ハッピーエンドであるようにと願う。02


「……国は、変わった」

「はい。新王陛下は預言に頼らず、常に国の先を憂い、民を思い日々を過ごしておられるそうです」

ルークがキムラスカの王となり、三ヶ月の日々が経った。アッシュは既に快復しているにも関わらず、未だにユキエの家に厄介になっていた。
カイツールの山間部にあるこの家は一般家屋というには大きく、貴族の別荘と言うには貧相だ。
そんな家で年老いたメイドと共に穏やかに過ごす彼女との時間を、アッシュはいとおしく感じ始めている自分がいることからそっと目を逸らしていた。

「王妃が懐妊したそうだな」

「お耳が早いですね」

「出入りの商人が言っているのを聞いた」

「まぁ、また耳をそばだてていたのですか?」

「俺の場合、ここではそれくらいしか情報源が無いからな」

「それは否定しませんが……」

苦笑するユキエに、アッシュは笑みを零し剣を鞘へとしまう。日課である剣の稽古が終わったのだ。
完全に快復した以上、何の名目もなしに世話になるわけにはいかぬというアッシュに、食客という名目で屋敷に居てくれないかとユキエが言ったからだ。
名目を与えられたアッシュはそれならばと、昔以上に剣の稽古に励んでいる。ふるう機会なぞ殆ど無いが。
それは行かないでほしいというユキエの言外の願いにアッシュが応えた形であったが、この不安定な居場所をアッシュは壊したくないと思っていた。
それが酷く脆いことも、解ってはいた。

「そういえば、今日はゴールドバーク将軍がおいでになられるそうです」

「そうか。では俺はまた部屋に引っ込んでいよう」

「申し訳ございません」

「いや、むしろ突き出されないだけありがたいくらいだ。お前が謝ることじゃない。
ただ、そうだな……ルークのことを、また聞いておいてくれると助かる。そう、王妃の懐妊についてでもいい」

「解りました。聞いてみましょう」

かつての自分が浅慮ゆえに多大な犠牲を生み出してしまったカイツール軍港の将、ゴールドバーク。
彼が定期的にこの屋敷に通っているとアッシュが知ったのは、床から起き上がり動き回れるようになった頃だ。
アッシュは一度も彼と顔を合わせていない。それは罪悪感からでもあるし、彼に王家へ通報されてはたまらないという思いからでもある。
それでもここに居るのは、やはりユキエと一緒に居たいという邪な思いがあったから。同時に、ルークが今どうしているかという情報がそれなりに正確に手に入るから、だった。

差し出した手を取らず、権謀術数渦巻く汚い世界へ行ってしまった己のレプリカ。せめて幸せに、などと土台無理な話だと思っていた。けれど妻を迎えたと聞いた辺りで旗色が変わった。
かつての仲間達に降ろされた断罪の刃。自分を苦しめた国の上層部の面々は、今は生きているのかすら不明だ。
今アッシュの耳に届くのは、多くの仲間に囲まれ妻と仲むつまじくキムラスカを支える話ばかり。
幸せそうで良かったと自分が密かにホッとしているなどと、あの夕焼け色の髪をした片割れは塵芥ほどにも思うまい。

「アッシュ様」

「ん?」

「そろそろ参りましょう」

「ああ、そうだな」

そう促され、ユキエの手を取り二人で屋敷の奥へと向かう。
杖でも良いのだが、ユキエの希望とアッシュの思いから二人の時はこうして移動している。

ルークが幸せだと知って気が抜けたのかなんなのか。アッシュはユキエが自分に好意を寄せていることを自覚していた。自分がまたユキエに対し淡い思いを抱いていることも、自覚していた。
それでもその二つの気持ちに見ないふりをしながら今の関係を続けているのは、自分に幸せになる資格がないと知っているからだ。
だからアッシュは知らないふりをする。

「アッシュ様」

「なんだ?」

「……私は、このような身体です。嫁の貰い手もありません」

「……急にどうした」

「アッシュ様がどのような産まれであろうと、どのような過去をお持ちであろうと、私は気にしません」

「そうか」

「……アッシュ様は、意地悪です」

「そうだな。俺は、意地の悪い男だ。こんな男は嫌いか」

「……ばか」

それがどんなに脆い張りぼてだったとしても、張り続けるしかないのだというように。





  * * *





こぽこぽとカップに注がれるのは芳醇なアールグレイだ。
ゴールドバークから貰ったのだろう。慣れた手つきで二人分の紅茶を淹れたメイドは、一礼をして去って行った。
年老いているとは思えぬほどかくしゃくとした動きと無駄口一つ漏らさず仕事に従事する様は実家のメイドを連想させる。
何度見てもよくできたメイドだと感心しながら、アッシュは紅茶に口をつけつつユキエの報告に耳を傾けた。

「御子は健やかに育っているそうです。王妃様もつわりもないために以前と変わらず政務に参加され、その仲睦まじさは以前にも増していると」

「そうか」

「御二人の御子です。美しく聡明な未来の王が確定したと今から安心しているそうですわ」

「ああ……そうか、よかった」

ゴールドバークを経由して伝えられたルークの情報に、アッシュは安堵の息を吐く。
他者より批難されると理解しているためにアッシュは口にしないが、仮初とはいえ安定した生活を手に入れたアッシュにとって、バチカルの未来よりもルークの幸せのほうが重要だった。
ルークの幸せに直結するならば、バチカルの未来も案じよう。けれど真っ先に優先されるべきはルークであるとアッシュは思っていた。
それは過去への贖罪であり、同時にどこか夢見ているのだろう。もし、もし自分が超震動の力を持たず、平和無事に婚約者と共に手を取り未来を向かえたとしたら。
そんな未来があったとしたら、きっと今のルークのように妻の膨れる腹を愛で、自分の血を引く子が産まれる日を指折り数えて待つ日々を迎えていたのだろう。
そして国政の場では自らを支えてくれる貴族達と共に飢える者の出ないよう、貧しきものを一人でも減らそうと日々奔走していたのだろうと。

ルークの場所を奪いたいわけではない。ただ幼い頃自分が夢見た理想を、ルークが実現してくれているような、アッシュはそんな錯覚を覚えている。
ルークにそんなつもりはないだろう。そしてアッシュ自身も、その夢をルークに押し付けるつもりはない。ただほんの少しだけ、夢想しただけだ。
それに何よりも優先されるべきはルークの幸せだ。もしルークが国を滅ぼそうというのであれば、アッシュは間違いなく力を貸すだろう。
そんな風に簡単に踏みにじれる、その程度の小さな小さな夢よりももっと巨大で凶悪な絶望と憎悪を、アッシュは知っている。

結局のところ、幸せに、などと故郷を捨て全てを押し付けた形になってしまったルークに負い目を感じているからこその感情であることも。
押し付けた場所で幸せに、なんてとんだ偽善だ、傲慢だなどと自分に自嘲を覚えながら、アッシュは紅茶のカップを置いた。

「……アッシュ様」

「どうした?」

アッシュの自嘲に関してユキエが気付いているかはともかくとして、自覚あるなしに関わらずアッシュはルークの話を聞くたびに、まるで弟の成長を喜ぶように目を細めうっすらと微笑みを浮かべていた。
勿論ユキエにそれは見えない。しかし見えずともアッシュの空気が和らぐのを、ユキエは敏感に感じ取っている。

「その、出すぎたことだとは理解しております。しかし、お願いです、言わせてください。
アッシュ様の過去に何があったかは知りませんし、聞きません。けれどもアッシュ様が悔いているのは解ります。それが陛下に関係することであるということも。
それでも、どうか私からのお願いです。アッシュ様自身の幸せを、ほんの少しでも良いのです。考えていただけませんか?」

「……俺は罪人だ。幸せになることなど許される筈がない」

「いいえ、いいえ。アッシュ様、人は誰しも幸せになる権利があるのだと私は思っております」

「人殺しでもか?」

「私などが口にするなど恐れ多いことですが、今の陛下もアクゼリュス崩落の実行犯であり、一万人殺しの咎を負われた方だと耳にしております。
逆にお聞きしますが、アッシュ様は陛下も幸せになることは許されないと思われますか?」

「違う!あいつと俺は違う!あいつは、あいつは確かに騙されたが、ただ救いたかっただけだ。アクゼリュスの民を!
戦争を止めたかった。人殺しをしたくなかった。兵器として使われたくなかった。殺そうとしたわけじゃない。
私欲で人を殺した俺とあいつを一緒にするな。それはあいつに対する侮辱だ!」

アッシュの大声にびくりとユキエの肩が跳ねた。怯えた表情にアッシュは後悔するももう遅い。
ひっそりと暮らしている彼女に、元軍人の怒鳴り声はどれほど恐ろしく思えただろう。
配慮がない、すぐ感情的になる、そんな自分に嫌気がしたアッシュは舌打ちを一つ漏らすと、少し頭を冷やさなければとその場から席を外すために立ち上がる。

「あ、アッシュ様……」

背後からかけられたユキエの声に、アッシュは返事をしなかった。今自分が口を開けば、まだ怒りの滲んだ低い声しか出ないだろうとアッシュは理解していた。
それはユキエをこれ以上怯えさせないようにするためのアッシュなりの配慮ではあったのだが、無視されることになったユキエの心境にまで思い至らなかった。
だから開かれることのない瞳から一筋の涙が流れていたことも、アッシュは当然のように気付けなかった。

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