一日続いた熾烈な戦いの末、先に背を地に付けたのはうちはマダラだった。うちはと千手、その双方において、どちらかの頭領が戦地にて身を伏せるという事実は初めてのことであり、此度の──否、両一族の最後となる戦は、こうして幕引いた。

激しい戦火と痛ましい轟音が嘘のように、今は川のせせらぎだけが静かに辺りを包んでいる。

指先ひとつ動かす余地なく息を荒らげるマダラは、膝をついて己を見つめる柱間を、ただ見上げていた。



​「マダラ……終わりだ」



​柱間の傍から歩み出た扉間が、刀を握り直しそう告げる。幾度となく繰り返され続いた因縁も、これでようやく終いとなるか。留めを刺そうと刀を構える扉間の後ろに、名前もまた、ひとつの時代の節目を見届けるべく静かに控えていた。

外から千手に下った名前は確かに、うちはと対峙し続けた月日は浅いかもしれない。しかしそれでも、傷に痛み踠く者、家族や友を案じる者、我が子を失ってなお気丈に振る舞う者──それらをみて、何も感じていないわけがなかった。

だからこそ名前は、横たわるマダラに些かの同情の念を抱きつつも、その死を区切りとして望む他ない。

彼は己の死を、時代の所為と嘆くのだろうか。それとも、自らが辿った末路と呑むのか。どちらにせよ、遣る瀬無いことだと名前は目を伏せた。

──扉間の刀が、マダラの心の臓を穿たんと持ち上がる。



​「……待て、扉間」



​しかし、柱間から放たれた声が、扉間の動きを止めた。



​「なぜだ兄者!? 今がチャンスだろ……!?」



​突飛な制止に、さすがの扉間も感情を露わにして問いかける。すると、普段の温厚さを完全に削ぎ落とした厳かな圧が、柱間の全身から放たれた。鋭く刺すようなチャクラの荒ぶりが、容赦なく空気を震わせる。



​「手出しは許さん……」



​絶対を孕んだ一言に、扉間の背筋が凍りつく。その気迫は彼の後ろに控えていた名前にも伝播し、これまで数多の修羅場をくぐり抜け、恐るる物は何もないと自負していた彼女であっても、冷や汗を垂らし身を竦ませた。柱間が仲間に手出しすることは、今までもこれからも無いと分かっていても生物としての根源の恐怖が容易く揺さぶられる。彼が忍の神と謳われる所以だ。

だが、彼の制止を拒否したのは、他でもないマダラだった。



​「いっそ……一思いにやれ……柱間……。お前にやられるなら……本望だ」



​​彼の顔には、今まで誰にも見せてこなかったであろう、擦り切れた深い疲労と諦観が淡く滲んでいた。うちはの族長たる荘厳な面影は、もはやなりを潜めている。



​「かっこつけても無駄ぞ。長であるお前をやれば……お前を慕う若いうちはの者が、また暴れ出す」



​柱間から続けられる言葉の意図は、彼の行動とも相まって明確だ。けれど、マダラは見透かしたように彼を鼻で笑い、乾いた音を喉から漏らした。



​「もうそんな芯のある奴はいねーよ……、うちはには」

​「いや、必ず居る」



​柱間から繰り出されるは、説得とも取れる力強い肯定。それにマダラは微かに目を細めると、遠くの雲を仰ぐように視線をゆっくりと泳がせた。すると、柱間の目元が僅かに、どこか縋るように緩む。



「また……昔みてーに水切りできねーか? 一緒に……」

​「そりゃ無理ってもんだぜ……。オレとお前はもう同じじゃねェ……。今のオレにはもう……兄弟は一人もいねェ……。それにお前らを信用できねェ……」

​「どうすれば……信用してもらえる?」



​静まり返る川辺に、柱間の切実な問いが重く落ちる。マダラはそれに沈黙し、空を見つめていたが──やがて、その口から冷め切った諦めを隠さずに、言葉を紡いだ。



​「腑を見せ合えるとすりゃ……」



​ちらりと、マダラの視線が含むように動いた。その瞬間、名前は胸に強いざわめきを覚え、反射的に腰の苦無へと手を伸ばす。それは良からぬ足掻きの警戒か──。



​「今、弟を殺すか……己が自害してみせるか。それで……相子だ……。そうすりゃお前ら一族を信用してやる」



​──因果の禍根か。マダラの吐き出した言葉は、誰が聞いても紛うことなき死に際の狂言であり、それが場に落ちた瞬間、静観していた名前の瞳から一切の光が消え失せた。



「(この男を、殺さねば)」



名前はゆらりと無感情に一歩を踏み出す。彼女の指先は既に、苦無の冷たい柄を掴んでいた。同時に、控えていた千手の忍からも怒号が爆ぜる。



​「弟を殺すか自害しろだと!? ふざけたこと言ってんじゃねーぞこの……!」



​激昂して踏み出そうとした千手の男と、静かに腹を括った名前。しかし、その二人の動きを察知した柱間は、言葉もなく、ただ黙って片手を掲げた。族長の有無を言わさぬ制止に、男も、そして名前も、動きを止める他ない。

けれど、どうしたって感情だけは抑えられるものではなかった。

名前は勢いよく顔を上げ、扉間を見る。
マダラの口より名の上がった当人も、この事態は予想していなかったのだろう。その目が、僅かに見開かれている。

平和な理想の世界を誰よりも望む柱間と、それを実現したいと切実に願い支える扉間。彼らのどちらか一方が、切望した未来を見ることが叶わないという残酷な岐路。戦国の世とはその最後まで、こうも手酷いものなのか。



「(そんな、そんな)」



名前を取り巻く周囲の音が、途端に遠く、濁っていった。視界が歪み、果たして眼前の光景が現実のものなのかどうか定かでなくなる感覚。気が遠くなるとは正にこのことかと、胸を抉られるような絶望に名前は酷く打ちひしがれた。

扉間が何やら柱間へと懸命に訴えている。
名前は錯乱する世界の中で、ただ苦無に触れるだけとなった指先を小刻みに震わせていた。



「(私の……)」



──私の命は、何のために?

次第に激しくなる動悸は、まるで咎めるように彼女を追い詰める。

​名前にとって、己の命とは、大を生かす個だ。
それは仲間を守るために、これまで遺憾無く奮われてきた。前線に立ち、捨て身で得物を振るい、誰かの代わりに血を流し、そしていつか、他を繋ぐための糧として散る。

詰まるところ名前は──死ぬために、生きていた。

しかし、ひとたび戦地を離れた己の命は、あまりにも軽い。柱間の身代わりを名乗り出たところで、マダラが首を縦に振るはずはない。扉間の命に代わって腹に十字を切ったところで、大地に染みを落とすだけ。

​命を贄(にえ)る覚悟なら、とうにできている。
それなのに死が、己(お)のが命が、この状況を覆す活路を見出してはくれないのだ。

思考を焼く焦燥の中、名前は唇を無意識に噛み締める。僅かに白んだ隙間から一筋、血が虚しく滴り落ちた。

​──と、その時。



「もういい……お前の腑は見えた……」



まるで石を水に弾かせたような、短い音が確かに響く。それと同時に、名前の混濁した意識が明瞭に戻った。

眼前に広がっていたのは、己の腹に苦無を突き立てようとした柱間と、その手を強く掴んで引き止めるマダラの姿だった。

空とともに柱間を映すその黒は底が見えない。しかし滲む物寂しさと微かに燻る何かが、単色だったそこへと密かに差し込んでいる。

自分が無意味に意識を混濁させた中で、一体何が起きたというのか。鈍痛にも似た歪みが未だ残る頭で、名前は状況を整理しようと努めた。

──しかし、いつだってあの厳かな音は、彼女の事情を構わない。



「名前」



凛とした扉間の声が彼女の名を呼んだ。名前は反射的に、その声を辿るようにして顔を上げる。じわりと胸に満ちる確かな充足と、扉間の生を感じた安堵の広がり。扉間に名を呼ばれるだけで彼女の気丈はこうも容易く攫われてしまう。そこでようやくと、名前に世界の穏やかな彩りが戻った。

──だが、同時に戻る身の感覚が、彼女に違和感を与える。



「……?」



己の腕が、手のひらが、何かを強く捉えている。
確かに伝わる別の熱が、名前の意識を弾いた。



「!?」



​名前は思わず息を忘れる。なぜなら己の両腕が、扉間の体に巻き付いていたからだ。

マダラの要求に択を持ち得なかった焦燥の結果だろうか。まるで親との離別に抗う幼子の如き駄々が、酷く拙く絡まっている。

​己の犯したあまりの醜態に、名前の顔から血の気が失せた。謝罪の言葉すら恐れ多くて紡げない。名前は早急に腕を解こうと、慌てて身を離す。

──しかし、扉間の片腕がそれを止めた。
それは彼女の背へしっかりと回され、空いた隙間を埋めるようにして、強く引き寄せる。

​あらゆる害悪から彼女を守るように覆う、確かな抱懐。名前の上体に押し当たる青の甲冑は硬く冷たい。けれど、その奥にある人肌の温もりが、厚い隔たりを超えて染みていく。

そして今度は、背に回された方とは別の手が、名前の頬をそっと撫ぜた。



「恐い思いを、させた」



過ぎた彼の指が、僅かに濡れている。名前はそれが何であるかを瞬時には捉えかねると同時に、扉間から落とされた言葉の意味を理解しかねていた。

己の視界は、ただ冷たい青を映すばかり。

扉間は今、どのような眼差しを落としているのか。そして何を思い、どうして彼女を引き寄せたのか。

──それらを確認する勇気を、名前はまだ持ち合わせていない。



*  *  *



程なくして、うちはと千手が強く固い握手を交わした。それは互いに命運を担い合うことの証であり、平和な世に向けての新たな門出である。

忍界最強と名を冠する両一族が手を組み、基盤となる拠点──里を作るともなれば、取り巻く周囲もまた急激な変化を要された。

勝ち目は無いと悟ったか、或いは柱間の思いに同調したのか、仲間に加わりたいと申し出る一族は後を絶たない。それどころか、その規模に目を見張った火の国との連盟が決まり、大名たちとの対等な組織作りが始まった。

発展途上の日々は目まぐるしく過ぎていく。特に、政務の中枢を担うこととなった扉間と、その側近である名前の激務たるや、想像に難くないことだろう。

他一族との顔合わせや、火の国の大名との会談。そして、子どもたちの養育機関である忍者学校(アカデミー)の設立や、任務の区分制度の構築──里が安寧を保つ為に、すべき業務は山積みだった。

里ができる以前より、扉間直々に側近としての心構えを教示された名前であったが、彼女の本来の気質は武人である。故に、慣れぬ部類の疲労と重圧が連日のしかかれば、取り払う手段に乏しく苦労した。

幸いにして、彼女の仕事は外に多い。重役との会談や里の設計で手が離せない扉間に代わって、区画整備の現場へ足を運んだり、里へ加わった他一族の暮らしぶりを伺い歩くなど、机に向かうばかりでないことが救いだった。

名前は背筋を伸ばし、金槌や鋸(のこぎり)の音が止まぬ通りを歩く。そうすると、道中の大工たちは彼女に気付いて、快活な笑みを浮かべ手を振った。名前はそれに気付くと直ちに歩みを止め、深々と一礼してから歩を再開する。
こうした元来の生真面目さと謙虚さが、愛嬌へと転じて人々に親しみを抱かせているのだろう。意外にも名前は、一族という隔たりを緩やかに溶かし、繋ぎ直す存在として一役買っていた。

──そして、そんな彼女に新たな好奇が向けられることは、ごく自然ともいえた。

物陰から漂う微かな気配が、名前の背中を無遠慮に刺す。警戒、疑心、感心と、多様な色を含んだ瞳が、彼女の行動ひとつひとつを零さぬよう、追いかけている。

まだ何にも染まらぬその双眼は、ただ彼女の姿だけを強く捉えていた。


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