「私はどちらでもいいんです」


タルタロスを脱出したユキエは近場のセントビナー軍基地にて保護を求めた後、鳩を飛ばしてピオニーの指示を仰いだ。
ジェイドは軍基地に保護を求めることも反対した上、幸い導師イオンは今だ此方の手の中にいるのだからルークの不法入国を不問にする代わりに和平への協力を求めるべきだと提案したもののユキエはこれを却下。
陛下の指示を待つ身ではあるが、神託の盾がしでかしたことを考えれば導師イオンの和平の仲介は最早望めない、正規ルートにてルークをバチカルへと送りつつ、真正面から和平を望むべきだと一喝。
ジェイドは使えるものは使うべきでありピオニーと同意見の筈だと主張したが、グランコクマからの返答はカイツールを経由し丁重にルーク殿をお送りした後飽くまでも別件として和平を申し込むようにという指示であった。
それとは別に導師イオン宛の手紙も届いており、そちらはユキエの予想通りに和平の仲介を丁寧にお断りするものであった。

その手紙を読んだ導師イオンは悲しげな顔をしたものの仕方がないと納得しているようで、ジェイドは不服といわんばかりに口を一文字に引き結ぶ。
イオンは導師守護役の到着を待ってバチカルへと謝罪に向かおうとしたものの、ルークの要望によりバチカルまで共に向かうことを決める。導師守護役はカイツールにて合流することになった。
それまでの護衛は事態を把握したセントビナー軍基地の総大将であるマクガヴァン将軍の提供があったため十分な戦力を集めることができた。
そこでユキエの提案をことごとく反対したジェイドは、マクガヴァン将軍とユキエの二人に揃ってねちねちと責められたのは言うまでもないことだろう。

そうして辿り着いたカイツール軍港で待っていたのは、悲しみのふちにある導師イオンを更に苛むものであった。
鮮血のアッシュの指示を受けた幼獣のアリエッタ率いる魔物の群れによる、軍港襲撃。潮の香りの中に混じる鉄錆びの匂いは強く、犠牲者の多さを連想させて誰もが顔を顰めた。
幼獣のアリエッタは軍艦を破壊し、修理できる整備士を誘拐。その代わりに導師イオンとルークの身柄を寄越せと言い残し姿を消した。

当然そのような要求、受け入れられるはずも無い。
神託の盾の総長であるヴァン・グランツによるアリエッタ捕縛作戦が決定され、ルークたちは整備士が救出され軍艦が使えるようになるまで国境で待つことを余儀なくされた。
しかしそこでアニスとティアが妙なことを言い出す。自分達が整備士を救出すべきだと主張し始めたのだ。
導師イオンも声高に同意はしないものの、整備士長が大厄は取り除かれると預言を詠まれた以上、助けるべきだと考えているらしい。
ダアト組の主張にユキエは猫のように目を細め、その隣でミュウに意思確認をされたルークが行きたくないとぼやいた。

ユキエが口を開かないことをいいことに、セントビナーから連れ立った護衛達に囲まれた状態で一行は言いたい放題だ。
行ったほうがいい、行くべきだ、という主張を聞きながら、ユキエはジェイドを見上げて問いかける。
曰く、ジェイド大佐、貴方はどう思いますか、と。その瞳は明らかに何かを含んでいたし周囲の護衛からは剣呑な雰囲気が漏れていたが、ジェイドは気付かない。気付けない。
そして下がってもいない眼鏡のブリッジをあげた後、ジェイドはやれやれといわんばかりにこう言った。

「私はどちらでもいいんです」

「……なるほど。よく解りました。ジェイド大佐。これ以降、現在の任務が終了するまで私の許可無く発言することを禁じます。
ただし戦闘になった場合の伝達や詠唱はこの限りに入りません」

「なっ、ユキエ……癇癪を起こすのもいい加減に、」

「お黙りやがれ下さいと私は言いました。それとも貴方の脳味噌はそんな簡単な命令が遂行できないほど腐っているのかはたまた豆腐でも詰まっているのですか?」

ユキエの冷たい声音にピリ、と空気が軋む。いつの間にかダアト組みも口を噤んでいた。
何事かと視線がジェイドとユキエに集中している。それに気付くことなくジェイドは苛立った口調のまま、命令を無視して口を開く。

「何故貴方の指示に従わないといけないのですか」

「私が貴方より上官であり、私が貴方に対する命令権を所持しているからです」

「そうだとしても、私は何故そのような命令をされなければならないのかと聞いているのです。理由無くただの癇癪でそのような命令を出されても従える筈がないでしょう」

「そんなことすら言われないと解らないのですか!全く、誰ですこの男を天才などといって持て囃したのは。
十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人とホドのことわざでありますが、三十を超えれば只人を超えて阿呆になるとは流石の私も知りませんでした!
私がタルタロスにて懇切丁寧に指導した内容はその脳味噌には染み渡らなかったようですね、仕方ないので説明してあげますから理解したならその口二度と開くんじゃありません」

ぴしゃりと言い切るユキエと、不満を隠さないジェイド。最早どちらが年上なのか解らないが、それでも上官はユキエである。
周囲の視線を一身に受けながら、ユキエは義兄に向かってその幼い声音で淡々と毒を吐く。

「いいですか、今回の幼獣のアリエッタにおける襲撃はダアトからキムラスカに対する敵対行為に他なりません。場合によっては宣戦布告ととられてもおかしくないでしょう。
更に幼獣のアリエッタはキムラスカの第三王位継承者とローレライ教団の最高指導者の身柄を要求しています。最早立派なテロリスト、生きたまま捕縛ではなく討伐というほうが正しいほどの、犯罪者なのです」

「それが何です?そんな解りきったことを、」

「話は最後まで聞きなさいこのあんぽんたん」

「あんぽんたん……」

反論しようとしたジェイドの言葉をユキエが強い口調で遮り、その微妙な語彙力な悪口をルークが口の中だけで復唱する。
渦中の存在である第三王位継承者がユキエから微妙な悪口を習得していくのに誰も気付かない。

「そして私達は和平のためにバチカルへと向かっています。その為にはキムラスカからの印象を最大限に良くしておかなければなりません。
ピオニー陛下の和平の意思は本物であると伝えるため、もちうる限りの誠意と好意をキムラスカに伝えなければならないのです。

しかし貴方は先ほど好意と誠意を伝えなければいけないはずの相手国の第三王位継承者が、本来ならば討伐されてしかるべきのテロリストの下へと連れて行かれようとしているのをとめなかった。
いえ、どちらでもいいと、そう言いましたね?」

冷たい瞳でユキエがジェイドを見上げる。この頃になると流石のジェイドもユキエの言いたいことを察して、その顔色を僅かに悪くしていた。

「貴国の第三王位継承者がテロリストの下へと運ばれようとしていましたが、テロリストの元に行こうが行くまいがどちらでもいいと思ったので止めませんでした。
しかし貴国には誠意と好意をもっています、どうか和平を結んでください。そんなことを言って頷く国がどこにありますか!
貴方のその発言が遠まわしに和平などどうでもよいと言っているということに何故気付かないのです!!

貴方のどちらでもいいという発言で、貴方が自分の発言一つでどれほどの影響があるのか全く理解していないことがよーーく解りました。
故に私は貴方に口を開くな、噤め、喋るな、と命令しているのです。解りましたね??」

底冷えするような声音でユキエはジェイドに再度確認する。
流石にジェイドも反論する気になれなかったのか、はい、と短く答えた後に口を噤んだ。
ユキエはその反応に心底疲れたといわんばかりに長く息を吐くと、話を聞いて青ざめているダアト組にまだ整備士を助けに行くつもりかと訪ねる。
アリエッタの元に行くということは、キムラスカの第三王位継承者をテロリストに差し出すということ。
それを理解したダアト組はぶんぶんと首を振ってこれを否定し、全員一致で国境でヴァンの帰還を待つことになった。

「ああそうそう、ジェイド大佐、貴方はグランコクマに帰還次第軍法会議にかけさせていただきます」

全員が馬車に乗り込む中、モノのついでというように言ったユキエにジェイドが何故というように目を見開く。
流石に口を開いて問いただすことはしなかった。

「公私を分けず、上官である私を呼び捨てにしたこと。その上官である私の命令に反抗したこと。下が上の命令に問答無用で従うのは当然のことでしょう。
それも貴方は私の命令が癇癪から来るものであると決め付けた。十分に理由になりえます。帰国までに覚悟しておきなさい」

そう言ってユキエは騎獣へとひらりとまたがる。
反論を許されないジェイドは長く息を吐き、がくりと肩の力を抜くことしかできなかった。

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