終章

「はっはっは!左様か!」

武田信玄は高らかに笑った。
音信不通であったもみじを幸村が発見し、帰還するまでの一部始終をその陰より密かに見守っていた猿飛佐助より受けた報は、成長の兆しが垣間見れて何とも微笑ましく、信玄は破顔一笑の極みである。
しかし、目論見通りと機嫌のいい信玄に対して、佐助に言わせると奥歯に蕗の繊維が挟まった様なもどかしい展開であったと言う。

「笑い事じゃありませんよ、大将ー。」
「む?そうか?」
「だってあそこまで言っておいて、真田の旦那まだ全然自覚してないんですよ!?一丁前に嫉妬もしてたから俺はもうてっきりその気だと思って安心してたってのに。」
「はっは!そう案ずるな佐助。もみじがそうであった様に幸村も時が来ればいずれ解ると言うものよ。」
「そうだといいんですけどねぇ。」

がっくりと大袈裟に肩を落として佐助の溜め息は深い。考え過ぎじゃ、と笑う信玄にとても同意できなかったが頷くより他手立てはなかった。
御苦労、との労いを頂戴した後、その御前より下がった佐助は、今日も今日とて兵達との組み手に勤しむ幸村がいるであろう武田道場へ足を向ける。

(大将がああ言うんだから杞憂かもしれないし、それならそれで全っ然良いんだけど……)

どうも幸村ともみじの関係は引っ掛かって仕方がない。御節介の悩みは尽きずに頭は痛いが、取り敢えずそろそろ八つ時である。ついでだから団子でも作っていくかと厨に顔を出せばなんと。

「もみじちゃん。」
「これは佐助殿。」

袴姿に襷掛けのもみじが何やら拵えていた。手に着いた白い粉に蒸し上がった甘い匂い。物を見ずとも何であるかなど佐助にはすぐに分かる。

「へぇ、団子?」
「はい。」
「もみじちゃんが作ったの?」
「はい。これから幸村様と稽古なのですが、終わります頃は丁度八つ時。故に持って参ろうかと。」

少し照れながら幸せそうに微笑むもみじに佐助の目頭はじわりと熱くなった。
何だこの出来た嫁は。ふた月程前まで刀を振り回すのが生き甲斐であったじゃじゃ馬はどこに行ったんだ。どうやったらこんな生き物になるんだ。と胸中を感動と衝撃に満たす佐助。同時にこれが前田の奥方仕込みであるか、恐るべし戦国最強の嫁、と感謝しつつも畏怖すら覚えたが。

「そうだ、佐助殿。」

熱い目頭を押さえていた佐助はもみじの声に引き戻されて顔を上げる。

「うん?何?」
「1つ、御味見して頂けませぬか?」
「味見?」
「はい。幸村様の御口に合うか否かが知りとう御座います。」

ああ、もう、何これいじらしい!と佐助は喉まで出掛かった悲鳴を額を抱えて飲み込んだ。許嫁に斯くも健気に想われておいて幸村はどうだろうかと考えれば怒りすら覚えそうになる。抱えた不可解な想いを必ずや解き明かしてみせると意気込んでいたと言うのにどうなっているんだ、と信玄宜しく一発殴ってやりたい。
とは言え腐っても己の主であって、自分の考えだけで手を上げるのは流石に気が引ける。ならば正当な理由、例えば未来の御方様がその甲斐性無しに忍び泣いているとか、そう言うのがあれば心置きなく殴れると言うもの。そこで佐助は当のもみじに現状をどう捉えているのか訊ねる事とした。

「ねぇ、もみじちゃん。」
「はい、何で御座いましょう。」
「帰ってきてから旦那に何か言われた?」
「?いえ、特には。」
「良いの?」
「と、申しますと?」
「だってもみじちゃん、旦那の事好きでしょ?なのに前と変わらないじゃん。寂しくないの?」

問えばもみじは驚いたようで、その丸い目を幾度かぱちくりと瞬かせたたものの、直ぐに表情を和らげていいえ、と首を横に振る。

「寂しいなんて、とんでもない事で御座います。確かにもみじは幸村様を御慕いしておりますが、その御傍に居られますれば幸せであります故。」
「いやでも知りたくないの?旦那がどう思ってるかとか。」

尚も食い下がる佐助。
それでもやはりもみじは首を横に振る。

「それは幸村様御自身が教えてくださるまで、私は待つだけに御座います。」
「えー……しんどくない?」
「とんでもない。幸村様の御心持ちに合わせる事など苦ではありませぬ。」

何を聞いてももみじはゆるゆると首を横に振る。その柔らかな表情はやはり幸せそうなのだが、どうにもこうにも不憫に思えてならない。幸村は自覚していないだけでもう間違い無くその想いは片側通行ではないのに、遠方で花嫁修業までして斯様に健気に献身的に想っているもみじが報われないなんてそんな事が許されるだろうか。

「………いや、御天道様が許しても俺様はそんなの許さない。」

確かに初めの内は厄介払いが一緒に出来て万々歳と思っていたのは間違いない。だが、もみじがこうまで成長したのならば話は別だ。早急に恙無く祝言を上げて、立派に真田の家を継いでもらい後生安泰を図らねばなるまいと老婆心半分我が身可愛さ半分。それはもう既に執念に近い。
そんな思惑を内に秘め、深刻な顔をして呟いた佐助にもみじは首を傾げる。

「……佐助殿?如何されましたか?」
「あー、もう無理!俺様もーう我慢できない!」
「わ!さ、佐助殿…!?」

言ったが早いか佐助はもみじの問い掛けにも答えず、その手首を持って厨を飛び出した。手段なんて選ぶか、この際荒療治で上等、と息を巻いたその足が向かうは勿論騒音けたたましい武田道場。

「さ、佐助殿…!御待ちください!!団子が…それと竹刀も…!」
「いらないいらない!良いから着いてきなさい!」

有無を言わせぬと引き摺られては目的地に着くのはあっと言う間で、佐助が入り口の戸を勢い良く滑らせれば、死屍累々の如く折り重なった兵士達の真ん中で竹槍を構える幸村が。

「む!何奴!?」

気配に素早く反応し勢い良く振り返る幸村の目にもみじと佐助が映る。

「もみじ殿!待っておったぞ!……む、竹刀はどうした?」
「も、申し訳ありませぬ、幸村様…!」
「俺様が持ってこなくて良いって言ったんです。」
「な…?!どういうつもりだ佐助!」
「どうもこうもないから!そもそも旦那が悪いんでしょうが!!」
「俺が何をした!?」

喧嘩腰の佐助に幸村は眦を吊り上げた。もみじとの鍛錬を邪魔された挙げ句、謂われも解らぬ儘、悪者扱いされては誰とて気分が良い筈がない。それに負けじと佐助は幸村を睨み付けると、思い掛けぬ事を言った。

「旦那が何時までももみじちゃん放っとくなら、俺様が貰っちゃいます!」
「なっ!!?」
「さ、佐助殿!!?」

そうしてもみじを両腕で抱き込んだ佐助。勿論突然の事であったが故、もみじは驚いたが、幸村のそれは比に非ず。
目を見開いて息を呑み、握った竹槍がみしりみしりと音を鳴らす程に拳に力が入れば間も無くそれはバキッと音を上げて潰れた。

「佐助!もみじ殿を放さぬか!!」
「何、旦那。文句ある?」
「大いに御座る!」

冷ややかな佐助の視線を物ともせずに叫ぶ勢いで幸村は言れば、くいと佐助の口角が上がる。

「どんな?」
「!!」
「どんな文句があるんです?だーんな?」
「なっ、どっ、どど、どんな…と…!!?」

意地の悪い口振りの問は瞬く間に幸村の顔を染め上げてしまった。しまった、急くあまり機を見誤ったかと佐助は胸中舌を打ったが、続く幸村の発言にそれは杞憂に終わる。

「もみじ殿は…もみじ殿は……っ!!もみじ殿は我が終生の伴侶となる方ぞ!!例え佐助であろうと譲りはせぬ!!」
「!!」
「………あら〜…案外簡単に言ったわぁ。」

拍子抜けしつつもまあ、合格かと放したもみじは一目散に幸村の元へと走った。その眼前で止まり、火を噴きそうな程赤い顔を見上げる。

「よ、宜しいのですか…?もみじを終生幸村様の御傍に置いてくださるのですか…?」
「お、男に二言は御座らぬ!」
「幸村様…っ!」

感激に涙して俯き肩を震わせるもみじに幸村は戸惑った。助けを求める様に彷徨わせた視線が見付けたのは、何かを抱え込む様な身振りを繰り返す佐助で、歯痒そうな表情の中、声を出さず「抱け!抱け!」と訴えている。言わんとしている事は伝わったものの、それが直ぐに出来れば世話はない。躊躇う幸村に痺れを切らした御節介は瞬きの間にもみじの背後に回り突き飛ばした。

「?!」
「もみじ殿!」

前のめりに転びそうになったもみじを幸村が反射的に受け止めれば、その後はもう佐助に出来る事はない。顔を突き合わせた2人が同じ様な顔色をして固まっているのを、「言え!旦那!言って男になれ!!」と念じながら見守る。暫くそうして固まったまま、色っぽく言えば見詰め合ったままでいた両者であったが、遂に幸村はもみじを抱き寄せた。
佐助のみならず組み手の相手をして倒され、死屍累々と折り重なった兵達からも「おお!」と歓喜の声が上げる。精一杯の幸村や突然の事に驚くもみじにその歓喜は届かなかったが。

「……もみじ殿、」
「は、はい、幸村様、」
「……あ、あれから俺は幾度も己が内を考えた。考えたのだが、解らぬものは解らぬ。終ぞ解き明かす事は出来なかった。」
「左様に…御座いますか、」

ああ、と外野も残念がる。

「しかし、今し方もみじ殿が佐助に捕らわれた時、もみじ殿が俺ではない誰かのものになるのではと僅かに思ったのだが、とても辛抱できるものではなかった。」

そう続いた言葉にもみじが顔を上げると消沈した外野が再び沸いた。
外野にまで意識が行かぬ幸村が腕の中の身動ぎに視線を落とせば、不安と期待を孕んだ丸い目を幾度も瞬かせて己を見上げるそれに庇護欲と例え難い熱情が沸き上がってどくりと脈打つ。
これが前田の風来坊が上田城に来訪した時に声も高々と語っていた恋と言うものなのであろうか、と幸村はそこで初めて自覚した。

「…もみじ殿が居らぬ間に寂しく虚ろと感じ、あの山中で泣いた貴殿を助けてやりたいと思うた。今とて身勝手な独占欲を確かに感じた。これが、こ、ここ恋うと言う事であるなら、誠実さに欠け、頼りにならぬとは思うが、俺は、俺は…っ、もみじ殿を御慕いしている…!」

解ってしまえば直情型の幸村である、突っ支いが外れた様に想いの丈を吐露すれば、腕に納まるもみじは息を呑んで、多様な情に揺れていた双眸から涙を一筋伝わせる。

「幸村様…っ!!もみじも、もみじも…っ、幸村様を御慕いしております…っ!!!」
「もみじ殿…!!」

前に一度、確かに同じ事を聞いたが、涙を流しながら微笑むもみじが堪らなく愛おしくて、力任せにその身体を引き寄せ抱き竦めれば、控え目に擦り寄って背に手を回すいじらしさとは例え難く。
やった!遂に!幸村様万歳!!と沸き立つ外野等気にもせず、抱き締めた肩口に唇を寄せる。

「一緒になってくれるか?」
「謹んで…!!」

幸村の言葉ともみじの返答に外野共は今日は宴だ、赤飯だ、と今日一番に盛り上がった。始終を見届けた佐助は感極まって遂に、声を上げておいおい泣き出す始末であったと言う。




大団円!

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