「連行せよ」


それはチーグルの森の入り口で起こった。
不適に笑う帝国軍人と、現状が飲み込めず青ざめる青年と少女。
二人を囲うのは武器を構えた帝国軍人の部下達だ。

「連行せよ」

圧倒的に優位な現状を驕るように、高らかに言う帝国軍人。
その一手が帝国にとって致命的な一手になってしまうことを、勘のいい一部の部下達は気付いていた。
しかし軍人の上下関係は非常に厳しい。
例えどれだけ不本意な指示であろうと、従わなければならないのが軍人というものだ。
全てが終わった後首をはねられる覚悟で部下達がその指示に従おうとしたとき、天の助けがその場に高らかに響いた。

「何をお馬鹿なことを言っているのですか、この愚兄。少しは頭を冷やしなさい。すぷらっしゅ」

それは舌足らずで子供特有の高い声だった。しかし不快な甲高さは存在しない声でもあった。
同時に詠唱破棄された術式が大量の水を呼び、愚兄と呼ばれたハニーブロンドの軍人の頭上に降り注ぐ。
詠唱破棄がされているにも関わらず、頭を冷やすどころか水圧に押されその場で突っ伏してしまいそうな威力だった。

蛙がつぶれたような声を上げながら術式を受けた帝国軍人に取り囲まれていた二人は先程までの緊張も忘れ、思わずぽかんとしてしまう。
大量の水気が最後の一滴を残して消えたあと、水圧につぶれた帝国軍人の背後から現れたのは二名の帝国兵を連れた軍服を着た幼女が垣間見えた。
可愛い、と女が呟いたのは皆あえて聞かなかったふりをする。

「全員整列、今すぐその御方に向けた武器を下ろしなさい!」

「はっ!」

幼女の命令に、二人を取り囲んでいた兵士達は即財に対応する。
勘のいい部下達は助かったと内心胸を撫で下ろしていたし、鈍い者達でも幼女の"御方"という言葉に嫌な予感を覚え素直に従う。
武器を下ろし、一糸乱れぬ動きで幼女と二人の間に道を作るようにして左右に別れ整列する。お陰で二人はようやく幼女の姿を見ることができた。
そこにいたのは帝国軍人が着ていた青色の制服をAラインワンピースにしたような軍服を纏い、長い髪をツインテールにまとめた、正真正銘の幼女だった。

「我が同胞の無礼をお許しください。わたしはマルクト帝国近衛師団副師団長、ユキエ・カーティス少将と申します。
そちらに寝転がっているのは我が義兄、ジェイド・カーティス大佐です」

拙い言葉遣いとは裏腹に、敬礼をとる動作はキレがあった。
男女のうち少女――ティア・グランツは自分より年下にしか見えない少女が少将を名乗ることが信じられず、口を開けてぽかんとしている。
もう一人の青年――ルーク・フォン・ファブレは一瞬眉をしかめたものの、別にいいけどさ、と呟くように応えた。

「ありがとうございます。慣れぬ森林の行軍にさぞお疲れでしょう。宜しければ我が戦艦の中でひと休みされてはいかがでしょう?
それと少しばかりお伺いしたいこともございまして、どうかわたくしめにお時間をいただけませんでしょうか?」

「あ?別にいーけどよ……その、いいのか?兄なんだろ、あれ」

僅かに頭を下げ、馬鹿丁寧な態度を崩さないユキエに、ルークは視線だけでジェイドを差した。
その視線に気付いたのか、僅かに震える腕を支えに起き上がったジェイドはずれた眼鏡のブリッジを押し上げて位置を直した後、咎めるようにしてユキエの名前を呼ぶ。

「言いたいことがあるのならば譜術を使わずに口で言うようにいつも言っているでしょう。いきなり何なんです」

「理由がわからないのならば口をつぐんで立ってなさい。貴方はどうしようもないお馬鹿さんのようですから、後で私が直々に教鞭に立ち、懇切丁寧に教えてさしあげます。
ロリコンの汚名をかぶって養子縁組解除されてしまえ」

可愛らしい声に似合わない辛辣な言葉を訥々と並べるユキエの顔は、義兄に対する嫌悪を隠していなかった。
周囲はハラハラしながら兄と妹を見守っているのだが、ジェイドはそれに気付くことなく大げさにため息をつく。

「ユキエ、以前から言おうと思っていたのですが血が繋がっていないとはいえ私は貴方の義兄です。歳も親子ほど離れている。
少しは口の利き方というものを考えなさい。でないとカーティス家は養子にまともな教育を与えていないと思われるのですよ?」

「お黙りやがれ下さいと何度言えば解りますか。義兄弟とはいえ節度をもったやり取りを致したいならば常識と礼節を学んできてから言いなさい」

「常識と礼節、ねぇ。権力相手にひれ伏し貴人に媚を売るのが貴方の常識と礼節ですか。なるほどなるほど」

ちらりとルークに視線をやり、馬鹿にしきった口調でジェイドは言う。
貴族に媚を売るなど愚か者のすることだと、その赤い瞳は雄弁に語っていた。
その口調にルークのみならず、周囲の兵士達の数名もカチンときたようだ。
しかし言われた張本人であるユキエは唇を小さく尖らせた後、パンと両手を叩き譜術を発動させる。

「ういんどかったー」

その瞬間、無数の風の刃がジェイドを襲った。
譜術耐性のあるはずの軍服をあっけなく切り刻み、首筋に一筋の赤い跡をつける。
暴漢に襲われたような服装になってしまったジェイドだったが、流石に頚動脈を狙われるとは思っていなかったのだろう。
咄嗟に槍を取り出して足を半歩引き臨戦態勢に入ったものの、続けざまに発動したグラビディによる過重力に負け再度その場に突っ伏す羽目になる。

「うわ……」

「す、すごいわね……」

詠唱破棄され次々に繰り出される高威力の譜術に、若干青ざめた二人が言葉を漏らした。
しかしユキエは形の良い眉を潜め、童顔を嫌悪で歪めながら突っ伏した愚兄の脇腹に足を乗せる。
そして踵に錘を仕込まれているロウヒールで、ぐりぐりといたぶってやる。
切り刻まれた服の下に覗く肌は一切傷つけられていないのに気付き、絶妙な譜術の手加減具合に今度こそ二人は青ざめさせていたのに気付かないふりをして。

「図に乗るのもいい加減になさいおばかさん。マルクトは貴族制度を採用している国です。
にもかかわらず貴人を尊ばないなど国の在り方を否定し国そのものに喧嘩を売っているのと同じことだと何故解らないのですか。
貴方がしているのは謀反の意ありとみなされてもしようがないことなのですよ?

別に貴方が腹の中で何を考えていようとわたしの知ったことではありませんしそれに関して口を挟むつもりはありませんが、軍人でありカーティス家の名を背負うのであれば、たとえどんなに気に入らない相手であろうとそれが貴人であるのならば不満を飲み込み頭を垂れ膝を付くのが当然のことなのです。
そんな簡単なことも解らないから、私は貴方に辛辣なのですこのおたんこなす!」

「おたんこなす……」

一体その悪口はどこで覚えてきたのか。
げしげしと小さな足で愚兄を踏みつけながらユキエがほえる。

そうしてひとしきり足蹴にして満足したのか、気を失っているらしいジェイドをさっさと視界から追い出し、ユキエはすがすがしい笑顔を浮かべて二人へと向き直った。
二人の口から喉が引きつったような声が漏れたことに一般兵士達だけが気付いていたが、気付かないふりをしたのは勿論彼らの優しさである。

「お待たせしてしまい申し訳ございません。愚兄も言っていたのですが、お二人がわが国に入国した経緯などをお伺いしたいと思いまして。
あぁ勿論何かしらのご事情があることは察しております。ですので連行ではなく飽くまでも保護という形でお招きさせていただく所存です。
ですのでそのように硬くならずとも結構ですよ。戦艦ゆえ無骨な作りではありますが、精一杯おもてなしさせていただきますので。さぁどうぞ。こちらです」

先程までの暴力の嵐など欠片も感じさせない優しい声で言うユキエに、ルークとティアはこくこくと赤べこのように頷いて答える。
兵士達はユキエの指示に従い、丁寧に二人を戦艦内まで案内した。

そうして今まで口を挟まず見守っていた導師イオンが、ルークとティアが乱暴されないことにホッと胸を撫で下ろした途端、背中に走った悪寒にぴくりと肩を跳ねさせる。
一体何が原因かと周囲を見渡した導師とぱちりと視線を合わせたのは、先程まで愚兄相手に暴君と君臨していたユキエだ。
導師は後に語る。このとき生まれて初めて、冷や汗が背中を伝う感覚を知ったと。

「導師も、あとで私とお話をしましょうね」

「あ、あの……」

「し・ま・しょ・う・ね??」

「は、はい!!」

青を通り越し白い顔色で、導師は引きつった声で返事をした。
それに満足そうに頷いた後、導師の手をとったユキエはこれまた丁寧に戦艦内部へと導師を案内したのだった。




夢主の詳細は次回で。
イオンはこの後一人で行動したことを怒られました。

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