見ているだけ

ランチタイムの終わった桜狼亭にようやく静かな時間が戻る。喫茶店でメニューも軽食が多かったせいか元々女性客の方が多かったが、最近は特にその傾向が強い。恐らくは有名読者モデルのお気に入りの店と雑誌で紹介されたことと、見目の整った男性陣(忍)が頻繁に訪れるからだろう。

「やっと静かになったか」

端の席で読書に耽っていた航大が顔を上げた。騒がしい空間を好まない航大にとってはランチタイム特有の女性の騒ぐ声というのは極めて鬱陶しく不快だろう。更に言えば、極稀に本に視線を落とす航大に話しかけてくるような勇者(名付けは誉)もおり、あまり好ましい時間帯では無いと言える。

「奥の方が静かだったのでは?」
「奥までコーヒーを持ってこれるのか?あの忙しい時間帯に」
「流石にそれはちょっと大変かもしれない」

よく愁や理人が手伝いに入ってくれるが小型店舗とはいえランチタイムを少人数で捌くのは大変で、流石に居住スペースにまでコーヒーを持っていくというのは無理だろう。
弁護士という職業からして多忙であろうに航大は空いた時間、この桜狼亭にやってくることが多い。いや、航大以外にも多忙だと思われる惣七もそうはあるのだが。
惣七はコーヒーを飲みながらスケッチブックに何やら新しい服のデザインを描き込んでいたり気まぐれに店の手伝いをすることもあったが航大はただ読書に耽るのみだった。
飲んでも「悪くは無い」と言うだけの航大はどうやら桜狼亭のコーヒーを気に入ってくれていたらしい。

「ならここに居るしかあるまい。最近は煩い輩も減ったしな」

少し冷めたコーヒーに口をつけながら航大は少し頬を緩ませる。
減ったと言うより減らしたの方が的確なような気がしたが黙っておくことにする。
下手に相席されようものなら「読書の邪魔だ、失せろ」と一蹴し「よくこの席に座ってますよね?」と声をかけられれば「耳障りだ、消えろ」と言い「読書好きなんですか?」と問われれば舌打ちの後に「目障りだ」と一声。雷蔵にすらあれは無いと言われる始末の対応だったが、そんな対応が功を奏したのか航大に声をかける女性はほぼいなくなった。店の常連であれば航大の性格を把握しているため、せいぜい遠くから眺める程度で済ましている。常連の女性客曰く「目の保養」「黙っていれば文句が無い」だそうだ。

「何か言いたいことでもあるのか」

黙って航大の方を見ていたことを不審に思ったらしい。赤い両目が訝しげにこちらを見ていた。

「いや、何もない。見ていただけだ」

見ていただけ、そう素直に告げれば航大は何かを言おうとしたが溜息を一つついて本へと視線を戻してしまった。




昼食を取っていなかったことを思い出し、厨房に下がるとラップの掛けられたサンドイッチが目に付く場所に置かれていた。今日は愁はバイトのはずだ。理人も取材がどうこうで今日はいない。
となると残るのは皿洗いをしていた雷蔵だ。流石に銀狼がサンドイッチを作るのは無理があるだろう。
わざわざラップを掛けておいてくれたということは「食べろ」ということなのだろうか。
単純に照れ臭いのか、それとも先ほど休憩に行って良いと言ったからなのか当人はいなかったが。
だがそういうことならありがたく頂こう。サンドイッチの皿を持ち、そういえばとコーヒーを二杯淹れて客席へと戻ることにした。そろそろ航大もコーヒーを飲み終わる頃ではないだろうか。
客席には端の席で変わらず読書をする航大と壁際の広い椅子の真ん中に丸くなって眠る銀狼だけ。
わざわざ厨房で食べずとも客席の柔らかい椅子に座ってゆったりとした時間を過ごしても問題は無いだろう。
航大は相変わらず読書をしていて、コーヒーの残りは極僅かとなっていた。

「航大、おかわりいるよね?」
「ああ」
「隣に置いておく。熱いから気をつけて」
「誰に言っている」

トレイからコーヒーカップとソーサーとセットで置くとふん、といつも通りの態度のまま航大は静かに本を閉じた。

「読み終わったの?」
「お前は今から昼食だろう。少しくらい話し相手になってやってもいいかと思っただけだ」

向かいの席に座れと航大は促してくる。こう言ってしまっては難だが、おそらくこんなことを言われるのもされるのも多分主人である自分くらいなものだろう。
いや、もしかしたらプライベートでもっと親しい女性がいるのかもしれないが。
話し相手になってくれるというのならありがたい。カガリさんがいなくなってからはこんな時銀狼が同じ時間を過ごしてくれたが、生憎と今は夢の中だ。

「いただきます」
「……」

言葉に甘えて航大の向かいの席に座り、サンドイッチをテーブルに置いて手を合わせる。
航大はコーヒーを飲むでもなく何か喋るわけでもなく、ただこちらをじっと見つめている。

「……」
「……」
「航大、お腹が減ったならそう言ってほしい」
「違う。先ほど主のしたことの仕返しだ」

ふっと航大の表情が柔らかくなる。普段の不機嫌そうな表情ではなく、ほんの少し微笑んでいるような。おそらくは通常彼の見せないであろう表情。

「仕返し?」

サンドイッチに一口かじりついて首をかしげる。航大に何か恨まれるようなことをした覚えは無い。そもそもそんな末恐ろしいことが平然と出来るのは惣七やその他数人だけだろう。

「そうだ。ついさっき自分のしたことをもう忘れたか?」

ついさっき。
瑞々しいレタスとトマトがしゃくしゃくと口の中で咀嚼されていくけれど思いつくようなことは何もない。

「ただ見ているだけだ」

さぞ面白そうに航大は言った。
なるほど。これは、なんというか居た堪れない。

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