スタートライン

「マジか」

「何が?」

 簡素なマンションの一室。セキュリティを解除してドアに手をかけながら、不思議そうに振り返る彼女に俺は思わず声を上げた。

 テスターをしているという記録用アイウェアが、どんな物なのか見たいと言ったのは、確かに俺だ。が。

「今、自宅って言ったか」

「そうだけど」

 一人暮らしだから狭いけどどうぞ。と鍵を開ける彼女に思わず突っ込みを入れたが、彼女は全く理解していない。共闘をした任務な帰りに話題にあがり、映像見てみる?なんて気軽に誘われたからついてきたらコレだ。

「セキュリティはしっかりしてるよ。イレイザーは同僚だし、部屋がバレても問題ないでしょ」

「そういう事じゃなくてな…」

 ガシガシと頭をかきながら、どう言ったら伝わるものかと思案する。きっと単純明快なコイツにそんな意図は無いのだろうが、下手な言葉をかけて意識をされては困るのだ。

 たまに現場で組む即席のバディ。任務終わりに二人でラーメンを食べに行く少し年下の同僚という距離感が珍しく心地良く感じているのだが、男として意識をされたらきっとこの関係も変わってしまうだろう。かといって、教師という職業柄、一人暮らしの女性の部屋に上がり込むのも躊躇われる。

 焦れたのか捕縛布をひっつかまれ、寒いから早く入れと部屋に押し込まれる。近接戦で俺と肩を並べるだけあって動きが機敏だ。対応が一瞬遅れたが最期、既に体はドアの内側にあって、俺は観念してお邪魔しますと呟きながらブーツを脱いだ。

「コタツあるから入って待ってて。アイウェアの端末とディスプレイ持ってくる」

 癖のある長い髪をゴムで一つにまとめながら、ヒーロースーツのジャケットを脱いだ彼女が寝室だろう部屋に消えて行く。

 シンプルだが落ち着いた内装はどこか生活感があり家庭的で、普段の彼女はきっと自分と違いきちんとした生活を送っているのだろうことが伺える。

 大人しくコタツに潜り込むと、小さなディスプレイのついた端末と、二人分のお茶を持った彼女が、もっと詰めてと言いながら俺の隣に、肩が触れ合いほぼ密着する形で腰をおろした。

「これが例のアイウェアなんだけど、認証された専用端末じゃないとデータが見られなくてさ。データはこの無線の…」

「…警戒心って知ってるか」

 ディスプレイが小さいのでコタツの一辺に肩を並べるしかないのはわかるが、この距離感の無さは何なんだ。正直頭が痛い。思わず片手で顔を覆って頭を抱えていると、少し怒ったような声で彼女が顔を覗き込んできた。

「聞きたいって言ったのはイレイザーでしょ」

「お前、俺が男だって忘れてるだろ」

 何度か飲み込んだ言葉を、意を決して投げかけたが、それでもまだ彼女は不思議そうな顔をして首をかしげる。

「…?こんな無精髭生えた逞しい女の子は居ないと思う」

「…もういい」

 ため息が漏れるのも隠さず、諦めて説明の続きを促すと、自慢するように記録用アイウェアの使い勝手を説明しながら今日の記録を見せてくれた。

 画面内には見慣れぬ自分の背中。捕縛布でヴィランを拘束するべく戦っている。一時停止をしながら動きの癖やお互いの考え等を話し合い、共闘時の改善点を探って行く。ヴィランを確保してハイタッチを求める彼女の手と、振り返る自分が映ったシーンを最期に映像が止まった。

「自分の背中を見るのは新鮮だが、他の視点は無いのか」

「私のアイウェアだからね。私が見てたものしか映らないんだ」

「…そうか」

 何かひっかかり、端末を操作して映像を最初から早送りしていく。映るのはヴィランの姿と自分の姿ばかり、見ていたものしか映らない、と彼女は言った。現場には他にもヒーローが駆けつけていたはずで…

「…あーえっと、お茶入れ直してくる」

 キッチンに立つ彼女のうなじがほんのりと赤く染まっていたのは見間違いでは無いだろう。驚くほど鈍感だが、男として意識されてはいるらしい。

「…さて、どうしたもんか」

 端末はこちらの状況も構わず、淡々と最期のシーンを流し続ける。

 ヴィランを確保し、ハイタッチを求める彼女の手。画面の中で振り返った自分は見た事がない優しい顔で微笑んでいた。