コトノハ-04-


この言葉を読める者がいつか現れた時のため、私はここに言葉を記す。
彼らは肉体を持たない存在だった。音素が重なり合い、集まることで意識を持ったいわば精霊に近い存在だった。
この世界を形作る闇、地、風雷、水、火、光、そして音を司り、世界を守護せし存在。仮称として、音素意識集合体とでも呼ぼうか。
彼らは私に語った。この世界の危機が迫っていると。そして私を『古き良き言の葉を知る者』を称し、世界の救済して欲しいと望んだ。

話を聞いていくうちにどうやら私を日本から呼んだのは、彼等らしいということが解った。
この世界の救済のため、フランシス・ダアトの身体に私の意識を入れ込んだのだという。
人は世界を壊しすぎるとウンディーネは嘆いていた。どうやら彼らの指す世界とは、星そのものを指すようだ。
私は彼らの望みを承諾した。彼等から頼まれたからでも、この星のためでもない。愛した人が嘆くからだと、それだけは念を押して。

それから私はフロート計画を提唱し、それを実行するための教団を作り上げた。
ユリアの詠んだ預言通り、これで世界は一時的にでも救われるだろう。
後は後の人々に託すしかない。今の私にはそれしかできない。これ以上のことをできる力が、今の私にはもう存在しない。
今の私はユリアを救うため、イスパニアと取引をして教団から離れた身。
何とか処刑から逃れることはできたものの、大国に追われる身となった以上私の命はもう長くもたないだろうから。

それでも何とかセフィロトを回って言葉を残そうと思うのは、教団のときと同じ私がここに居たと示すため。
そして同時に、この言葉を読んでいるであろう顔も知らない日本人に知らせるためだ。もう、日本には帰れないのだと。

だがどうか覚えておいて欲しい。忘れないで欲しい。
君は確かに望まれてここに居る。無力感に苛まれているかもしれない。帰れないことに絶望しているかもしれない。
けれどどうか、生きることを諦めないで欲しい。生きていれば、必ず希望はある。

そして君がここに居るということは、世界が危機に瀕しているということでもあると思う。
私は君に、世界を救って欲しいとは言えない。
でももし君に親しい人が居るならば、愛しい人が居るならば、その人のために努力をしてみてくれないか。
世界のためだなんて考えなくて良い。ただほんの少しだけ力を貸してくれればきっと、それが未来に繋がると私は信じているから。

フランシス・ダアト/雨宮信宏



書かれていた言葉を読みきった。自分の血の気が引いているのが解り、くらりと倒れそうになったもののシンクが手を握ってくれたことで何とか堪える。
誰もが皆口を開かず、これだけの人数がいながらセフィロト内部には静寂に包まれていた。
様々な感情が乗った視線が突き刺さるが、あえて気づかない振りをしてシンクを見る。
仮面越しでもシンクが私を心配しているのが伝わってきて、安心させるように一生懸命笑ってみせれば、シンクもまたぎこちなく笑みを見せてくれた。

ケセドニアで数日を過ごした私達は、此方からの連絡を受け取ったグランツ謡将と合流し、改めてザオ遺跡の深部にあるセフィロトへと足を踏み入れていた。
その壁面に刻まれていた言葉達。私に残酷な真実を告げた後、後半の文字列はまるで私の絶望を予想していたかのように優しい言葉が連ねられていた。

「ユキエ……貴方は、音素意識集合体達に何かを頼まれて、ここに居るのですか?」

背後から声をかけられた。振り返れば硬い表情のイオンが音叉の杖を握り締めて私を見つめている。
それはきっとこの場に居る誰もが持っている疑問だろう。だから私はイオンに向き直り、首を振りながらはっきりと否を示した。

「いいえ、イオンさま。私は何も頼まれた覚えはありません」

「では……貴方はその、にほん?という場所から来たのですか?」

「はい。私は日本の首都、東京という町に住んでいたただの一般人でした。
しかし気づけばこのオールドラントに居て、それからは生きることで精一杯で、音素意識集合体達からの頼みごとなどされたこともありませんし、されたとしても叶えるだけの余裕はなかったでしょう」

はっきりとした私の受け答えに、イオンはそうですか、とだけ呟く。
もっと聞きたいことはあるだろうに、言葉がまとまらないのだろうか。
見ればグランツ謡将も私のことを意味ありげに見ていて、何か言いたいことがあるのだろうかと言葉を促せば、謡将は少し迷った後に私に質問を投げかけてきた。

「そのにほんという国に、預言はあったか?」

「いいえ、日本に預言はありませんでした。だから私も、特に預言を必要としたことはありません」

「なるほどな。では君の目からは我々預言に溺れる人間はどう見えた?」

「そうですね……えっと、先に謝っておきますね。侮辱する気はないんですけど、気を悪くしたらごめんなさい。
衣食住が確保されて、周りを見る余裕ができたとき……私はこの世界の人たちが、とても可哀想だなと思ってました」

私がそう言ったとき、周囲は僅かにざわめいた。憐憫という感情を向けられる理由が解らなかったのだろう。
イオンとシンクも、どういうことだと私を見ている。
グランツ謡将だけは何故か楽しそうに私を見ていて、先を促された私はおずおずと口を開いた。

「やりたいこと、なりたいものが、この世界では預言のせいで制限されます。
料理人になりたくても、預言に宿屋の主人になると詠まれていればそれだけでその夢は叶わなくなってしまいます。
人はいろんな可能性を持っているものだと、私は思います。
それなのに預言はそれを制限していて、この世界の人たちはそれを当たり前のように受け入れていて、なんの疑問も持ってない。

私は学生でした。学校を卒業したらどうするか、いろんな選択肢がありました。
勿論私の技量不足だったり適正がなかったりして潰えた道もあったと思います。
けれど私は少なくとも自分の未来を自分で選べました。それに比べればこの世界の人は……やっぱり可哀想だなと思います。
だって自分が行けるかもしれない道を自分でふさいで、それを当たり前に思ってる……ううん、もしかしたら行けたかもしれない道があったことにすら気づいてないから」

私の言葉を聞いたグランツ謡将は目を閉じたかと思うと、どこか満足そうにそうか、とだけ呟いた。
こんな小学生の作文みたいな返事で何とか満足してくれたらしい。良かった、怒られなくて。
密かに胸を撫で下ろしながらシンクを見れば、こっちは何故か口をへの字にしている。何で。私なんかした?

「そう言う発言はやめろって前に言ったよね?」

「……あ」

その通り、以前私は預言に否定的な意見は控えるよう言われていた。
すっかり頭から抜けていた私に、シンクは深々とため息をつく。
グランツ謡将の指示を受けて動き出した神託の盾兵の人たちを背後に、えへへと笑いながら何とか誤魔化そうと試みる。
勿論私の思惑はあっさりとシンクに見抜かれてしまい、シンクは私の頭をがっしりと掴み、指先にぎりぎりと力をこめ始めた。
痛い痛い痛い痛い!!

「一体この頭の中には何が詰まってるのかちょっと僕に教えてくれるかなぁ?」

「の、脳味噌!脳味噌が詰まってます!!」

「随分と覚えが悪い脳味噌みたいだね……刺激を!与え!れば!マシに!なる!かな!?」

「あだだだだだだっ!!ドメスティックバイオレンス反対っ!!」

言葉を区切るのと同時にみしみしと音が立ちそうなほど強く頭を掴まれる。
シンクの頭を何とか剥がそうとその指先を掴んでみるも私が力で適う筈もなく、いっそ頭蓋骨が変形するんじゃないかと思い始めたあたりでようやく私は解放してもらえた。
これ逆に暴力食らう度に脳細胞死滅して馬鹿になってるんじゃないか、私。

いつの間にか緊張気味の空気が消え、セフィロト内部に流れていた空気もマシになった。
私に集約されていた視線は霧散し、今は皆謡将の指示に従って忙しなく働いている。
そうなれ必然的に暇を持て余しているのは私とイオン、そして護衛のアッシュとアリエッタとシンクの若いメンバーのみ。
他の人たちの邪魔にならないよう固まった私たちは、誰からともなく自然とお喋りに興じていた。

そうして雑談をしていた私たちだったが、グランツ謡将に呼ばれてお喋りを中断し今後の予定とやらを聞かされる。
今回のセフィロト探索で外郭大地一括降下作戦のため、セフィロトの封咒を解くには導師とユリアの子孫であるグランツ謡将が必須であることが解った。
そして最後の一つの封咒、アルバート式封咒というものが存在するせいでケセドニアやダアトではセフィロトの一括操作ができないということも。
なのでこの結果を持ち帰り、まずはマルクトとキムラスカ二カ国に協力を仰いで会議を開き、外郭大地一斉降下作戦の承認を得ないといけないらしい。
その為にはいくつかクリアしなければいけない問題があるとかで、時間がかかるだろうから私は先に別のセフィロトに行って装飾文字の有無を確認してくれとのこと。

「今回の言葉も音素意識集合体の存在に関わる非常に重要な事項だった。他のセフィロトにも同じように重要事項が記されている可能性が高い。
読み上げてくれただろう?この文字を読んでいるということは、世界が危機に瀕しているというくだりを。
アレはつまり、二千年前にいずれ危機が訪れると解っていたということに他ならない。
今回はきみのような存在を励ます内容がメインだったようだが、他のセフィロトにはもっと詳細なことが書かれている可能性もある。

故に他にも何か手がかりがないか、他のセフィロトを回って確認して欲しいのだ。そして何か重要なことが解ったら、すぐに知らせて欲しい。
そのたった一つの情報が、二カ国の承認を得られる切り札となる可能性とてあるだから」

そんな責任重大なこと任せられるのか。何も見つからなかったとしても、私の責任になったりしないよね??
そんなことを考えつつグランツ謡将の言葉におずおずと頷けば、謡将は頼んだぞと言って私の肩をぽんと叩いた。大きな掌だった。
今までどおり護衛にはシンクが就いてくれるらしい。

「ではここからは別行動だ。まずはタタル渓谷、そして可能ならばシュレーの丘にあるセフィロトも回ってくれ。
アッシュ、アリエッタ。お前達も行け。小隊を率いて護衛任務に当たるのだ。シンク、お前が全体の指揮を取れ。
私は導師と共にダアトに帰還し、国王と皇帝をお迎えする準備をせねばならん。
あまり渋られるようならユリアシティに案内することも視野に入れることを考えると、時間がない」

「ちょっと待ってよ!導師が一緒に帰還するなら誰がダアト式封咒を解くのさ!」

「決まってるだろう。お前だ、シンク」

当たり前のように、グランツ謡将は言った。
息を呑んだのは一体誰だろう。目を見開いてシンクを見たのは、一体誰だろう。
シンクは震える唇を何度か開閉させたかと思うと、怒りで顔を真っ赤にしてグランツ謡将に掴みかかった。
アリエッタとアッシュが私とイオンを庇うように前に出たのも、仕方のないことなのだろう。

「ふざけるな!!」

「ふざけてなどいない。お前ならできる筈だ。やれ」

「僕が……僕をなんだと……っ!!」

「ならば他の人間にやらせるか。確か……もう一人居たな。できるのが」

怒りで言葉を詰まらせたシンクに胸倉をつかまれているにも関わらず、涼しい顔をしたグランツ謡将は意味深に言葉を切ってちらりと私を見る。
驚いた顔をしたアリエッタが私を振り返ったが、私は何も言えない。言わない。
イオンが気遣わしそうに私を見たが、それもまた気付かないふりをする。
それを聞いて息を呑み絶句したシンクの隙をつきグランツ謡将はシンクの手首を掴んで捻る。
それだけで胸倉を掴んでいたシンクの手はあっさりと外れ、それどころかその場でくるりと回転してその細い肢体が床に叩きつけられた。

「シンク!」

受身を取ることもできず、叩きつけられた衝撃にむせこむシンクに思わず駆け寄る。
けれど肘をついて上半身を起こしたシンクが駆け寄った私を背中に隠すように追いやってしまった。
仮面をつけているため実際には見えないが、その視線はグランツ謡将に固定されたまま。

「いいよ……やればいいんだろ!やれば!!」

「そうだ。お前がやれ。定期報告は忘れるな。以上だ。
上官に対する暴力行為はその怪我に免じて見逃してやろう。

導師、半刻後には出発いたします。宜しいですね?」

「……わかりました」

そう言って導師の同意を取り付けたグランツ謡将はくるりと背を向け、他の神託の盾兵の指揮を取り始める。
その背中を睨みつけるシンクの怒りは苛烈なまま……なんと声をかけていいかなんて、解る筈がなかった。

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