5周年記念企画:あの空に
それから1週間くらい、千百合は美術室に行き続けた。
義務はない。
ただ、なんとなく行く気分になったから行くのを、何度も繰り返した。
滞在時間はまちまちだった。
10分くらいのときもあれば、1時間くらいのときもあった。
とはいっても、別にずっと話すわけじゃない。
千百合は絵が進んで行くのが面白いから、黙って見てることの方が多かった。
その間、幸村は進んでいろんな話をしてくれた。
でも、未だに出てこない話がひとつあった。
今日も千百合は美術室に来ていた。
最初こそ皆、何あの子的な目で見てきたが、最近は何も言われなくなった。
「・・・・ねえ。」
「うん?」
「・・・・・」
「ふふふっ!」
そう言って振り返ると、その間幸村は手が止まる。
そうなる度に進行が止まって、千百合はちょっとだけ眉間に皺が寄る。
その顔を見ると、何故か幸村は笑って、また向き直ってから話を続けてくれるのだ。
何度も同じことをやってるのに、未だに覚えないのは何故なのか、千百合はさっぱり解せない。成績が良いんじゃなかったのか。
「ごめん、ごめん。どうしたんだい?」
「・・・・嫌なら無視してくれて良いんだけど。」
「うん。」
「あんた、何でテニスしないの?」
ぴた。
と幸村の手が止まった。
しまった。
まずかったか。
と思ったが、振り向いた幸村の顔は、気まずいことを聞かれたという表情ではなかった。
代わりに、信じられないとでも書いてありそうな、驚きの色が見て取れた。
「・・・・何。」
「・・・ごめんね、びっくりして。そんなことを黒崎さんに聞かれるとは、思ってなかったから。」
「何で。」
「実は、黒崎さんのこと、ちょっとだけ聞いたことがあるんだ。」
「私?」
「うん。部活に入ってないって。でも何でもそつなくできる子だから、いろんな部活に声をかけられる。けど軒並み袖にしてるって。」
「ああ。それはまあ。」
それは本当だった。
千百合は、暇ならうちの部活に入らないか的なことは、何度も言われたことがある。
でも断る。
嫌だ、面倒だもん。
「だから黒崎さんは、テニス部みたいなガツガツした部活は嫌いかと思って。」
「うん。あんまり好きじゃない。」
「ふふっ!やっぱり。」
「でも、別に大嫌いってわけでもないよ。」
「そうなのかい?」
「単純に、そこまで良く知らないし。」
興味が無かった。
縁もないし、縁を作ろうとも思ってないし。
でも今は。
「・・・それで?」
「うん?ああ、どうしてテニスしないのか、だったね?これ。」
「?」
幸村は、右足のズボンをちょっとだけ引き上げて見せた。
覗く足首に包帯が巻かれてるのが見える。
「・・・・折れてるの。」
「ううん、捻挫だよ。でもやっぱり、走ったり筋トレしたりはまずいから。」
だから、治るまでテニスはできない。
なるほど。
「・・・じゃあ、治ったらもう絵は描かないの。」
「ううん、そうだなあ。趣味だから家では描くと思うけど、確かに学校で描く機会は減るだろうね。美術の授業くらいかな?」
そこまで言い終えると、幸村は顔を上げて千百合と目を合わせた。
「惜しいと思ってくれる?」
その笑顔は、初めて見るタイプの顔だった。
いつもの優しい微笑じゃない。かといって、おかしそうに笑ってるでもない。
これはそうー−−悪戯をしているようなときの笑顔。
千百合が惜しいと思っているのを、見透かしている顔だ。
大体こういう時、その辺の奴に言われると千百合は不愉快になる。
か、兄や紀伊梨相手だと笑ってばーか、とか言ったりする。
でも、幸村相手にはそのどっちもする気になれなかった。
「・・・ふふっ。うん。惜しい。」
多分幸村は、千百合が惜しいと認めても、それで偉そうに振る舞ったりしないだろう。
でも、ばかって言うのも違う気がする。幸村がバカどころか聡い方なのは、もう十分わかっている。
だから笑って認めると、幸村は目をまるくして、その後視線を彷徨わせた。
「何?」
「ごめんね、ちょっと待って・・・・」
「?」
今日は珍しい姿のオンパレードだ。
さっきの笑顔も初めて見るのに、対処に困ってる風な幸村も初めて見る。
どうして困ってるのかは知らないけど。
「私変なこと言った?」
「変じゃないよ。変じゃないけど、そう言われると思ってなかったから。」
「なんて言われると思ってたのよ。」
「笑いながら、ばかって言われるかと思ってた。」
「ああ、普段はそう言う。」
「そうなの?でも言わないんだね。」
「あんたバカじゃないじゃん。」
「あははっ!そういうもの?」
本当はそういうものじゃないのは、多分幸村にも勘付かれている。
でも放っておいてくれるのが千百合には好ましかった。
気分に名前を付けられるのはそんなに得意じゃない。
「・・・・ねえ、黒崎さん。」
「ん?」
「俺、ずっとお願いしたかったことがあるんだ。聞くだけ聞いてくれないかな?」
「何?」
「包帯なんて巻いて大袈裟にしてるけど、本当はもう大分良いんだ、この足。もう少ししたら絵も描き終わるし、部活に出るようになる。そしたら・・・」
「そしたら?」
「・・・俺の試合を見に来て欲しい。」
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