邂逅する赤、想起する白

ェイルノートを爪弾く。
 番えられた真空の刃が、相対するサーヴァントを切り裂かんと疾駆する。
 『無駄なしの弓』とも『必中の弓』とも謳われる弓の、其の“連撃”を避け切る事は先ず不可能であると自負して居る。取るに足らぬ己であるが、此の弓に関してだけは確かであると、然う思っていたし事実然うであった。
 彼方も此れ迄生き延びてきた歴戦のサーヴァントである事は見る迄も無く瞭然。
 だからこそ、油断する事無くフェイルノートを爪弾く。
 痛みと苦しみは、一瞬で良い。
 狂気に歪められ悪鬼へ貶められる高潔なる魂たちを、此れ以上見て居たくはない。
 見て居られない。
 許せない。
 心なき言葉を吐き、愛を与えられど与える事も無かった自分に其の様な義憤を抱く権利は果たしてあるのかと思い悩みながらも、だがしかし相手を思うが故の仕留める一撃だけは迷うことなく真っ直ぐ正確に飛ばす。
 情け深いが故に情けも無く、容赦も無い、連撃。
 腕を足を首を切り落としていく、真空の刃。
 相手が頽れる。
 追い打ちをかける様に、トリスタンは更にフェイルノートを爪弾いた。

 其の刹那。

 突如として何もない空間から現れた幼い子供が、頽れたサーヴァントの代わりに其の全身を切り裂かれた。
 何が起こったのか理解できず、トリスタンは暫しぼう、と其の場に立ち竦み、常は閉じられている金の瞳を目いっぱい見開いて目の前の光景を見つめる。
 子供、だ。
 赤い髪をしている。
 透き通る様な美しい白い肌が、切り裂かれた肌から垂れる赤に彩られていく。

 どちゃ、

 と潰れた肉を落とす様な、粘った音。
 遅れて金属質な落下音と鳥の悲鳴。
 戦闘も終わり静まり返った空間に、其れ等の音はやけに響いて聞こえた。
 然うして其の音で我に、現実に立ち返ったトリスタンは、油断無く先のサーヴァントが座に返っている事を確りと視認してから子供へと駆け寄った。
 幸か不幸か手足は千切れ飛んではいない。
 だが其れでも体の彼方此方を切り裂かれている――否、切り裂いて仕舞った事実は変わらないし、美しい赤い髪は半端な処でざんばらに切り落とされて床に散らばっている。
 少し離れた所に、子供の持ち物だろうか。銀色の鳥籠が横倒しに転がっているのが見えた。中には白い鳥が一羽、羽をばたつかせて狭い鳥籠の中を飛び回っている。

 大丈夫ですか、とも。
 確りしなさい、とも。

 声を掛けられない。
 此の惨状を招いたのは自分だ。
 戦犯である自分がいけしゃあしゃあとそんな事を尋ねる事は憚られた。
 其れに、此の子供は如何やらサーヴァントの様だった。
 突如空間に現れた処を見るに召喚されたばかりか、然うで無ければ何らかの転移能力の持ち主と云った所であろうか。前者であるなら兎も角、後者であるならば厄介極まりない。トリスタンの弓は先ず外す事は無いし、避けられたとしても到底避け切れるものではない代物ではあるが、射程距離外へ出て行かれては如何する事も出来ない。

 ――――――今、此処で殺すべきか?

 金の瞳に暗い色を刷きながら、トリスタンは子供の赤い髪を払い除け、其の顔を覗き込む。

「…………………………………………………………………………」

 そして、言葉を失った。
 驚く程、子供の顔は己の(それ)に酷似していたからだ。
 幼さが残る顔立ちに確かに宿る己の面影にトリスタンはただひたすら困惑する。
 他人の空似にしては、子供は余りにも己に似すぎていた。
 かと云って、トリスタン自身には子供にまったく覚えがない。
 腕の中の、吹けば飛んでしまいそうな程軽い子供が、急に重く感じられた。
 子供に、意識は無い。
 若し殺そうとするならば、其れこそ、先刻迄相対していたサーヴァントよりも容易く屠れるだろう。

 だが、本当に此の子供を此の侭殺して良いのだろうか?

 先程迄微塵の迷いも無かった心に浮かぶ、殺意に対する明確な迷い。躊躇い。
 迷いに迷った末、トリスタンは簡単な止血を子供に施すと、羽織っていた外套で其の小さく線の細い身体を包み、抱き上げた。血が、外套に濃く黒く滲み、ぽたぽたと滴る。
 安全な場所等ありはしないが、こうも開けた場所では格好の的以外の何物でもない。
 手当をしてやるにしても、移動するより他無かった。
 其の侭転がっている鳥籠も念の為拾い上げ、トリスタンは一先ず腰を落ち着けられそうな場所を求めて歩き始める。
 己の得物がフェイルノートで良かった、と。
 アーチャークラスで現界した事に僅かばかり安堵する。
 爪弾く事さえ出来れば矢を番え射るのには何の手間も要らぬ得物だったからだ。
 だがそんな安堵と同時に、態々此の様な場所で此の様な危険を冒してまで此の子供を連れて行く価値は果たしてあるのか、と云う迷いがある事も告白せねばならないだろう。
 其れでもトリスタンは、子供を連れて行こうと思ったのだ。
 其れは子供の見目が己によく似ている事も大きな理由の一つではあったのだけれど、何より――……

(白い手のイゾルデを、思い出す)

 此の世の者とは思えぬ程透き通るような白い肌が、嘗て己を愛し、己が終ぞ愛せなかった女性を思い起こさせたからでもあった。

19.3.6