5周年記念企画:聖夜の15時、ラテを飲んだら
状況が変わったのは夏になり始めた頃であった。

「・・・・・・」

読んでいる本がめちゃくちゃ佳境に入り、紫希はずっと読み続けていた。
ドリンクは底を尽きない。そもそも飲むのを忘れてる。

平日ということもあって他の客の気配もほとんど感じられず、集中できてしまうに任せて集中しまくってしまう。

(・・・・あ、)

まずい。
と思ったが、もう遅かった。

「う・・・・」

山場に差し掛かった時、紫希は泣き出してしまった。

いけない、店の中なのに、という自覚もあったが、もう止まらない。涙も読み進める手も止まらない。

ハンカチを出して目元に当てつつ、目は続きを勝手に追っていく。そうすると余計に泣けてくるのだが、ここまで来るともはや自分では止められなかった。

おんおんと声を出して泣いたりこそしないけど、こんなに目元をハンカチで拭っていたら、泣いてるのはもろバレであろう。人が少なくて良かった。

紫希が泣き止んだのは、その後も泣いて少し治まってはまた泣いてを繰り返し、ラストまで行った所であった。

「はあ・・・・」

(良かったです・・・最後に仲間が皆揃って・・・良かった・・・)

まるで自分が本の中の大事件に巻き込まれたかのような疲労感が紫希を襲う。まあこれが楽しみで読んでいる所も大きいのだが。

本を開いたままふうと長い溜息を吐き、意識が現実に帰ってきた。

とき。


ぴしゃああああん!


「・・・・!え、」

嘘。と思って、思わず紫希は腰を浮かせかけた。

雨だ。
大雨。雷まで鳴ってる。

「ど・・・・」

どうしよう。
今日は一日曇りと聞いてたから、傘なんて持ってない。

不幸にも、ここは立地が悪かった。
人通りと言う意味ではまあまあ良いのだが、駅とかバス停が遠いのだ。おまけにコンビニとかロフトとか、そういう傘を売ってそうな店舗も遠い。

雨が冷たくなってくるこの季節、傘なしで家まで走るのはきつい。
流石にタクシー代を出せるほど裕福ではないし。

(・・・あ、そうだ千百合ちゃんに・・・)

確か千百合が、そろそろ講義終わりの時間だったはずだ。
申し訳ないが寄って貰って、道中傘を持ってきてもらおう。お金は後で建て替えればいい。

そう思ってLINEを開くと、タイミングよく千百合の方から連絡が来た。

『お疲れ。今どこ?家居る?』

『お疲れ様です。今、いつものスターバックスです。どうかしたんですか?』

『いや、紀伊梨に今日家来たいって言われたんだけど、雨凄いからさ。タクシー家まで使おうと思って。』
『んで、紫希も外居るんだったらついでに拾おうかなって。今日傘置いて行ってたでしょ。』

『有難いです!実は、今帰りをどうしようかと思ってた所で…お願いします!』

『おけ。でも悪いけど、紀伊梨の講義が終わるまで後2時間待ってくれる?急ぐ?』

『いえ、大丈夫です。』


(2時間か・・・・)

まあ、別に待つのは一向に構わなかった。
幸いにも、本もまだ尽きないし。そもそもこっちの都合なんだから、来てもらえるだけでも十分有難い。

2時間後にお願いします、のLINEを打って、さてじゃあドリンクの追加居るかなとカウンターを見た時だった。


「はい、スターバックス〇〇店です・・・・え?」


奥の方で、丸井が電話を取った。

何か、いつもの接客の感じと声の調子が変わったことが、紫希でもわかった。
後2人居たスタッフも当然勘付き、丸井を振り返った。

そして丸井も、電話を持ちながら店内方向に目を向けた。

「・・・・いや、大丈夫ですよ?今お客さん一人しか居ないし、他に来そうな感じもしないし。はい。はい。まあ、最悪それでも。もう本当にマジで無理ってなったら、氷室さんに声かけます。あの人ここから10分くらいなんで・・・まあ。それはちょっと。ははは!はい・・・はい。」

切ったと同時に、女性のスタッフが声をかけた。

「もしかして、野庭君来れないの?」
「はい。電車止まってるみたいです。それはまあ、雨って言うより踏切事故みたいですけど、元々遅延も入ってたみたいなんで。」
「うわあ・・・」

(電車が遅延してる・・・)

これは待ち時間2時間じゃ効かないかもしれない。

「ええ、でもどうしようかな。私も今日は用事あるし・・・九条君は?」
「いや、俺も明日レポートあるから・・・」
「俺、大丈夫ですよ?ひとりでも。」

紫希はぎく、とした。

ひとり。

さっき丸井が言ってて初めて気づいたのだが、こんな天気のしかも平日で、今や紫希しかスタバには居ないのだった。

そして今、スタッフの3人中2人出て行こうとしてる。
丸井と2人しか居ない。
そして、あと2時間はここに居なくちゃいけないのだ。

「さっきも言いましたけど、今日はもうお客さんほとんど来ないでしょ?」
「そりゃまあ、てんてこまいで手が足りなくなるってのは考えづらいけどさ。」
「でもひとりだよ?大丈夫?」
「余裕余裕♪何かあったら戻ってきてくださいって言うんで。」
「・・・お前、フリでももうちょっと不安そうにしたらどうだ?」
「え?何でですか?」
「いやもう良いや。帰ろ、山本。」
「うん・・・じゃあ丸井君、お先。」
「お疲れ様でーす!」

(ど・・・・)

どうしよう。
2人になってしまった。







2人になった直後、紫希は気づいたことがある。

まず、タクシーでここに来てもらう以上、どんなにこの状況に緊張していても、紫希は「1人で無理やり帰る」という選択が消えた。
良くも悪くも。

そしてもう1つ。

(手持ちがもうない・・・)

本当だったら、今頃もう家へ歩いて真っすぐ帰るつもりだった。
お金を使うつもりなんてなかった。

だから、財布の中身をあまり精査しないでここへ来てしまったのだ。

もうすでにドリンクは空。
ここからさらに2時間、何も飲まないで居座るというのは、性格的に紫希には難しい。

本当はティーラテとかが良かった。
でもそこまでのお金がない。タクシー代も出さなきゃいけないし。

(・・・・ブラックにしておきましょう、最安ではないですけど、それでも大分安いですし・・・)

本当の最安はミネラルウォーター120円なのだが、あいにく水をお金出して飲む嗜好は紫希にはなかった。

よし。注文だ。
ふう、と息を吐いて若干緊張しつつ、平静を装ってレジへ。

「あ、あの・・・」
「はい!」
「あの、ええと、ブラックのホット、ショートで・・・」
「あれ。」
「え?」
「ブラックって、珍しいですね。いつも大体、甘いのなのに。」
「・・・!」

紫希は内心どきどきと心臓がうるさかった。

丸井は紫希を認識している。いつも大体甘いの頼む客として。

結構な頻度で利用してるし、顔辺りは覚えられてるかなと思ってはいたが、はっきり特徴込みで個人を認識されていると思うと、狼狽えてしまってどうしようもない。

嬉しいような。
恥ずかしいから止めて欲しいような。

「ちょ、ちょっと今日、手持ちがなくって・・・本当はもう帰るつもりだったんですけれど、外が、その・・・」
「ああ!雨すげえよなあ。」

こうしてる今も、叩きつけるような雨は全然止まない。

いよいよ傘が役に立たない所まで来てる。

「帰れる?」
「はい。友達がタクシーを乗り合わせて、迎えにきてくれるんです。だから、タクシー代のこともあって・・・」
「ふうん・・・・・・」
「ですから、ブラックで。」
「・・・OK。」

ふうう・・・と後ろを向いて溜息を吐いた。

(こんなに会話する日が来るなんて・・・)

今日は思いがけず特別な日になってしまった。
雨が降ってた時は大真面目にどうしようかと思ったけど、災い転じて何とやらだ。

「はい、お待たせ。」
「あ、はい。ありが・・・あれ・・・?」

コーヒーの香りがしない。
というか、これ。この見た目。香り。

「・・・これってクリームティーラテじゃ、」
「ん?うん。好きだろい?少なくとも、ブラックよりは。」

なぜわかるんだろう。
いや、そうじゃなくて。

「あの、差額が、」
「良いよ♪奢り奢り。」
「良くないですよ!」
「なんで?」
「だってこんなの、2倍以上するのに、」

丸井が出してくれたのはクリームティーラテである。

ブラックのショートは400円少しだが、これは1000円少し。
差額にして600円になってしまう。ブラックをもう1杯より高い値段。

「払います!」
「良いの。常連にちょっと奢るくらい、誰も責めねえよ。」
「そういうわけには・・・ここに置いときますから、」
「だーめ。それされたら、レジの金額合わなくなっちゃうじゃん?」
「そ・・・・」

本当は店内に監視カメラあるから、その気になったらどういうあれで金額食い違ってるのか他スタッフがわかるのは一瞬である。まさかそれを言うほど丸井もバカではないけど。

「・・・じゃあ、せめて後日でも何かお礼を、」
「これからも通ってくれたらそれ良いって。」
「それはそれでなくても普段からやってますから・・・」
「あ!じゃあ、次来た時今してる会話は他の奴に内緒にしといて。」
「え?」
「今日は俺以外いねえけど、流石に敬語外してんのバレたら怒られちまうし。ちゃーんと接客してましたよ、っていうことでシクヨロ♪」

紫希は目を丸くした。

そういえば、さっきから敬語が外れてる。
なんだか友達みたい。

「・・・・・・」

友達みたい、と思ってしまうとなんだか急に浮ついた気分になってしまう。落ち着こうと思って下を向くと、カウンター向こうから丸井が「もしかしてタメ語嫌だった?」とたずねてきた。

首を横に振ると、丸井は紫希が好きな笑顔をまた見せた。

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