集団から離れて話していたシャチとリザを他所に、他のクルーたちは、今後の方向性も決まったことだし、と各々やるべきことや自由行動をとっていた。
ローは特にやることもないようで、ベポを枕にして寝転がっている。
リザがローの前に立つと、リザの影がローにかかった。
陽射しを遮られたのに気づいたローが顔に載せていた帽子を取って、リザを見上げた。

「トラファルガーさん、今、いいですか?」
「……何の用だ?」
「すぐに済みます」

身体を少し起こしたローは、ベポを枕から背もたれに変えた。リザを見上げる彼の目が見定めるように細められ、話を促した。

「ひとつ報告があります」

そう言って、リザは笑った。かつてと同じように決定事項として告げる。

「私、この船に乗ることにしました。――それだけです」

ジャンバールさんにも言わなきゃ、と言いたいことだけ言ってくるりと踵を返したリザの足をローが横に薙いだ。
両足を払われたリザは当然、転倒する。
服を後ろに引かれれ、受け身を取ろうとするともふっとした感触がした。ベポだ。背中は打たなかったが、受け身を取れず尻を強かに打ち付けた。リザは悲鳴を上げる。

「な、何するんですか!」
「こっちのセリフだ。おまえが何を言ってんのかサッパリ分からねぇ。説明しろ」
「別にわからなくてもいいんですけど……」
「2度目はねぇぞ」
「ハイ!」

さっと正座したリザは頭を捻らせた。

どういえば伝わるのか。まず経緯を説明するべきだろうか。
うーん、小恥ずかしいが止むを得ない。
リザがひとつ頷いて、ローを見た。
帽子を外したローの黒髪が風でゆらゆら揺れている。

ぱち。

ローと目があった。今までだって合わせたことがないわけではないのに、何故だか初めて合ったような気がした。
帽子がないからかな。リザはそう結論付けた。
彼の灰色の瞳がリザを見ている。それらは先ほどの彼の言葉を思い出させた。

「……」

思考が止まる。

何を話すんだったかな。経緯。ケイイ。

考えれば考えるほど、欲求がむくむくと膨らんでいった。

リザは立膝に掛けられていた彼の腕に手を伸ばす。避けられなかったのでそのまま握った。
ジャンバールよりは小さいけれど、リザよりは大きい。骨ばった手だ。

そんなことを思いながら、リザはローの手を引き寄せ、

「私、あなたについて行きます」

弧を描いた唇で、中指のAに触れるだけのキスをした。

リザが手を握ったまま満足気にしていると、刀が飛んできた。
思わず手を離し、受け止める。衝撃がリザの掌に広がった。

「な、何するんですか!」
「説明になってねぇ。2度目はないと言ったはずだが?」

ローの手が伸びてきたが両手がふさがっているリザには為す術がない。
無慈悲に頭が鷲掴まれ締め付けられる。リザを激痛が襲った。

「痛いです!」
「そうか」

リザが再び上げた悲鳴にローが首肯し、さらに力を込めた。
「なんで悪化するんですかあああ」
リザの悲鳴でベポが起きるまでそれは続いた。

押さえつけられていた頭を挙げたリザがローを見ると口元が緩んでいた。

「途中から絶対に楽しんでるじゃないですか!」
「途中からじゃねえ、最初からだ」
「尚悪いですよ!?」

平然と言い放ったローにリザが涙目で抗議するが、ローは眠たそうに欠伸をしている。
やいやいやっていると流石に煩かったようで、背中からうなり声がした。

「んー、おれもまだ眠いし、リザも一緒に昼寝する?」
もふもふした手でベポがリザの頭を撫でた。
「そうですね、やることもないですし。……ていうか最近、すごく頭を撫でられている気がします」
「後輩だからね」
「そういうもんですか」
あっさり言われては何も言えない。

さて、昼寝といえば、初めて釣りをした日に気絶してし損なって以来だ。特に地獄のマリンフォード辺りからは忙しくてそれどころではなかった。あの要塞に盗みに入ったことがあるというのだから、自分の師は本当に底知れない。
リザは横になっているベポの頭の方へ移動すると、甲板に背を預けた。
直射日光が眩しい。目を瞑れば、船の揺れがよくわかる。不規則な動きに身体を任せていると、次第に眠くなってきた。



『しすたー、しすたー』
舌足らずな幼い声が脳に反響した。
『しすたー、いかないでください』
少女が修道服を着た女性に縋りついている。
『リザ』
女性が膝を折り、少女の名を呼んだ。眉を下げ、少女の頬に手を添えた。
『どうしたんです、いつも我儘なんて言わないのに』
『しすたーがいるなら、いいこでいます』
『……困りましたね』
少女の肩を、後ろにいた男性が掴んだ。少女は何度も何度も首を振っている。
その男性も眉を下げ、女性に何事か言っている。シスターが一度だけ首を振ると、男性はどこかへ消えてしまった。
『ねえ、リザ?』
女性がまた、少女を呼んだ。女性が何かを言う前に、少女は叫んだ。
『いやです、いやです!』
『だめですよ、生きるためです。どうしてもいかなければいけないのです』
『では、つれていってください!』
ぼろぼろと大粒の涙を流しながら、少女は女性の首に抱き付いた。
『いいというまで、はなしません!』
『リザ……。リザ、よく聞きなさい』
女性は少女の背に手を回し、抱きしめた。そして言い聞かせるような声で話し始める。
『私もあなたから離れたいわけではありません。
 けれど、何事にも優先順位があります。
 私は今、あなたが一番大切です。
 だからこそ、危ない海へは連れていけません』
女性はリザの肩に触れ、離そうとする。少女は緩めていた力を慌てて込めて、皴のある首筋に顔を寄せた。
『しすたー、おねがいです。いっしょうぶんのおねがいです、』
悲痛な声で少女が言った。

「そばにいてください」
リザは自分の声で目を覚ました。涙の落ちる感覚がして、目を開けると、一面が黄色だった。

「……」

驚きのあまり身体が硬直する。
びくりと身体を揺らすと、何か柔らかいものを枕にしていることに気付いた。恐る恐る起き上がる。
とりあえず、目の前の黄色はローの背中だったようだ。枕は言わずもがなベポである。

首を巡らせると辺りにはほとんどのクルーが甲板に転がっていて、なんとなく見覚えのある光景だった。
身体の上には毛布がかかっていてこれはきっとリザがいたはずの場所で寝ているジャンバールが掛けたものだろう。

「……」
久しぶりに、昔の夢を見た気がする。
ひとりで旅をしていた時にはよく見たが、ジャンバールと出会ってからはとんと見なくなっていたのに。

昔、リザは誰かと一緒にいないと生きている心地がしなかった。
今でも、ひとりは嫌いだ。
けれど、生きていけないわけではない。

『いいですか、リザ』
シスターが珍しく真剣な顔をしていたのを、リザは覚えている。
『あなたは今日から泥棒です。泥棒は、私のように、ひとりで生きることができます』
変な話だと思った。真剣な顔して実は酔っているんじゃないかとさえ思った。

シスターがいなくなってから、シスターが滅茶苦茶なことを言っていた意味がわかった。
リザがシスターがいなくても、ひとりでも生きていけるように。
これは、そういうおまじないなのだ。
だからリザは、海賊にはならない。

「リザ」
ベポに頭を預けたままぼんやりと流れる雲を眺めていると、名を呼ばれた。振り向くと、灰色と目があった。
「トラファルガーさん?」
濃いくまのある目を不機嫌そうに歪めているローを見て、もしかして起こしてしまったかと不安になった。
それとも隣で寝ていることへの苦情だろうか。
それについてはリザの知るところではないので答えようがないが。
とりあえず謝ろうと口を開きかけたリザよりも先に、ローがリザの頭を掴んだ。反射的に身を固める。

「……?」

いつまで経っても痛みがこないので、恐る恐るローを見上げると、その視線はリザではなくその後ろを見ていた。
振り向きたいが、掴まれているせいで動けない。

ローがひとつため息を吐き、リザを睨んだ。

「泥棒をやめたくなったら言え」
「……ハイ?」
リザがぽかんとローを見ると、その反応に快くしたのか口角を釣り上げた。

「おれが拾ってやる」

「…………」
開いた口が塞がらない。そうすること十数秒。ローがくつくつと笑いながらリザの頭を解放した。

「訳の分からないことを言われる気分はわかったか?」

悪戯の成功した悪ガキのような顔をするローに、漸く我に返ったリザは両手で顔を覆って声を絞り出した。
「……嫌と言うほど」
なるほど命令に逆らえばこうなるのか、リザはひとつ学んだが、その代償はあまりにも大きかった。