三、
ふと気付けば無心で筆を動かしていた。
書いている文字はよくわからない。ただ指が筆を握り、何事かを紙に書き付けていることだけは理解できた。
そして気付く。
これは、夢だ。
わかったところで、身体が思い通りになることはない。ただ指はひたすらに文字を書き連ねてゆく。
「もし」
カタン、と鳴った襖と共に声が聞こえた。
それに気付かぬのか指は止まらない。
「もし、」
再度、よりはっきりとした声が襖の奥からかかった。
指はようやくその訪いに気付いたのか、筆置きに筆をかけると畳を掴んで身体の向きを変えた。
「もし…」
「何用ですか」
「約束を果たしに来ました」
淡々と語られたそれは、到底身に覚えのないものであった。
約束とは何のことだろう?
声の主にそれを尋ねてみたいのだが、やはり夢であるからか自分の口は動かない。
どころか、問いかけたのはこちらだというのに返ってきた答えに何も言わないのだ。
「約束を果たしに来ました」
焦れたのか、もう一度声は言う。
こくん、と喉を唾が通るのがわかった。
私の手は先ほどまで書きつけていた紙を色の変わるほどに押さえつけている。
「約束を果たしに来ました」
三たび、声が聞こえた。
視線が動き、襖の方を見やった。襖には人影がくっきりと映っている。
息を殺しているのか、満足に酸素が吸えていない。
「……」
「…」
「…………」
暫くの沈黙のあと、その影は不意に掻き消えた。
ふーっ、と私は安堵の息を吐く。
手の下で押さえつけられていた紙は手汗で指にくっついていた。そっとその紙をぺりりと剥がす。
と、紙が黒くなった。
影だ。
「約束を果たしてください」
その瞬間、目が覚めた。
2016.07.25投稿
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