コトノハ-02-


だん、とセフィロト内にある壁に両手をつく。暴れだしそうになる感情を抑え切れなかったが故の行動だった。
セフィロト内部に居る全員の視線が私に集中するのがわかったけれど、ソレを無視して私はセフィロト内の壁に刻まれている文字を食い入るように見つめる。
私の隣に立っていた武官兼書記官さん、セフィロト内部にあった装飾文字を記録するために着いてきた人も、目を見開いて驚いている。

「ちょっと、どうしたのさ」

私の行動を不審がったシンクが声をかけてくるが、応える余裕が無かった。
シンクを振り返ることなく呼びかけを無視したことにムっとしたのかもしれない。
私の背後まで彼が歩み寄ってくる気配を感じ、邪魔されたくなかった私はそこに刻まれていた文字を震える唇で読み上げる。
そこに書いてある文字を信じたくなくて、もう一度最初から。

「……『この言葉を読める者がいつか現れた時のため、私はここに言葉を記す。
彼らは肉体を持たない存在だった。音素が重なり合い、集まることで意識を持ったいわば精霊に近い存在だった。
この世界を形作る闇、地、風雷、水、火、光、そして音を司り、世界を守護せし存在。仮称として、音素意識集合体とでも呼ぼうか。
彼らは私に語った。この世界の危機が迫っていると。そして私を『古き良き言の葉を知る者』を称し、世界の救済して欲しいと望んだ』」

私の声は微かに震えていた。背後でシンクが息を呑んだのが解った。
いつの間にかセフィロト内はシンとしていて、誰もが口をつぐんで私を見ているだろうということが解る。
しかしそんな周囲の反応以上に、私はこの文章のほうが大事だった。

「『話を聞いていくうちにどうやら私を日本から呼んだのは、彼等らしいということが解った。
この世界の救済のため、フランシス・ダアトの身体に私の意識を入れ込んだのだという。
人は世界を壊しすぎるとウンディーネは嘆いていた。どうやら彼らの指す世界とは、星そのものを指すようだ。
私は彼らの望みを承諾した。彼等から頼まれたからでも、この星のためでもない。愛した人が嘆くからだと、それだけは念を押して』」

ぐらぐらと世界が揺れる気がした。めまいを覚えながらも膝が震えて、今にも倒れそうだった。
そしてふっと力が抜けた瞬間、腰に手が回され身体を支えられる。
振り返るとそこには仮面をつけたままのシンクがいて、無言で私を抱えていた。
無言で壁を見上げるシンクに、続けろといわれた気がして私もまた壁を見上げる。
緊張で吐きそうだった。

「『それから私はフロート計画を提唱し、それを実行するための教団を作り上げた。
ユリアの詠んだ預言通り、これで世界は一時的にでも救われるだろう。
後は後の人々に託すしかない。今の私にはそれしかできない。これ以上のことをできる力が、今の私にはもう存在しない。
今の私はユリアを救うため、イスパニアと取引をして教団から離れた身。
何とか処刑から逃れることはできたものの、大国に追われる身となった以上私の命はもう長くもたないだろうから。

それでも何とかセフィロトを回って言葉を残そうと思うのは、教団のときと同じ私がここに居たと示すため。
そして同時に、この言葉を読んでいるであろう顔も知らない日本人に知らせるためだ。もう、日本には帰れない、の……だと』……」

信じたくない信じたくない信じたくない。

声に出して読みあげても、結果は変わらなかった。
首を振りながら「うそ、」と言葉を紡ごうとして失敗した。唇から言葉は漏れず、ただ息が漏れただけだった。
今度こそ力が抜け、振り返った私はシンクに縋る。仮面の下からぽろぽろと涙が零れ、首筋を這って行く。
シンクの背後でイオンやアッシュ、アリエッタ達が驚いたように、しかしどこか困ったように私を見ていたけれど気にかける余裕なんてなかった。

どこか楽観的だった。いつか日本に帰れるだろうと。
日本語という手がかりがあるのだから、帰り方だっていつか見つかるだろうと。
根拠も無く心の奥底ではそう信じていた。
ソレまではこの世界で楽しく生きようだなんて、的外れなことすら考えていて。

「シ、ンク……やだ、わたし、かえれないなんて、やだよ……っ」

「ユキエ……」

「おかあさんに、おとうさんにあいたい。ともだちだって、みんな、やだ……やだ、かえれないなんて……やだよ、にっぽんにかえりたいよ……っ!!」

今更、ソレがどんな甘い考えだったのか思い知る。
与えられた答えは絶望しかなくて。
イヤだ、帰りたいと無意味に繰り返し呟いていた私はついに耐え切れなくなって、大声を上げて泣き喚く。
いやだいやだと子供のように喚く私をかき抱くようにシンクは抱きしめる。
暴れだしそうになる私を押さえつけるような、力任せの抱きしめ方だった。

セフィロト内部に私の泣き声だけがこだまする。
そして私はそこで意識を途切れさせた。





  ■ □ ■ □




そして目が覚めたとき、私は揺られていた。
腫れぼったいまぶたを何とか持ち上げ、瞬きを繰り返せばまずマントに覆われた自分の体が目に入る。
続けて揺れていてのは魔物の背に座っているからだと解り、背中に感じる温もりの正体を確かめようと振り返れば、そこには仮面をつけたシンクがいた。
同時にその背後は綺麗な橙色と群青色のグラデーションを描いていて、今が明け方か夕方のどちらかだと悟る。

「目が覚めたみたいだね。気分はどう?」

「シンク……?私、ザオ遺跡のセフィロトに居た筈じゃ……」

うまく記憶が繋がらず、やけに重い頭を振って何とか意識を浮上させようとする。
周囲を見渡せば気遣わしそうに私を見るイオンやアリエッタと目が合った。

「覚えてないの?ザオ遺跡のセフィロトで気絶したのさ。
だからこうして僕が一緒に騎乗して君を運んでるんだけど?」

「セフィロトで、気絶?」

「そうだよ。今は砂漠を越えてもうすぐケセドニアに着くところ。ディストが仮説を立てちゃ居たけど、パッセージリングの起動にはやっぱりユリアの子孫であるヴァンが必要だって解ったからね。
すごすご帰ってる真っ最中ってわけ。ったく、とんだ無駄足を踏まされたよ」

やけに饒舌なシンクを不思議に思っていると、徐々にセフィロト内部での記憶がよみがえってくる。
壁に刻まれた無機質な文字が告げる残酷な真実が、あそこにはあったのだ。

帰れない。帰れない帰れない帰れない。
信じたくない。私はずっとこの世界に居なきゃならないの。
お父さんとお母さんにはもう会えないの。友達だってきっと心配している。
学校だってもうすぐ卒業だったのに。スーツを買った時の両親の笑顔が浮かんでは消えていく。

自分の血の気が段々と引いていくのが解った。
蘇った記憶に手足が震え始める。

「あ……そう、だ……わたし……もう、」

「思い出すな!!」

嗚咽と共に漏れた言葉に反応して、目頭が熱くなりまた涙溢れそうになる。
けどソレを止めるようにシンクが怒鳴ったから思わず涙も引っ込んで、次の瞬間私はシンクにきつくきつく抱きしめられていた。
シンクの怒声に踊ろいたのだろう。私と同じように戸惑った顔をしたアリエッタ達が視界の端に掠める。

「シン、ク……?」

「思い出さなくていい……だから泣くな。君は何も見なかった。だからこれからも帰る手がかりを探すために、君は僕の傍に居るんだ」

腹部に回された腕のせいで息が苦しいのに、耳元で血を吐くようにして囁かれた言葉に私はなんと言って良いか解らなくなった。
シンクなりの慰めなのだろうか。それとも泣き喚く私を止めたくてこんなことを言っているのだろうか。
シンクがなんと言おうと事実は変わらない。あの壁に刻まれていた、日本には帰れないという文字は変わらないのだ。

「その、シンク……あのね、」

「うるさい黙れ」

「あの、しんく」

「黙れって言ったのが聞こえないの?」

私に絡みつく腕に力がこめられる。これ以上しゃべるなと言いたいのだろう。
息苦しさに喘ぎながらも、それでも私はシンクを振り返った。
仮面のせいでシンクの表情は見えず、なんと言えばいいのか解らないけれど、それでもと唇を開いて。

「もう、いいよ……ありがとう」

ただ、そう呟いた。

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