それは一行がバルカに立ち寄った時のことだった。
 そもそもアイテムの補給のために店に用があったのだが、道中ティトレイが不意に声を上げたのだ。


「おい、何かこう…食欲をそそるようない〜〜いにおいがしねえかあ?」
「えっ?あ、本当だ。美味しそうな香りがどこからか漂ってきますね」


 ティトレイの言葉につられて、みんなが鼻をひくひくとさせる。
 確かに、肉の焼けるような、芳醇なソースのような、卵のような小麦のようなたくさんの香りが、誘うようにたゆたっていた。
 気付くとキュウと胃が縮んだように空腹感を意識してしまい、腹がさみしく鳴ってしまいそうだ。
 そんなにおいを、一番熱心に嗅いでいたマオが突然騒ぎ出す。


「くんくん…あっ!このにおい!ねえユージーン、これってもしかして!」
「うん?ああ…あの店からのにおいかもしれないな」
「やっぱりそうだよネ!ボクお腹減っちゃったよ〜。ねえみんな、ついでにお昼ご飯も食べていこうヨ」
「こら、マオ。無駄遣いは感心できんな」
「無駄遣いじゃないって!あのお店の料理を食べずにバルカを出るなんて、それこそ無駄足だって!」
「おおっそんなに言うほど美味いのか?こりゃ料理人ティトレイさまとしては放ってはおけねえな」
「でしょ?でしょ?」


 盛り上がるマオとティトレイを傍目に、バルカに住んでいながらその店の存在を知らないアニーやヒルダは首を傾げている。
 だがそこはやはり女子の性というべきか、「美味しいお店」と聞いて興味をそそられているのか気になっている様子だ。
 そんな仲間の大多数が、外食の腹になっているのを感じたユージーンに、もうその店へ行くことを咎められはしなかった。
 そうして、一行は本来の目的もそこそこに昼食へ向かったのである。
 バルカの大通りから一本入った路地裏。そこにその店はひっそりと佇んでいた。
 周りの店よりも古ぼけた扉と看板、暗めの照明。
 いまいちパッとしない外観だが、マオの目は宝物庫でも見るように輝いている。


「ふうん、結構雰囲気のある店ね」
「こんなところ、知らなかったなあ」
「早く入ろうヨ!もうボク待ちきれない!」
「店内では騒ぐんじゃないぞ、マオ」


 そうユージーンに言われるも、いつものように子ども扱いをするなと怒りもしない。
 相当に腹が減っているのか、早く早くと中に入るのを促す彼に一同は足をはやめた。


「こんにちはー!6人一緒の席でお願いします!」
「いらっしゃいませ。6名さまですね、少々お待ちください…あら?」
「久しぶりだね、お姉さん!」
「まあ、確か王の盾の子だったかしら?前に良く来てくれたわよね」


 店の奥から出てきたウェイトレスはマオに見覚えがあったらしい。
 そのままヴェイグたちを席に案内すると、サービスだと言って飲みものを出してくれた。


「ありがとう、お姉さん!その分いっぱいお料理頼んじゃうから!」


 調子に乗ったマオはユージーンにたしなめられていた。
 それはそうと、店のメニューを見るとそこそこの品数が載っていて、中々決まるのには時間がかかりそうだ。
 そんな中でいつもならば難しい顔をして最後まで粘るマオが、メニューも見ずにユージーンと話しているのをヴェイグは意外に思った。


「マオ、もう決まったのか?」
「うん。ボクはいっつも同じの頼むんだ!常連さんみたいでしょ」
「みたい、ではなくて実際に俺の目を盗んでは通っていただろう」
「うそ!?何でバレてるの?」


 てっきりユージーンと二人で来ていたのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
 いよいよマオの不思議な行動にじっと見つめてしまったが、ヴェイグこわいってば!などと言われた。
 そうこうしているうちに他のメンバーも何を注文するのか決めたらしい。
 ティトレイが先ほどのウェイトレスを呼ぶ。その傍らでマオが小さく口を開けていた。


「ハンバーグとカレーライス、カルボナーラにミートソース、あとリゾット。全部一つずつな!」
「はい、かしこまりました」
「あ、ああっ!ボクマーボーカレー!」
「あら?辛いのは食べられるようになったの?」
「うんっ!」


 満面の笑みで親指を立てるマオに、全員の視線が集まる。
 注文をとったウェイトレスが厨房に引っ込んだあとも、それらはそらされなかった。


「なあ、マオ。この間俺が作ったマーボーカレー、辛いって言ってなかったか?」
「あの甘いマーボーカレーを?」
「ここの、そんなに辛くないの?マオ」


 口々に心配され、マオは頬を膨らませた。


「もうっ!子ども扱いしないでよネ!」
「しかし食べられずに残すことになれば店にも申し訳ないだろう」
「大丈夫だヨ!全部食べられるってば」


 普段の聞き分けの良いマオがこうも意地を張る様子にお互いの顔を見合わせる一同。
 当の本人は鼻歌を歌いながら厨房の方を見やってご機嫌だ。
 そんな様子に、何人かは合点がいったようだ。


「もしかして。マオってばあのウェイトレスさんが…」
「おおっ!?そうか…そうだったのかマオ!」
「ううぇ!?何、ティトレイ?大声出さないでヨ」
「いやー、マオもそういうお年頃なんだなあ。確かにあのお姉さんかわいかったもんな、姉貴ほどじゃねえけど」
「ちがっ、ちっがうもん!」
「隠さなくてもいいんだぜ…マオ」


 もはや話を聞かずにうんうんと一人納得しているティトレイと、顔を赤くして否定しているマオは二人だけで盛り上がっている。
 そしてまた、こういった話題が好きなアニーも隣にいるヒルダを巻き込んで話に花を咲かせていた。


「歳上の女性に憧れる、って良く恋愛小説でもありますよね」
「あのくらいの子どもは歳上に憧れることが多いのよ」


 そんな両者に挟まれ、どうしたものかと同じ状況のユージーンに目を向ければ、彼は彼でなにごとかに感じ入っている。
 どうにも居心地が悪くなってしまったヴェイグは早く注文した料理が来ないかと祈るばかりだった。
「おまたせしました!」


 その声にパッと顔を向けたのはマオだけではなかった。
 急に皆から視線を向けられて、料理を持ってきたウェイトレスはきょとんとする。


「あの…何かございましたか?」
「いいいいや何でもないぜ!悪いな、お姉さん」
「そう、ですか?まあそれはともかく、お料理お持ちしましたよ。あったかいうちに召し上がれ!」
「わあい!おいしそ〜う!」


 運ばれてきた料理の数々に、目を輝かせるマオ。
 それは彼だけでなく他のみんなも同様だ。とっくに胃は空っぽだったのである。


「いっただきまーす!」


 空腹のはずの一同は、自分の料理を食べるよりもまずマオの一口目を凝視してしまう。
 辛いはずのマーボーカレーをわざわざ頼んだ理由を知りたいのだ。


「んっから、おいしいっ!」
「今辛いって…」
「ちょ〜〜〜っとだけね!」


 ティトレイの茶化しを遮って、マオはパクパクとマーボーカレーを口に運ぶ。
 その目にうっすらと涙が滲んでいるあたり、やはり彼には辛すぎるのだろう。
 それでも食べるのをやめないマオがとてもいじらしい。アニーなどは自分の食事そっちのけで応援しだした。


「か、完食!!」
「おおーっ!マオ、お前漢だぜ!」
「頑張ったわね、マオ」


 そこの三人は拍手までしてお祭りである。
 ユージーンまでも静かに感じ入っているが、さすがにヒルダは呆れていた。
 と、そこへ例のウェイトレスがやってくる。


「お姉さん!ボク、今度はマーボーカレー食べきったヨ!」


 そう胸を張って綺麗になったお皿を見せるマオ。
 まだ口がヒリヒリするらしくじゃっかん舌足らずな話し方になっている。
 そんなマオにウェイトレスは笑いかけると、テーブルの上にお皿を置いた。


「まあすごい。それではこれは頑張ったご褒美ね」


 小さなガラスの器に入った、白く輝くバニラアイスと添えられたウェハース。
 それだけ置くと、ウェイトレスは他の客の注文を取りに行ってしまった。


「マオ…」
「マオ、」
「マオ」
「負けた、わね」


 次々にかけられる声にしょんぼりする少年。
 冷たく甘いアイスを出されたということは、痺れた舌に気付かれていた。無理をして辛いものを食べていたのがバレていたということだ。


「うう、おいしい…」
「今度また、リベンジだな」


 ぽん、とティトレイに肩を叩かれて頷くマオ。
 その姿はいささか気の毒だったが、先ほど騒いだため店中の視線を集めていて居心地の悪かったヴェイグは自分のいない時にしてほしいと心中で念ずるのだった。








2016.04.27投稿