しがつばか
どうしてこうなったのか。恨めしく日めくりカレンダーを見ても解決案は浮かんでは来ない。
事の発端はそう、大変ではないのか、と。その一言からだった。
「何がだ」
「ナゴヤとトウキョウの往復。惣七もオウシュウとの往復は大変だろう」
「くだらん」
そんなことかと航大はこちらから目線を外した。先ほど打ち合わせが終わったという惣七はそうだねえとコーヒーを片手に頷いた。テーブルには注文されたサラダとサラダサンドが置かれている。
「よくあることだしね。それに僕達は仮にも選ばれし存在だからその程度でバテたりはしないよ」
「疲れるというのであればこいつの相手をする方がよほど疲れる」
吐き捨てるように航大が言えば惣七も「同感だね」と言い捨てた。
「だけど自分の家に帰れないっていうのは辛くない?」
「確かに不便ではあるね。誉のように自由に移動できるわけではないから。あれ便利だよねえ。たまに欲しくなるよ」
惣七はデザイナーで航大は弁護士。どちらも多忙を極める職業だろう。
譲彦もモデルで引っ張りだこではあるけれど、活動拠点がトウキョウなだけ楽なのではないかと勝手に思っている。
「ああ、でもマスターは勘違いをしているみたいだけれど、家に対して僕達はあまり特別な感情は無いよ。いつ何が起こって使えなくなるかも分からないからね。頭領たるもの備えは万全にしておかないと」
「ええと?」
「……万が一拠点が攻撃された時のことを考えて本当に必要な備えは別の場所にもしてあるということだ」
「なるほど」
「まぁそういうことだね。桜狼衆はどうしているか知らないけど、その辺は銀狼が知ってるんじゃない?」
確かに銀狼は自分や現在の頭領である圭の知らないことを知っていることがある。そしてそのことについて聞くと「まだ教えられない」や「それは言えないんだ」と知っている事実を否定はしない。
「その銀狼は夢の中みたいだけどね」
おやつを食べた銀狼はしばらくするとカウンター近くの日向に陣取り、そしてそれから間もなく眠ってしまった。春の陽気には勝てなかったのだろう。気持ちは分からなくもない。
そういえばもう新年度だ。昨年度は色々あったせいであっという間に過ぎてしまった気がする。
「だが、そうだな。いっそこちらに拠点となる部屋を一つ借りてもいいかもしれない、とは思っている」
若くして弁護士として働いている航大からしてみれば部屋を一つ新たに借りることくらい大した出費ではないのだろう。惣七も惣七で「そっちの方が楽だよねえ」なんて頷いている。
よく考えなくても弁護士とデザイナーという時点でとても羽振りは良いはずだ。二人とも性格が強烈なのと忍としての印象が強くて、あまり表の顔については頭になかったが。
「いちいち自宅に寝に戻るなど無駄だ。資料は頭に入っている。データは事務所から送らせればいい。問題があるとすれば私物である本が全て自宅にあるということくらいだろう」
「泊まったり私物を置いたりするなら桜狼亭でも問題ない。まだスペースは空いてるから」
「俺にあの騒がしい奴らと一緒に生活しろと?」
あからさまに航大は嫌そうな顔をする。刹那もそこまで騒がしくないし圭と誉はどちらかと言えば物静かだ。雷蔵も敵だった頃のように暴れるわけでもなく普段はひんやりした場所で昼寝をしていたり真面目にレポートを書いたりしている。
「航大に共同生活は無理だよ。協調性が無いからね」
「貴様が言えることか」
「僕?僕には皆がついてくるからね」
「喧嘩はやめてほしい。店が壊れる」
そう間に入ると二人ともしぶしぶと言ったように口論を止めた。本当はここに譲彦や愁が入るのだが本日は二人とも不在だ。
「そもそも主、お前もお前だ。男と同じ空間で平然と生活するな。いつ飼い犬に手を噛まれるか分からんぞ。貴様には危機感というものが無いのか」
「いや、何故そうなるのか」
「加茂に対してもだがお前はもっと警戒をしろ。誰かが傍にいる時ならまだしもあの手の輩は計算高いからな。行動を起こす際は確実に邪魔が入らない状況で実行するぞ」
譲彦がそんなことをするはずがないだろう。何故か惣七も納得したように頷いているし、一体譲彦をなんだと思っているのか。
そんな文句を口にする前に惣七が笑顔で爆弾を落とした。
「だって僕だってそうするからね」
「……」
惣七は本気と冗談が分かり辛い。返答に困っていると航大が深くため息をついた。
「分かったか。世の中にはこういう輩もいる」
「って言ってる航大も似たような感じだから信用しない方がいいよ。しかもサディストだからより一層性質が悪い。信用しない方が良い忍首位独走じゃない?」
「貴様よりはマシだ」
「なんだって?」
「喧嘩はやめてほしい。店が壊れる」
二人は室内で派手に喧嘩をしたことは無いけれど、屋外でなら何度か軽い殴り合いというか殺し合いというか背中から相手を狙ったとかついうっかり巻き込んで葬ろうとしたとかそういうことはある。
このまま言い争いが白熱すれば室内だろうと関係無く始めることもあるかもしれない。流石に死人は出ないだろうがテーブルのひとつやふたつくらいは犠牲となってもおかしくない。
「主、いっそのこと俺と一緒に住むか?どうせ寝泊りするのは週に二度あればいい方だろう」
「ほらマスター言っただろう?こういう奴なんだよ」
「何がだ。殺すぞ」
別に桜狼亭で生活していても不便なことは一つも無いし、危ない目にあったことなど無いのだが。今日は何か航大の様子がおかしい気がする。普段の航大ならこんなことは言わないはずだ。
そんなことを疑問に思っていると、ふと壁に設置された日めくりカレンダーに目が留まる。
四月一日。ああ、今日はエイプリルフールじゃないか。なんだ、つまりさっきからのは冗談だったのか。
「そうしようかな」
「マスター、やめておいた方がいい。今は涼しい顔をしているけど何をされるか堪ったものじゃない」
「ほう?なら伝手で探すとしよう。楽しみにしておけ」
残念だがそろそろ仕事の時間だ、と航大は綺麗な一万円札をテーブルに置いて立ち上がる。
「ああ。いってらっしゃい」
この時点で対処が出来ていればどうにかなったのだろうけれど、過ぎたことはどうしようもない。
そうしてそのまま航大が桜狼亭から出て行った後、問題は起こったのだ。
航大が出て行ったあとすぐさま惣七は「マスターは航大に特別な感情を持っているのかい?」と私に問うた。無論、返答としては否である。
好きか嫌いかで言えば勿論好きであるが、忍達の誰か一人を特別、というのは自分にはない。
そのままの答えを返せば「じゃあなんでさっき了承したの?アレ、絶対勘違いしてるよ」と惣七。
「勘違いも何も、今日はエイプリルフールで、あれは航大の渾身のジョークだろう?」
「あんなジョーク誰が言うのさ。それとエイプリルフールは今日じゃない」
ポケットの端末を取りだした惣七は静かに画面をこちらへと向けた。
『四月二日』
「昨日だよ」
「……」
「マスター?」
惣七は壁掛け式の日めくりカレンダーの存在に気付いたらしい。そうして「ああ」と納得したような声を出した。
「つまり、何?マスターは本気であの航大の発言を冗談だと思って冗談で返したって?ふ、くくっ、こんなに面白いことはない!傑作だね!真実を知った時の航大のなんとも言えない顔が目に浮かぶようさ!」
盛大に惣七は笑い出したがこちらは笑いごとではない。
そうして冒頭に戻るわけだ。
「どうしても断れないって言うなら他の皆にも航大に何を言われたのか教えると良いよ」
「そうするとどうなる?」
「だったら自分がって皆で言い争うことになるだろうね。無論僕も参加するけど」
「……」
さっきよりも言い争いの規模が大きくなっているではないか。
「そうして最終的に現状維持に落ち着く、と。これが一番平和な解決案だろうね」
「い、いやでもそれは」
「大丈夫。多分流血沙汰にはならないよ。多分ね?」
航大は本気でああ言ったのだ、と今更頭で理解する。本気で『一緒に住もう』と。
自分と航大は交際すらしていないのに。そうして今更羞恥心がやってくる。
エイプリルフール、またの呼び方を四月馬鹿。
四月の馬鹿は他の誰でもない、私だろう。