彼女には何の取り柄もなかった。
 数ヶ月前に発現したというフォルスの力でさえ、ただ状況と能力者による診断で、"ある"らしいことはわかったがそれだけだった。
 ただ、そう、取り柄がないながらも努力だけは忘れなかった。何にも必死に取り組む根性だけはあったのだ。


「やあ、今日もがんばっているねえ」


 そうして軍の鍛錬場で遅くまで残っていると、目に付いたらしい、誰かが声をかけてきた。


「一生懸命な子は好きだよ」


 そう言って笑みを浮かべながら、気まぐれに指導のようなことをしてくれるそのヒトを目で追うようになるのは、ごくごく自然なことだったのだ。
 それはともかく、努力に努力を重ねて任務をいくつかこなすうちに、段々と力も自信もついてきた。
 依然としてフォルスの力がどのようなものかはわからないが、気付いたことには前よりも打たれ強くなったようであった。
 その防御力の高さを生かし前へ前へと出る戦法は、見た目の華奢さを裏切り相手の意表をつくことができる。彼女だけの独特の戦法だった。


「どんどん強くなる、これも努力の賜物ってやつかな?」
「いえ…あなたが、指導してくださるから」


 顔を真っ赤にして俯きながら謙遜する彼女の頭上からは、面白そうに笑う声が降ってきていた。


 ある日、軍の演習として御前試合が行われることになった。
 推薦された兵士だけが参加し、総当たりで戦い技を競う。その試合にナマエの名が挙げられていた。
 今まで無名の新人だったヒューマの彼女が参加すると、一躍話題の人物となった。さぞかし強いに違いない、強力なフォルスに違いないと。


「すごいじゃないか。どうもおめでとう」
「信じられません…私などが。何かの間違いではないでしょうか」
「君の努力が認められたのかな?自分を信じて行っておいでよ」
「あ、ありがとう…ございます」


 有名人になって、意中の人に励まされて。彼女はかつてなく浮かれていたのだ。
 試合が終わった時、何が起きたか彼女には理解できなかった。何故、何故。


「なあ、あいつ強いんじゃなかったのか?」


 その声がどこからか聞こえてきて我に帰る。そんな声は段々と大きくなっていく。
 相手の始めの一撃で弾かれてしまった剣を取り上げると、次の試合場所へ急ぐ。
 さっきは調子が悪かったのかもしれない。今度は、きちんと心を落ち着けて戦わなくては。
 手のひらにぬるりと嫌な汗が滲んだ。

 ――酷いものだった。
 いくら試合を重ねても、一度も勝てない。圧倒的に足りない力量を一戦ごとに嫌でも見せつけられる。
 それは彼女自身だけでなく観衆も同じことで、回を重ねるごとにブーイングの数もどんどん増えた。
 フォルスはどうした?所詮ヒューマの女だ。何故王の盾にいるのか?そういった言葉に耐えかねて、彼女はとうとう試合を途中放棄して逃げ出してしまったのだ。
 それだけでも酷く恥をかいたというのに、それからというもの城の廊下で宿舎で他の兵士たちとすれ違う度に、こそこそと後ろ指をさされるのだ。
 彼女はもう限界だった。


「どうして、こんなことに。わたしは何もできやしないの?」
「おや、どうしてだって?」
「…サレさま?」


 泣き腫らして視界のままならない瞳を上げたその先には、指導をしてくれたその人の姿。
 なぐさめてほしい、良くやったと労ってほしい。彼女は希望を込めて涙越しに彼を見つめた。


「サレさま、」


 にっこり、彼は微笑んで口を開く。


「とんだ甘ちゃんだね」


 弧を描く口もとはそのままに、跳ね上がる柳眉、上がる顎。
 さらにその顔は望んでいたものを映さなくなってゆく。けれどその口はもう一つ。


「この状況がきみの実力なんだろう」


 そうして笑顔が冷たいものに変わった瞬間を見てしまった。それでも何を言われたのか、理解できなかった。
 ただ、一歩分の二人の距離が急に遠くなってしまったのはわかった。
 それを明らかにするように、彼の人はマントを翻し背を向ける。


「いや、」


 去ろうとするその背に、いつの間にか立つこともままならなくなった足で必死に這って、しがみついた。
 ただ唯一残された希望であるその人を、どうしても失いたくはなかったのだ。


「お願いします。わたしを、わたしを見捨てないでください」


 振り向いてはもらえない。それでも、失望されたくはなかった。心の拠り所を失うわけにはいかなかった。


「何でも、しますから」


 その言葉を放った途端、彼は満足そうに笑ったようだった。


「何でも?そんなに安請け合いしてもいいのかな?」
「いいえ。何でも、します。頑張ります」
「へえ?」


 だから、と胸を締め付けるような焦りを込めて懇願した。


「わたしに生きる価値を、下さい」


 今度こそさも愉快と笑みながら、その人は振り返る。


「いいね、その必死な目。僕はそういう人を見るのは好きさ」
「サレさま」
「せいぜい頑張っておくれよ。そうして最後にどんな絶望を見せてくれるのか、楽しみだな」


 縋った人は、希望など見せてはくれなかったけれど。それでも自分に何かを見出してくれたことだけは確かだった。それで十分だった。


 それからというもの、彼女は彼の命令に振り回された。命令といっても、買い出しや掃除など些細なことから任務の随行、指示など言葉通りありとあらゆることを任された。やればできることが大半だったが、たまにどう考えても実現不可能なことを言われることもしばしば。そんな時に無力感に襲われ酷く怯える彼女を見て、彼はその度に嘲笑するのだった。


「きみのその表情は本当に僕を楽しませてくれるねえ」


 どんなに睨みつけてみたって効果はなく、むしろその様子でさえも彼を興奮させる要素となることにやがて気付いた。
 そうして彼女の反応が薄くなってくると、つまらなそうにより無理難題を命令する。
 そのせいかもしれない、以前よりも実力が驚くほど格段に上がった。
 元々努力はする質であったし、そこに負けん気が加わって燃料は十分だった。始めの頃に彼に抱いていた淡い憧れは、承認欲求となって燃え立った。
 思えば、あの御前試合もあれで良かったのやも知れない。思い上がり、井の中の蛙と己の実力を過信して命を落とすことだってあったかもしれないのだ。
 きっとそうに違いない、そう結論付けてまた彼の無理難題を片付けるために出かけることにしたのだった。





「あの小娘も単純なものだな」


 トーマが下品な笑いと共に眺めた先には、小柄な少女がぽつんと歩く姿があった。


「単純だから面白いんじゃないか。僕のことを疑いもせず…従順で忠実だ」


 誰かさんの手駒とは違ってね。その言葉に、トーマは苦虫を噛んだような顔をする。
 それとは反対に、機嫌の良い声音でサレは続ける。


「あの子がどこまで僕についてくるのか。それができなくなった時にどんな表情を見せるのか。今から想像するだけで楽しみさ」
「ふん、良い趣味だな」
「お褒め頂いて、どうもありがとう」
「お前も、あの小娘も良くやるものだな。誰が一連のことを仕組んだかもわからずに」
「ああ、御前試合に推薦しておいたこと?予想以上だったね、あれは」
「護身術程度しか教えずにヒューマの小娘をあの中に放り込むとは、全く意地の悪い」
「ふふ、」


 その時のことを思い出したのか、おかしくてたまらないとサレは笑う。


「あの小娘はまあ良く考えもせずに貴様に従うものだな」
「その馬鹿なところが可愛いんじゃないか」


 今度はどんなことをしてあげようかな?思案を巡らせる彼に付き合いきれないと、トーマはその場を後にした。
 そこに残るのは一人、話題の人物を鷹のような瞳で見つめる男だった。


「せいぜい僕の手のひらで踊っておくれよ、ナマエちゃん」


 少女は何も知らず、ただ与えられた命令をこなすだけだ。










2016.01.23投稿