程忘れ物をし、1度課題提出を忘れている。ただ、悪気は無い性格のようだから、次からは授業の直前に一声かけておくと、ちゃんと当番をこなしてくれる確率は78.9%になる。」

いきなり訥々と話し出す見知らぬ男子に、思わずポカン顔になる紫希と千百合。

「お・・・教えて頂いて有難う御座います。」
「いや、大した事じゃ無い。」

紫希などは律儀にも礼を言うが、千百合は正直、失礼と思いつつびっくりが先行してしまう。

「誰、この生きたデータベースみたいな奴は。」
「生きたデータベースか・・・言い得て妙だな。」
「そうか、2人は知らないんだね。彼はテニス部の同級生なんだ。」
「柳蓮二だ。宜しく頼む。」
「あ、春日紫希と申します。」
「黒崎千百合だけど・・・あんた、私達の事も知ってるんじゃないの?」
「名前、クラス、出席番号は全員の物を記憶している。とはいえ、女子のデータはそれ以上は収集していない。部活に関係ないからな。」
「部活にデータが関係するんですか?」
「柳はデータテニスが得意なんだよ。相手の性格や得意不得意、クセなんかを蓄積して、勝率を上げていくんだ。」
「へえ・・・」
「そんなのがあんのね。」

全然知らない世界である。

「でも、理屈は分かるけど大変そうよね、それ。」
「頭が良いんですね、柳君。」
「そうだね。柳のデータに関する徹底ぶりには、目を見張るものがあるよ。」
「テニスそのものの技術も優秀だ。遠くない未来、テニス部の参謀になるだろう。」
「2人とも、それは褒め過ぎだ。至らない所も多いし、このやり方が性に合っているから出来ているに過ぎない。」
「でも・・・好きこそものの上手なれ、ですよ。」

「・・・・・・」

自分でも知らぬ内に、千百合の教科書を持つ右手に、ほんの少しだけ力が入った。

「春日の言うとおりだな。技術の底上げは大切だが、自分に向いた方法を知っている者は伸びやすいのだから、活かさぬ手は無い。」
「そうか?そう言って貰えるのなら有難いのだが。」
「頼りにしているよ、柳。・・・千百合?」
「あ、え?ごめん、何?」
「いや、何という事はないけれど、どうしたんだい?具合でも悪い?」
「いや、ううん。なんでもない、ちょっとボーっとしてただけで。」

(ボーっとしてた?)
(千百合ちゃんが?)

自分達の中でも、特にいつもピリッとしたしっかり者の千百合。
その千百合が意味もなくボーっとしてる事などあるだろうか。
しかも1人の時であるとか暇な時であるとか、そういうわけではない。
人と話している真っ最中だ。

勿論、本当にそういう事もあるだろうが。

「・・・春日、次の時間はなんだい?」
「国語です。」
「なら、移動は無いね。保健室に行こう、千百合。」
「ちょ、ちょっとそんなの良いわよ!」

幸村に手を取られたと思ったら、右手から教科書の抜けた感覚がした。
紫希が千百合の教材を引き受けたのだ。
こういう時の息の合い方は流石に幼馴染で、感心すると同時に厄介だったりもする。

「本当に大丈夫だって。」
「良いから。」
「良くないわよ。」
「千百合ちゃん、行ってなんともなければ帰ってきたら良いですよ。ね?」
「う・・・」

それはそうなのだが、気恥ずかしい。
大袈裟なのは苦手なのだ。

とはいえ、幸村と紫希にタッグを組まれると分が悪い。
自分があまり強く出られない人間の2TOPだ。

「・・・分かったわよ。」
「じゃあ、春日悪いけど。」
「ええ。先生には言っておきます。」
「なら、幸村の教科書や連絡は俺が引き受けておこう。」
「有難う、2人とも。頼んだよ。」

そう言い残すと、幸村は千百合の手を引いて保健室へと向かった。

当たり前と言えば当たり前だが、例え片方の具合が悪かったとて、男女が手を繋いで学校をうろつくという事はまま見る光景とは言い難い。

すんごく目立つその光景に、しかし幸村にはそんな事どうでもいいのだろうなと思うと、紫希は微笑ましく思う感情が湧いてしまうのだ。
千百合にはある意味災難だろうが。

「・・・前々から思っていたが、幸村は黒崎千百合に過保護なのではないか?」
「ある程度は仕方ない。あの2人は恋人同士なのだから。」

(そんな事まで知ってるんですね・・・)

これは柳の情報収集能力の高さゆえか、それとも幸村が公言しているのか。
多分両方だと思われるが。

「しかしそれを差し引いてもだな。」
「恋愛とはそういうものだ。合理的な判断は本人には出来ない。」
「むう・・・」

「・・・・・」

柳の言う事は当たっている、と思う。
恋は盲目と昔から言うが、盲目とまで言わなくても幸村は千百合に対して少々度が過ぎる事があるし、それを「それでも別に良い」として、直そうとしていない節がある。

ただ。

それはそれとして、千百合の事に関しては幸村は間違えない。
それも又事実である事を、紫希は知っていた。

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