5万打記念企画 No.065
「じゃあ、今日もよろしくね。」
「ああ、うん・・・」
そう言っていつものように構えて椅子に座る。
そうして幸村もキャンバスの向こう側に座り、筆を走らせる。
のが、いつもの流れなのだが。
「・・・千百合。」
「何。」
「気のせいかもしれないけれど、何か俺に言いたいことなんかはないかな?」
柳は巷で妖怪悟りと言われているらしいが、千百合からすればこの恋人の方が悟りに近い。
決まりが悪いことも度々あるけど、それよりも今みたいなーーー言いたいことはあるけれど自分から話を振りにくい時、とても助かる。
「・・・その絵さ。」
「これ?」
「そう。こないだからちらちら見てるけど。」
「うん。あ、もしかしてどこかおかしいかな?それとも何か希望がある?」
「いやそうじゃなくて。その絵ってさ、あのー・・・文句って意味で言うわけじゃないけど。」
「うん。」
「私、ほぼ見えてないよね。いや、見えてるけど。」
幸村の描こうとしているものは、そもそもテーマとして鏡面体。
フルート。
夕日に輝く銀の笛。
それがメイン。
つまり、持っている千百合はおまけ・・・とまでは言わないが、フルートの引き立て役である。あくまで主役は千百合の手の中にあるこの銀色の横笛であって、千百合は添え物。対等ではないし、ましてこの笛を押しのけてメインに描かれるものじゃない。
幸村は美術のセンスとしてそれをよくよく承知していて、それ故に最初からずっと逆光のアングルでこの絵を描いていた。
銀の笛は夕日に照らされて美しい照り返しがよく描かれているが、持っている千百合自身は逆光になる存在として、ただの影にしかなっていない。
勿論よくよくちゃんと見れば千百合自身だって描かれているが、ぱっと見ただけでは人間型のシルエットでしかないだろう。
それは良い。
ちゃんと自分だと識別できるように描けとか、そういう注文があるわけじゃない。
今の主役はこの銀の笛である事くらい、千百合だって最初から分かっている。
そうじゃない。
本題として思ったのは、だ。
「これ持ってるのが私じゃないと駄目な理由って何?」
千百合は手紙を読む以前に、こういう絵であることを知っていた。
だから反射的に頭を過ったのだ。
代わっても確かに、幸村にとって支障はないんじゃない?と。
どうせ影にしかならないんだし、体格とか髪型とか、おおよそのシルエットが被っている女子であれば、別に良いんじゃないか。
元よりこの銀の笛の添え物だ。ハンバーグ頼んでステーキが出てきたら話が違うだろうけど、ハンバーグに添えられてるものがニンジンのグラッセだろうがポテトサラダだろうが、ハンバーグはハンバーグ。
それと同じで、添え物の千百合が他の誰かでも、この銀の笛は今と変わらず輝くと思う。
拗ねてるとか自己卑下とかじゃなくて、千百合は純粋にそう思う。
少なくとも自分が描く側ならそう思うだろう。別に誰でも一緒だし、と。
「・・・・・・」
幸村はキャンバスの向こうで黙った。
何か考えているのか、単純に言葉に詰まっているのか、それは今は分からない。
「・・・千百合は今、こういう風に描かれるなら誰だろうと大差ない、って思っているんだね?」
「うんまあ。」
「そう。うんでも、正直なところ、最悪誰か他の人でも完成はすると思うよ。」
やっぱりそうか。
まあそうだろう。構造的にそうなるようになっているから。
「ただ。」
「ただ?」
「それは俺の描きたかった絵じゃないから、完成させる意味はもうその時点で消えているかな。」
ぺた、と筆の音が聞こえ始めた。
「だから、もし千百合がその役をやってくれないのなら、俺はもうこの絵は未完成という事で、しまい込む事にするよ。」
「それっておかしくない?」
「どうして?」
「だってメインは別に私じゃないわけじゃん。」
千百合は一番最初からそう聞いていた。
描きたいのは、この銀の笛。
「別にパセリの古いのが新しいものにとって変わったからってさ。」
「特に変わらないって?」
「うん。」
「確かに、見る人には変わりないかもしれないけどね。」
「・・・描く側には変わるわけ。」
「うん。まあ有体に言うとやる気がなくなるかな。」
今幸村がどんな表情をしているのか見られない事を、千百合はとても勿体ないと思った。
幸村が何に対してであれ、「やる気がない」などと発言するのなんて年に1回あるかないかだ。
「・・・やる気。」
「ふふっ!ちょっと言葉が悪かったかな。もっとちゃんと言うと・・・そうだね、気持ちが入らない、みたいな感じかもしれない。」
「・・・・・」
「俺はそうしてる千百合が美しいなと思ったから描きたいと思ったんだ。別にフルートを持ってさえ居れば誰だってよかったわけじゃない。描けって言われれば描けるけど、俺はそれはもう描きたいとは思えないかな。」
「・・・そういうもの?」
「そうだよ。何かを作るとき、やる気っていうのは出来栄えに大きく影響してしまうからね。」
千百合は自分で何かを生み出した事がない。
だから紀伊梨や紫希がモデルを交代しろの手紙を読んで、それだともう全部おじゃんになっちゃうんだよ分からないかなあ、みたいな事を口を揃えて言い出した時に、そうか?としか思えなかった。
それこそ、2人して自分に気を使わなくても良いのにとか思っていた。
幸村的にはとんでもない話である。
芸術であれ何であれ、人が何か良いものを生み出すときにはそうしたいと思う気持ちが必要不可欠だ。
閃き。情熱。愛情。インスピレーション。
それに対して代替品で妥協するなんてーーー出来なくはないけれど、それはもう当初欲しかったものとは完全に別の代物になる。
幸村はこの銀の笛に、同じように時に柔らかく時に鋭く光るこの少女が似合うと思ったのだ。
どこかの誰か、他の人ではなくて。
千百合が良い。
千百合だけがそこに今居ていい存在で、千百合だからキャンバスに留めておきたい。
自分の線で。
「どう?こういう理由じゃ駄目かな。まあ単なる我儘だろ、って言われたらそれまでなんだけれど。」
声音に楽しそうなものが混じる幸村は誤魔化せない。
例えこの夕日がどんなに濃いオレンジでも、幸村は千百合の頬も同じ色に染まっている事を見抜いている。
せめて少しでもこっちから意識が逸れますようにと千百合が少し体を動かすと、銀の笛がより一層絶妙な角度で輝いた。
キャンバスの向こうから、ああ良いね、とため息にも似た嬉しそうな声が聞こえた。
5/5
[*prev] [next#]
[page select]
[しおり一覧]
番外編Topへ
TOPへ