その日、チェカは笑顔が威嚇になることを知った

 ちょっとそこまで、と気軽に城壁を越えてからエイダは対レオナに限り厚かましさが出るようになった。
 不敬とも取られかねない態度だが、レオナは気を使わせていたとか中継ぎにさせていた(しかもそれに気付いていなかった)後ろめたさもあって黙認していた。
 エイダがやりたがることがさほど害もなく、またレオナも面倒だとは思えど嫌ではなかったこともある。王宮を抜け出して街まで行くことは、それまで王宮の中で過ごしていたレオナにとって甘美な刺激だったのである。
 街中を行く人々の恰好に近いものを調達し、身分を偽って紛れ込むことは新鮮さとほんの少しのスリルがあった。
 そこにはレオナの知らない一面があった。活気があった。
 エイダの手前平静を装ってはいたものの、レオナは確かに街を楽しんでいたのだ。まあエイダもエイダで楽しんでいることは丸分かりだったが。

「レオナさん、あっち、あっち行きましょう、旅芸人が来ているらしいです」
「分かったから引っ張んな、袖が伸びる」

 様をつけてはバレバレだとエイダは外でだけ、レオナに少し近付いた呼び方をした。
 厚かましさ度の上がったエイダはレオナが何か見ている最中でも普通に「あっち行きますよ!」と引っ張って行くし、ものによっては「男性のセンスって分からないですね」としれっとした顔で毒を吐く。こんなのが流行ってんのかと見てただけなんだが。
 少なからずエイダは己のためにレオナも連れて街へ降りていたし、レオナも己のためにエイダに連れられて行った。
 エイダは好奇心の赴くままに動いているように見えて存外思慮深い。路地裏になんかは絶対に入らないし、すれ違った子供に財布を盗まれても予備を取り出してくる。

「……その用意周到さはなんなんだ」
「備えあればなんとやら、ですよ」

 財布を盗られたというので追いかけようとしたのを止められ、見せられたのはもうひとつ出て来た小銭入れだ。紐で結び首から下げたものを服の内側に隠していたらしい。
 衣類の調達といい、買い物に一切迷った様子もなかったことといい、どこでそんな知恵と度胸を身に着けてくるんだか。

「今の子はラッキーでしたね」
「そうだな」

 レオナはコイツが気にしていないのなら面倒だし追いかけることもないだろう、とすれ違った子供の匂いを忘れ去った。
 街へ降りていることは、いまだにバレていないらしい。1時間程度で戻るようにしていること、身分を悟られないような服装と振る舞い。それからエイダがよく馴染んだ庶民くささ。
 エイダは本当に何なんだお前はと思うくらい、庶民の暮らしに詳しかった。堂々としているからそう見えるのかもしれない。周囲を見て、同じようにする。エイダはそれが上手かった。

「そろそろ戻りましょうか」

 頃合いを見て王宮へ戻り、先ほどの抜け出しなど無かったかのようにしれっと勉強の続きに手をつける。レオナは昼寝の続行だが。
 その熱心な背中をレオナはちらりと見やった。ピンと伸ばした背を曲げることなく机に向かう姿はレオナが初めて見た時から変わらない。
 ふと、気が向いた。
 好奇心の赴くままにレオナはエイダの隣に立ち、彼女が動かしていたペンを摘まむ。

「なんですか?」
「――『王者の咆哮(キングス・ロアー)』」

 自分が握っているペンが砂に変わっていく心地はどうだろう。
 レオナはエイダの表情を見逃さないように覗き込んだ。

「代わりのペンください」
「…………チッ」
「ええー……」

 まったくもって面白味がない。レオナは舌打ちをしたしため息をついた。そのレオナの反応に困惑するエイダも面白味がない。
 ほらよ、と自分が普段使っていたペンをエイダのほうへ放り投げて、レオナは昼寝に戻った。もうエイダのことなんて気にもせずに目を瞑る。
 エイダは受け止めたペンは一度置いて、己のマジカルペンを取った。一振りをして砂になったそれを片付ける。
 軽いし、サラサラしてるなあ……と、思った。特に感慨はない。そういえばこれを知っているな、と気付いたからだ。
 エイダにはレオナが何を思ってそうしたかさっぱり分からないが、握ったペンが砂になっていくのを見ながら(そういえばレオナ様のユニーク魔法ってこんなんだったな……)と原作知識(記憶)を思い出しただけなので特に驚くとかはなかった。なんでこんなことされてるんだ?という困惑はあったが。
 ついでに(面白い女だな要素じゃなかったか今の?)と思ったのだけれど、レオナの意図はそこではないので仕方がない。
 このふてぶてしい婚約者(エイダ)が今更周囲の召使いたちのようなリアクションをしないことは充分に知っていたが、もし僅かにでも恐怖を見せればからかってやろうと思っただけである。
 案の定ノーリアクションだった。


 エイダはレオナが王宮の召使いたちに気難しいだとか恐れられていることを知っていたし、また、レオナがそれを知っていることにも気付いていた。
 かといってまさか慰めるような性格ではないしレオナもそんなことを望んじゃいない。エイダはただレオナの婚約者であるだけで、どうせその立場になったならと居心地よく過ごすために自由にしているだけである。
 だからレオナがファレナの戴冠式や結婚式に出たがらないのは「わたし一人で出ろというんですか?たいへんとても気まずいんですけど?」で引っ張り出したし、甥っ子が生まれた時だって「行きましょう」で出席させた。

「めんどくせぇ……兄貴の息子を見せびらかすただの親馬鹿パーティだろ……」
「ファレナ様が聞いたら怒りますよ」
「聞いてねぇんだからいいだろ」

 レオナは王になることに執着している。
 だから己自身に出来ることが多くたってそこには無頓着だ。王になれないのなら、そんなことに意味はない。
 いつまでグレてる気なのかなこの人、とエイダは思った。


 そういうわけでレオナはエイダに振り回されているほうだったのだが、そこに転機が訪れたのはレオナの甥であるチェカが言葉を覚えてからのこと。
 レオナは(当人にとってはかなり不服だが)チェカによく懐かれて遊ぶことをせがまれていた。それから生活範囲が離れていることもあってエイダがチェカの相手をすることは滅多になかったのだが、恐らくはそれが要因だろう。

「随分とお喋りするようになりましたね」
「うるせぇ……」

 迷惑そうなレオナに張り付いて無邪気に遊ぶことをせがむ無垢さをレオナは邪険に出来ないらしい。子供だからか何も知らないからか。
 チェカはレオナに今日食べたものや見たものを一生懸命話して、レオナはそれに逐一相槌を打つようなことはしなかったが、聞いているというポーズは取っていた。チェカの言葉が詰まれば「それで?」としれっと促すようなところで余計に懐かれてるんだろうな……とエイダは見ていて思った。
 レオナに元々律儀な質があったのか子供に優しいのか、もしくはエイダが押して押して更に押していたからか。
 しかしそんなことを考えていたエイダの思考をチェカが吹っ飛ばした。
 幼いライオンの獣人はエイダのほうをみてにこにこと太陽のような笑顔を浮かべた。

「おばたんも!」

 ――何の話でしたっけ?
 一瞬でそれまで考えていたことを忘れ去ったエイダは、それでもナメられてはいけないという反射が働いた。

「チェカ様」
「!」

 ガンッと小さな全身で衝撃を受けたチェカが硬直する。本能で動いてはいけないと察した。
 目の前の、チェカよりも大きなライオンの雌がチェカを見ている。

「エイダ、とお呼びくださいませ」

 声も出せず、コクコクと頷いた。

「チェカ様はお利口ですね」

 威圧がふっと無くなってもチェカは中々動けなかった。エイダが「飲み物を用意させましょうか」と召使いに命じるために背中を向けてようやく、チェカは全身の力を抜くことが出来た。
 一方でそのやり取りを眺めていたレオナが愉快そうに笑い声を上げる。

「ハッ、随分と大人げねぇな、オバサン?」

 即座に飛んできた水の塊をレオナは杖の一振りでかき消した。

「レオナ様もお言葉を改められたほうがよろしいかと。チェカ様に悪影響ですから」
「へぇ?だってよ、チェカ」

 幼いチェカの脳裏に刻み込まれたのは、その時のエイダの笑顔だった。

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