100話記念企画 No.059
「・・・・・」
昼食後、紫希は一人で購買に向かった。
お菓子が欲しかった。
少しで良いし、何でもいい。今日に限って何も持っていなかったけど、こんな気分の時は甘いもので少し落ち着くことを紫希は甘党ゆえに経験から知っていた。
キャンディーにしようか、チョコレートにしようか・・・とか考えながら目的の購買に到着して顔を上げた。
「・・・・!」
心臓が大きく跳ねた。
噂の当人が、今目の前で涼しい顔して食後のパンを選びに来ている。
「ん?春日?」
「あ・・・・お、お疲れさま、です・・・」
「おう!」
そう言って笑って片手を上げる丸井は、どこまでもいつもの丸井だった。
転校の話なんて微塵も感じさせない。(というか、元々ないから当たり前といえば当たり前だが。)
「購買来るの珍しいじゃん?飯?あ、ルーズリーフとか?」
「あ・・・お、お菓子、を・・・」
「お、そうそう!新作出てるんだよ、キットカットの夏限定フレーバー!さっき見たんだよな、えーとこっちに・・・あった。ほら!」
実に楽しそうに、新作のキットカットを手に取って見せてくる丸井。
普段なら紫希も目を輝かせて話に乗る所だが、今日は楽しそうな丸井に、却って沈んでいた気持ちに磨きがかかった。
こんな時間も、転校していったら無くなるのだ。
失うものの大きさを目の前にまざまざと見せつけられているような気がして。
「それで・・・春日?」
「!は、はい・・・」
「・・・どうした?何か顔色悪くねえ?」
「い、いえ、別に・・・」
「別にって感じじゃねえだろい。」
どう見ても普段通りとは言えないのは、今会ったばっかりの丸井にも分かる。
体調が悪い・・・というよりは、心理的な何かみたいな気がするが。
「俺何かした?」
「ち!違うんです、そうじゃなくて、その、あの・・・」
もし、だ。
もし聞いてみて、うん転校することに決めたよと言われたら最後、もう聞かなかった事には出来ないのである。
おまけに全寮制。多忙な現在の状況とか時間的なあれこれを考えると、ほぼ絶縁に近い状態になる可能性が非常に高い。
しかし反面、もし本当に転校するのなら、聞こうと聞くまいといずれその時はやってくる。
それなら知らぬ存ぜぬを必死に決め込んだところで、果たしていかほど意味があるのかという気もする。
ああでも、聞いたら聞いたで丸井の思考のノイズになるかもしれない。
邪魔はしたくない。
でも。でも。
(もし、もし本当に転校だったとして、)
そうだとすると、それまでの有限の時間を自分は見ざる聞かざるの姿勢でずっと付き合うのか。
それは嫌だった。
そうするくらいならちゃんと向き合いたいという思考が、閉じていた紫希の口を開かせる。
「あ、あの・・・」
「うん。」
「・・・丸井君、が、」
「俺が?」
「・・・全寮制の所に、転校を考えてるって、聞いたんですけれど・・・」
「・・・へ?」
何の話をしている。
と、一瞬丸井は思った。
一瞬だけ。
その次の瞬間には、直ぐに心当たりに行きついた。
今日一日、今に至るまでの昼までの間に、何度「全寮制」という言葉を言ったり聞いたりしたかしれない。
それを踏まえると、どうしてこんな事を聞かれてるのかは大体察しがつくというもの。
「何か勘違いしてねえ?」
「え・・・?」
「確かに俺、今朝寮の話してたんだけど。でも、「もしも行くんだったら」って話してただけで、別に他所の学校に行ったりとかしねえからな。」
「・・・本当ですか?」
「本当。」
はああああ、と紫希は大きく溜息を吐いた。
良かった。
本当に良かった。
「誰から聞いた?」
「あ、ええと、直接はクラスの友達から・・・でも、その子もそういう噂があるとだけ。」
「多分五十嵐のせいなんだよなー。彼奴が早とちりして、ブンブン転校しちゃうのー、とかでかい声で言うもんだから。」
「ああ、それで・・・」
その部分だけ聞いた誰かが噂の発端になり、最終的にこんな事になったのだ。
最も、噂というほどの噂でもなかったけど。冷静に考えると、聞いた日の昼にはこうして誤解が解けているので。
「でも、本当にホッとしました・・・」
「ははは!そんな怖かったーーー」
「勿論ですよ!」
食い気味に即答する紫希に、聞いた側の丸井の方がちょっとたじろぐ。
「・・・そう?」
「そうです。私、丸井君と過ごすのがとっても好きなんです。こうして休み時間にお話したり、休みに一緒に遊んだり、学校で顔を合わせたり・・・丸井君とのそういう時間が、これから全部なくなるのかと思って残念で寂しくて・・・丸井君の進路に口出しする権利なんてないのは分かってるんです。テニスの為なら仕方ないとも思いますし、でもそれはそれとして本当に怖くて・・・単なる転校ならまだしも、全寮制となると本当に縁遠くなりそうで・・・」
ああ良かった本当にとホッとする気持ちと、それはそれとして、恐怖と入れ替わりに今度は羞恥心が湧いてくる。
「ごめんなさい、何だか私、噂に振り回されて一人で勝手に沈んでバタバタしてしまって・・・」
「・・・・・・」
「後で千百合ちゃん達にも謝まっておきませんと、今日一日、私凄く気もそぞろで態度が悪かったですから・・・丸井君?」
「・・・ああ、うん。」
「?」
お前今すごく恥ずかしい事言ったの分かってる?
と聞きたい気持ちがちょっとあるが、聞かなくても返事には想像がつく。どうして恥ずかしいんですか?と聞き返してくるに決まってるのだ。
お前俺の事大好きだな、とか軽口なんて叩いてみろ。当たり前です大好きですよ、と恥じらい一つ見せず大真面目に言ってのけるに違いない。
身内に対しての好意の表現に何を恥じらう事があろうか、と普段から思っている紫希の性格は、こういう時丸井をとても困らせる。
何て返したら良いのかわからなくなる。
嬉しいのは確かなのに、普段なら特に何も考えずともポンポン出てくる言葉が急に出にくくなってしまって。
「じゃあ、私教室に帰りますね。お邪魔しました。」
「え?」
「え?」
「お菓子は?」
「あ・・・その。そもそも、気分が沈んで仕方なかったので、気分転換に甘いものが欲しいと思って、それでここに来たんです。もう解決しましたし・・・丸井君はお昼がまだなんですよね?お邪魔になるといけないので、このまま戻ります。」
本当にこの春日紫希という女の子は、さっきあんな事を言っておいて、その舌の根の乾かぬ内にこういう事を言い出す。
「転校するって嘘吐いといた方が良かったかなー。」
「ええ!?ど、どうしてですか!?」
「さあな。取り敢えず、折角だからデザート付き合ってくれよ。お前お菓子どれにする?これ?あっちのやつ?」
「え?ええと、ええと・・・じゃあ、これで・・・あ!待って、どうして持っていくんですか!?」
「え?払うから。」
「どうしてですか!」
「ビビらせたお詫びって事で?」
一人で怖がって振り回されて、と紫希は言ったけど、実際どれだけ怖かったか丸井は想像がつく。
だって、今日自分もそれやったもん。
もし立海が全寮制だったらとか考えて、もし今みたいな日々が無かったらと想像してみて、何その楽しくなさそうな感じ、と思って。
考えてみても何も+になる事はなさそうだったからあっさりその想像は打ち消したけど、紫希は朝からさっきまで、ずっとそれが現実になるんだと思ってあれこれ考えていたわけだ。
そりゃあ怯えてもしょうがないと思う。思いつめるタイプの紫希なら尚更。
「そんなの、私が勝手に怖がってただけで、」
「じゃあ厄払いにしとくか。ん?厄払いってこういう時に言うんだっけ?」
「厄・・・?」
「ま、お互い寮とか行かないでいようぜ?って事だよ。
俺だって、お前と同じくらい一緒に居たいし。」
それを聞いてびっくりした顔になる紫希。
未だにこのタイミングで驚くようなこの子を置いて寮なんかに行ったら、それはもう実質絶縁になってしまうような気しかしない。おお怖。
やっぱり厄払いで合ってそうだな、とか思いながら、丸井は自分の分のお菓子も籠に入れ始める。
「なあ、こっちとこっち、どっちが食いたい?」
「え?ええと私なら、こっちが・・・って、そうじゃなくて、返して下さい!」
「はいはい、会計終わったらな?」
「それじゃ遅いんです・・・!」
こうして丸井と紫希は少なくとも今は、目の前のこの時がなるべく長く続くようにと願ったのだった。
しかし厄払いとかいう丸井だが、その丸井はーーーというか未来の立海テニス部レギュラー勢は、これから先で思いがけず寮生活に踏み切る事になる。
寮なんて、というには余りにも名誉で、余りにも得るものが多い形で。
そんな未来がある事はまだ想像もつかない、初夏の頃の事だった。
100話記念くじびき企画
お題:No.059 寮
くじ結果:52秒→2:主人公1×丸井
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