01
 とても長く、微睡んでいた気がする。
 悪夢の中で。
 天上軍は敗北し、あの方は倒された。そんな悪い夢。
 私はその夢の中で、幸せだった気もしたし、すべてを呪ったような気もした。
 ああ、でもきっとぜんぶ夢だった。
 起きたら、またあの変わらない、研究室での一日が始まる。


「ようやく目が覚めたか」


 父の声がした気がした。
 姿を見るのは、もう、あの身体を治してもらった日以来かもしれない。
 でも、どうしてわざわざ私の部屋まで来て、私を起こすのだろう?そんなこと、一度もなかった。
 何か不測の事態でも起きたのだろうか?また、生体兵器としての実験が始まるのだろうか?
 早く起きなければ。待たせるわけにはいかない。
 ああ、でもどうしてだか、身体中がひどく重い。
 なんとか身体を起こして、持ち上げた瞼の先は、なぜだか薄暗くて埃っぽい、石造りの壁の中だった。


「……ここは?」
「カルバレイスの神殿だ」
「…だれ、あなた」


 父だと思った声は、まったくの別人だった。
 見間違うべくもない、黒髪の男性。
 何故、私はこんなところで寝ていて、知らない誰かに起こされているのだろう。
 彼は、徐に剣をつき翳した。


「これに見覚えはないか?」
「ソーディアン・ベルセリオス…」


 ソーディアン?天上軍では開発が中止されたはず。
 ベルセリオスって?確か、ハロルド殿の…。
 ハロルド?地上軍の研究者だった彼女の名前を、どうして私が知っているのだろう。
 地上軍のことなど、何も知らないはずなのに。
 だって、私はずっと天上に。ダイクロフトの、研究室にいたはずなのに。
 おかしい。
 何かが間違っている。


「何が起きているの?私は…天上は?」
「都合の悪いことはすべて忘れてしまったのか?」
「どういう、こと?」


 ハッ、と男が笑った気配がした。


「外へ出てみろ、お前のしたことの結果がわかるぞ」


 混乱する頭で、身体を引き摺りながら狭い通路を外へ向かう。
 出口に近付くにつれ、経験したことのないような暑さが迫る。


「これは、なんなの」


 一面の、砂。
 ひどく照りつける太陽。
 見たことのない景色がどこまでも広がっている。
 太陽?
 太陽が、遠い。
 いつもより、天上で見るより、小さい。
 ここは地上だというのか、だとしたら天上は、外殻大地はどこにあるのか?


「浮遊都市群は地上軍によって喪われた」
「地上軍が?では、天上軍は負けたというの!?なぜ!」
「それはお前がよく知っているのではないか?」
「私が?」


 私は何も知らない。いつの間にかこんなことになって混乱しているというのに、この人物は何を言っているのか。
 戸惑う私に、男は剣を突きつけた。


「ベルクラント開発チームと共に天上を抜け出し、地上軍を止めるでもなく馴れ合い、私の死をただ見ていたのは、お前ではなく誰だというのだ?」
「地上へ?だって、あれは…悪い、夢…」
「ハハハ!夢だと?残念ながら現実だ」


 嘘。
 天上軍が負けたのも、あの方が倒されたのも、ソーディアンチームのあの眼も、私の絶望も。
 全部、本当のことだったというの。


「ミクトラン様は、あの方は──」
「この剣に、ソーディアン・ベルセリオスによって倒された」
「地上軍…が、あの方を」
「そう、お前は随分と仲良くなっていたようじゃないか。裏切られた気分はどうだ?」
「裏切られた?彼らに?」
「そう言わずしてなんと言う?それともお前は、私の死を望んでいたのか?」
「あなたの?あなたは…だれ?」


 まだわからないのか?彼は冷たい目を向ける。


「私はソーディアンによって倒された時に、そのコアクリスタルへ自分の意識を移した。そうして千年の時を経て、やっとこの男の身体を得ることができたのだ」
「あなたが、父様?それに…千年?どういうこと…」


 何もかもが信じがたいことだ。
 呆然と見上げる男の姿はかの天上王とは似ても似つかない。
 私はただ、眠って、いつもと変わらない明日を迎えようとしていたはずなのに。


「お前が自分の責任から目を背けようと、犯した罪は変わらないよ」
「私の、罪?」
「天上軍が敗北してどうなったと思う?外殻大地を失った天上の民はどうなったと?」
「……どう?」
「この何もない砂の大地に、まとめて流刑だ。枯れた、水すらも限られた不毛の大地に」


 お前のせいだ。彼はそう言った。


「どうしてお前は、ベルクラント開発チームをみすみす地上軍へ亡命させた?どうして地上軍の内部に潜り込んだにも関わらず、天上への侵攻を止めなかった?何故私を殺そうとする奴らを見逃したのだ?」
「わ、私は…止めようと、」
「止めようとした?実際、止められなかったではないか?それはお前が本当は──天上を、私を疎ましく思っていたからなのではないか?」
「そんなこと、思っていません!!」
「では何故、一度は死ぬしかなかったお前を生かしてやった父を見殺しにしたのだ?」
「違う、見殺しになんて!私は止めようとした!天上も父様も失いたくなかった!なのに!」
「そうか、かわいそうにな。お前は地上軍に騙され、利用され、天上を滅ぼすよう仕向けられたのか」
「そんな…、それは」


 そうだ、とは言えなかった。
 彼らを好ましく思っていたのは本当だ。ずっとあの時間が続けばいいと。
 続くと、思っていた。
 あれは戦争だったのに。彼らは敵だったのに。
 なんで、何も変わらないと思っていたのだろう。


「まあ、それも些末事だ。利用されたにしろ違うにしろ、お前が地上軍を止めなかったことで天上の民は千年もの労苦を強いられることとなったのだ」
「私の…せいで…?」
「では誰のせいだと言うのだ、私か?」


 そんなはずはない、この方が間違うはずはない。
 でも、だとしたら。


「言っただろう、お前の考えることに意味はない。お前が考えて行動した結果、どうなった?」
「あ…あ、私…」
「罪は償わなければ」


 私のせいで、天上の民は大地を失った。
 こんなところで生きていかなければなくなった。


「どう、すれば……」


 座り込む私の肩に、父様が手を乗せた。


「共に天上を、神の眼を取り戻すのだ」
「神の眼…」
「あれは破壊されず、この世界のどこかに隠されている。それを探し出して天上を復活させることができれば──罪も償えよう」


 天上の民の元へ、外殻大地を取り戻すのだ。
 そうか。そうすれば、私の罪は償われるのか。
 私のせいですべてを失った天上人たちを救うことができるのか。
 それが私のやらなければいけないことなのか。
 父様が言うことならば、間違いなどあるはずがない。

 ──どれだけの、時間がかかるのだろう。
 そんな一抹の不安が思考に影を落とした。
 だけど、それでも、やらなければ。今度こそ、見放されてしまう。
 この、千年も時の経った、何も拠り所のない世界で。
 ゾッ、と背に怖気が走り、たちまち息が苦しくなる。


「案ずるな、私の言う通りにしていれば間違いなどない」


 ゾワゾワと落ち着かない心の隙間に言葉が染み込んでゆく。
 そうだ、父様の言うことを聞いていれば大丈夫。
 きっと。
 もう、それしか救われる道はないのだから。



2.24.01.10 投稿


 
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