Escape 1
「面白い婆さんだったな。」

店から出てタクシーに乗ると、開口一番跡部はそう言った。

「そうそうっ!跡部君、何かさっき笑ってなかったっ?笑うような所なかったと思うのに、」
「バーカ。おれは面白可笑しくて笑ってたんじゃねえよ。ああ、其処を左折しろ。」

「あ、は、はい!」

「もう、跡部君っ!」

再度言うが、2人が乗ってるのはタクシーである。お抱えのリムジンじゃない。
運転手は跡部と全く関係ない只の一般人なのに、やたら偉そうな中学生から命令口調でああしろこうしろ言われて、よく怒りださない物だ。

「・・・で?じゃあどうして笑ってたのっ?」
「お前、あの婆さんをどう思った?」
「へ?どうって・・・」

どう。
どうと言われると。

「・・・気の毒だなあ、って。」
「どの辺が?」
「だって、旦那さんが・・・お金とお仕事の話ばっかりで、酷い人で・・・」
「それで?」
「・・・それに、あのお婆さん自分がお年寄りだ、って凄く意識してたでしょっ?老い先短い、みたいな事言って・・・なんていうか、どう励ましたら良いか、」
「ハハハッ!」

跡部はそれこそおかしそうに笑った。

「なっ!何がおかしい、」
「あのな。そもそも、あの婆さんはそんな殊勝な人間じゃねえ。」
「え?」
「立派だとは思う。だが、哀れまれるような人間でも無ければ、励ましが必要な人間でもねえよ。」
「どうしてっ?」
「先ず、看板。」
「看板?」

可憐は、「A&E's House」と書かれた表看板を思い出した。

「・・・そういえば、あのお店のA&Eってなんだろっ?あっ!もしかしてお婆さんと旦那さんのイニシャルとかかなっ?」
「はずれだ。」
「や、やっぱり・・・」
「だが、良い所は突いてるぜ。」
「え?」
「良いか、AはAliceだ。EはEdith。つまりあそこの名称は、「アリスとイーディスの家」という名前になる。」
「・・・・・・・?」
「まだピンとこねえか。なら、オルゴールの曲を思い出せ。」
「オルゴール?星条旗よ永遠なれ・・・あっ!」

星条旗よ永遠なれ。

アリス。
イーディス。

「テディ」ベア。

「大統領だっ!セオドア"テディ"ルーズベルト大統領だねっ!アリスもイーディスも、奥さんの名前だよっ!」
「そうだ。で、今一度考えてみろ。」
「?」
「扱っているのはテディ・ベア。じゃあ何故、Theodore's Houseにはならねえんだ?」
「あ。」

確かに。

ベアが差しているのが大統領ならば、何故家の冠に妻の名前を。

「・・・あれっ?奥さんの名前?」
「そうだ。つまり、あの店は夫の思い出を保管する妻の家。あの婆さんは、色々言っちゃいるが、亭主に対して悪い思いだけ抱いてるわけじゃねえんだ。」

きっと、まだ愛していて、愛し続けている。
結婚なんて、とぶちぶち言いながら、半分本気でもう半分はただ拗ねているのだ。

「その口で大嫌い、だと。笑うなって方が無理ってもんだぜ。」
「成程・・・」
「序に言うと、あの婆さん。自分が老い先短い事は確かに覚悟しているが、ひっそり静かに死ぬような性格でも無い。」
「それはどうしてっ?」
「言ってただろ。『何時か私が消えゆく』ってな。死ぬとは言ってない。消えると言ったんだ。」
「?同じ意味じゃないのっ?」
「Old soldiers never die, but fade away.」
「・・・えっ?な、なんてっ?」
「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ。ダグラス・マッカーサーが演説で引用して、一躍有名になったフレーズだが、意味は分かるか?」
「え?ええっと・・・戦死はしないで生き残って、それで死ぬ前に引退する?みたいなっ?そんな感じかな・・・」

「違う。これは、体が死んでも自分の魂は永遠に生き続ける。そういう意味なんだ。」

例え老いて死んで、体はこの世から消えてしまっても。
でも自分の魂は、心は、誇りは、生きている人々の胸の中に。この国に、故郷の町に。必ずどこかに生きて、生き続けるであろう。
この一節は、死して尚自分の事をこの世から消し去らないという、強い意志が込められているのだ。

「あの婆さんは、めいいっぱい生きるつもりだぜ。例え死んだ後でも、主義主張を曲げるような事はしねえ。」
「そっか・・・強い人なんだね。」
「わかったか?少なくとも、お前に心配されるほど弱弱しい年寄りでも何でもねえんだ。敬うのは良いが、ああいう人間をみだりにいたいけな年寄扱いしてると、何処かで失敗する。覚えておけよ。」
「はあい。」

他の人ならいざ知らず、やはり跡部にこういう事を諭されると説得力があると言うか、そう言うなりの理由があるのだろうなと思う。
だからこうやって、素直にはいと言って従う気になる。

こういう時、可憐は跡部がとても遠くなる。
距離を感じるとかそういう意味ではなくて、自分が過ごして来た時間と同じくらいだけ生きてきた中で、跡部は自分の10倍、20倍の物を見聞きして、経験しているのだろうという、そんな感覚。
ああ。跡部から見たら、自分なんて凄く子供なんだろうな。と思ったりするのだが。

だが、同時に。

「そろそろ見えて来たな。」
「えっ?」
「次の家出先だ。降りる準備をしておけ。」

不敵に笑いながら、家出の話を崩さない。
こういう跡部を見ると、ふっと遠く見えた距離感がぐぐっと近づき直す。

ああ、我が王は忙しない。

「・・・えへへっ。はあーいっ!」



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