決意
辺見渡には、強い信頼を寄せる友人がいた。
能力が高い故かプライドが高く、物言いが誤解されやすい辺見に対して、友人――みょうじなまえは誰に対しても丁寧で物腰穏やかな性格をしていた。
対照的な二人だったが、それ故に相性は良かったのだろう。小学生時代にお互いが所属していた少年サッカークラブでは、堅実ななまえが確実にボールを止め、判断の早い辺見が鋭いパスで攻撃に繋げる――二人にだけ成せる唯一無二のコンビネーションが、チームでは評判だった。
辺見はなまえの存在を背に感じながらプレーすることに、得も言われぬ心地良さを感じていた。
例えば試合中に熱くなりすぎた時、背後にはなまえの穏やかに窘めるような視線があった。なまえだって、目まぐるしい戦況の中で神経がすり減り、余裕が無いはずなのに――いつだってその瞳が「辺見くん、信じています」と、無言で訴えかけてくる。彼女の存在は、彼の中で非常に大きい。
――故に辺見は、中学校進学を機になまえと進路を違えることに、強い喪失感を覚えていた。
ある日の、黄昏迫る頃のことである。いつものように、休日に時間を合わせて、二人でサッカーボールと戯れていた時だった。
ふと、なまえの相も変わらず柔らかい声が、胸の内に秘めていた、しかし無情に迫る現実を告げた。
『私、皆と同じように地元の公立に行こうと思ってて……』
言葉と共に彼へ蹴られたサッカーボールは、緩やかな弧を描く。しかし、それが蹴り返されることはなく、重力のまま地面へ落ち、数回跳ねて止まる。
なまえの表情は暗い。数年間を共に過ごしてきた辺見ですら、彼女がこれほどまでに痛々しく、打ちひしがれている姿を見るのは初めてで、返す言葉を見失ってしまう。
『帝国学園のサッカー部には私……ううん、そもそもフットボールフロンティアにも、私は……、……』
苦しげに言葉を絞り出す彼女は、避けられない事実を今、懸命に咀嚼し、嚥下しようとしている。
なまえという少女は、周囲の顔色を窺ってはその場を荒立てない選択をすることが多い。しかし、だからといって臆病というわけではなく、目の前の苦難に立ち向かう勇気を確かに持っていた。
『そう、か……』
辺見はぽつりとそう返事をした。彼もまた、避けられぬ現実を必死に噛み砕き、飲み込もうと努力している。一方で、彼女の弱みとも言える柔い部分を打ち明けられた事実は、紛れもない信頼の証であると、少しだけ誇らしかった。
辺見はなまえを一人の友人として尊敬している。
これからも自分の隣を走って欲しいという勝手な我儘を何とか抑え込み、最大限の敬意をやっと吐き出した。
『お前みたいなスゲー奴は、どこへだって行けると思うぜ』
『へ、辺見くん……』
『みょうじと一番サッカーしてきた、俺が保証する』
彼の言葉に、なまえは少しだけ唇を震わせる。しかしそれは一瞬で、次には力強く頷いた。
『そう、だよね。諦めなければ、いつかは……!』
『おう。中学行っても、また絶対サッカーやろうぜ!』
――こうして二人の幼くて淡い青春は、不変の友情を元に、道を別った。
辺見はフットボールフロンティア全国区常連、四十年間無敗の帝国学園へ。そしてなまえは多くの同級生達がそうしたように、地域の公立中学校へ進学した。
――悔いは無い。
帝国学園入学初日、辺見の表情は他のどの新入生よりも険しく、並々ならぬ決意を滲ませていた。
自分は必ず、ここにはいないなまえの分まで活躍してみせる。二人分の夢を背負った彼には、感傷に浸る時間すら惜しい。
「絶対一軍に入るぞ、俺は……!」
「ええ、その意気です! 辺見くん!」
――聞きなれた声が、すぐ横で弾けた。
辺見は信じられないとばかりに隣を振り返ると、そこには紛れもなくなまえ本人がいた。
彼と同じ重厚な色の制服に身を包み、スカートをわずかに靡かせて、いつもの調子で微笑んでいる。
心臓が跳ね、思考が停止する。なぜ彼女がここにいるのか。浮かび上がる疑問が濁流となって押し寄せるが、そんな彼の動揺など露知らず、なまえは晴れやかな顔で言葉を継いだ。
「私、諦めないことにしたんです」
辺見は、息を呑んだ。
彼はなまえという人物を誰よりもよく知っている。
知っているからこそ、その瞳に宿る光に、ただ圧倒されるしかなかった。