暗愚魯鈍



囁くような、それでいて嘲りを含んだ笑い声がティアの耳に届く。それも一つではなく、いくつもの笑い声だ。
漣のようにこの広い会場に広がっていくそれらは皆絶妙な声量を保っていて、声が抑えられているのは解るものの此方に聞こえる程度の大きさでもある。

あちこちのテーブルを覆う繊細なレースの上、飾られている小型の精緻な細工の施されたランプの光。
天井からぶら下がる黄金に輝くシャンデリア。壁際に取り付けられたすりガラス越しのろうそくの灯火。
そういったものに照らされて、話題の中心となっている人物、ティア・グランツは羞恥に頬を染めていた。

「先程の作法を見まして?わたくし、あんな乱雑なマナーは初めて見ましたわ」
「よほど世間知らずなのだろう、家庭教師は一体何を教えていたのか」
「外郭大地降下作戦の英雄とのことでしたけれど、ここまで礼儀作法を知らない娘だとは思いませんでしたわ」
「ユリアシティという隠匿された町で生まれ育ったのでしょう?余程野蛮な町なのでしょうね」

ひそひそ。くすくす。そんな擬音がつきそうな内緒話があちこちから聞こえてくる。
屈辱か恥辱か知らないが、顔を真っ赤にしながらわなわなと震え始めた彼女をかばうものは一人も居なかった。



ここは外郭大地降下参戦の成功を祝って開かれた立食式のパーティの会場。
ダアト・キムラスカ・マルクトの代表者が一斉に集まっており、降下作戦の功労者であるルークをはじめとした面々も当然のように招待されている。
ノエルやギンジといった平民出の幼年学校しか出ていない者もいるので、テーブルマナーなどを覚えるのも大変だろうと、主催した導師の好意でそこまで堅苦しいパーティでもなかった。

そんなノエルやギンジとて、不安そうにしていた彼等にルークやナタリアが"ドレスなどは此方で用意するし希望があれば簡単な礼儀作法の講義をする時間を設ける"と申し出たおかげで、ミスらしいミスをすることなく会場では楽しそうに過ごしている。
二人とも申し出たルークたちに対しお願いしますとわざわざ頭を下げてきただけのことはあり、少しばかりぎこちないのも、むしろあの短期間でよく習得しものだと好意的に迎えられたくらいだ。
ジェイド・カーティスやアニス・タトリンに関してはいうまでもない。二人とも士官学校を卒業しているだけでなく、導師や皇帝に近しい存在なだけあって、マナーに関しては言うことがなかった。
導師やナタリア、ルークに関しては言う方が失礼というものだろう。元々こういった場に出ることは多い立場だ。平常通りの態度で、それでいてきっちり抑えるところは抑えている。

なので他の面々がなまじできている分、残りのティア・グランツの世間知らずっぷりはとてもよく目立った。
まあティアに関してはノエルやギンジと一緒に学ばないかと声をかけられたにも関わらず、自分はマナーも礼儀作法も知っているからと断ったという経緯があるので、ある意味彼女の自業自得と言ってもいいだろう。
そう、ティア本人は自分は礼儀作法などは完全に習得していると思っているのだ。
最後の良心で声をかけたルークに対し、断った挙句"むしろ貴方が講義を受けるべきだと思うわ。恥をかくのは貴方なのよ"と言い切っただけのことはある。
だが現実はそれとは程遠く、すぐに悪い意味で注目の的となったティアに対し、ルークは言わんこっちゃないと言わんばかりに早々にティアを見捨て公爵子息として挨拶回りに行ってしまった。
ガイやアニス、ジェイドなどは例え招待された側であろうとも仕えるべき主の傍から離れるつもりはないためにティアなど気にもかけていなかったし、ティアが声をかけようとしても二言三言話しただけですぐ会話を切り上げてしまった。

ティアはそんな仲間達に憤り、次に何故自分を庇わないのかとまずルークに文句を言いに行こうとした。
しかし預言によって軟禁され預言を覆す一手を担った時期国王候補、キムラスカ軍元帥と王妹の一粒種、そして単独で超振動を扱えるローレライの完全同位体にしてその力を持って今回の外郭大地降下作戦の主力となった最大の功労者。
身分も地位も人並み以上にあり、今回のことで民衆からの絶大な支持と信頼と名声を得たルークに近づきたい人間はいくらでも居る。
並み居る貴族達にティアが敵う筈もなく、ティアはルークに近寄ることすら叶わなかった。

そうなれば必然的にティアが最後に近づくのはナタリアである。
父インゴベルトと血が繋がっていないと知り、親子としての絆を再確認しつつも庶民の血しか流れていないのだからと自ら王女という地位と王位継承権を放棄しようとした彼女に擦り寄る人間は以前より随分と減っていたため、ティアでも何とか近づくことができた。
とはいっても民から慕われ福祉政策の一角を担っているという側面を鑑みて、キムラスカはナタリアの王位継承権の破棄は認めたが、ナタリアがランバルディアの王女らしくある限り、王女という立場まで放棄する必要はないと公言している。
なので未だナタリアは王女であり、招待されているとはいえ一般兵のティアが王女であるナタリアに近づこうとすることに対し幾人もの人間が眉をひそめていた。

「聞いて頂戴ナタリア!ひどいのよ、さっきからあっちでもこっちでもひそひそ、ひそひそと!
言いたいことがあるなら直接言えば良いのに影から人の悪口を言うなんて失礼すぎない?ナタリアも聞こえたでしょ?マナーがなってないのはあっちだわ!」

しかし眉を潜める侍女やメイド、貴族達に気づくことなくナタリアに近づくことが叶った途端、怒りを滲ませた声でティアが喚くように言う。
声量を抑えるわけでもなく、むしろ先程から話していた婦人の一人を指差すティアにナタリアは心底驚いたという顔をした。
ただでさえティアは音律士なのだ。天井の高いホールでは彼女の声は非常によく響く。
なのでナタリアの賛同と周囲からの同情を得ようとトーンを落とすことなく愚痴を言ったティアの声は思った以上に多くの人々の耳に届いた。

「まぁティア、そのように声を荒げてははしたないですわ。恥ずかしくありませんの?」

「恥ずかしいのはあっちだわ!」

「一体何を憤っているのです?私から見れば彼女達は何もおかしくありませんわ。それよりその指をお下げなさい。人を指差すなど何を考えていますの?貴方のほうが余程失礼ですわ」

「そ、それは……」

ティアの性格を把握しているナタリアはため息を飲み込んだ後、それでも王族の慈悲としてティアに忠告をする。
ティアに指差された貴族の女性が恐ろしいといわんばかりにティアを見ているのを横目に確認しながら、渋々指を下ろしたティアに対しこの娘はどうしたものかと頭を抱えたい気分になった。
そもそもティアは気づいていないが、ティアとナタリアの間には認識の差がある。
ナタリアにとってティアに情はない。ティアはパッセージリングを起動させるために同行している同行者という認識しかなかったからだ。
しかしティアはナタリアを仲間だと思っている。この認識の誤差のせいでティアはナタリアのことを高慢だの何だの言ってきたが、あまりにもティアが世間知らずなのでナタリアの方が諦めたという経緯もある。
ゆえにナタリアは忠告をした後、早々にティアとの会話を切り上げようと決めた。ティアのような人間と居るからと此方の品位まで疑われるのはごめんだからだ。

「貴方が何かを言われるのは貴方が礼儀知らずだからでしょう?真正面から言わないのはそちらの方が失礼に当たるからです。
貴方はルークからドレスの発注と共に作法の講義も誘われたそうですが、ご自分で断ったと聞き及んでいましたからてっきりこういった場のマナーやルールなども知っていると思っていたのですが、違いましたの??」

「そ、それは……こんな礼儀作法に厳しい立派なパーティだって思わなかったんだもの。言ってくれていたらちゃんと講義を受けたわ。ルークってば何でちゃんと説明してくれなかったのかしら」

ティアのぼやきに更に周囲がざわめく。
何故そんな反応をされるかがわからず、ティアはますます眉根を寄せ顔をゆがませた。
それは導師とルークの気遣いを無駄にしている無知さとルークを呼び捨てにする傲岸不遜さ、そして彼を貶す発言をしたからなのだが、恐らくそれを指摘してもティアは反発するだろうなとナタリアは頭痛を感じてこめかみを指先で抑える。
特にルークのことはそうだ。何故かは解らないが、ティアはルークを自分より格下だと思い込んでいる面があった。

「ティア、ドレスを着るならばマナーを学ぶのは必然でしてよ。それ以前に私の父インゴベルト陛下やピオニー陛下、導師イオンなど各国の重鎮が一斉に集まるのです。ある程度の格式があるパーティになるのも、作法が必須なのも当たり前でしょう?
あと言わせていただくならば本日のパーティは決して礼儀作法に厳しいものではありません。むしろお父様達が参加するというのに、気安すぎるくらいですわ。
これは今回の作戦の功労者に平民が混じっているからという導師イオンのご好意だった筈なのですが……貴方はご自分の所属する最高責任者の行ったことすら把握しておりませんの?」

「だ、だって……そんなこと聞いてないわ!」

「招待状を見れば察することができた筈ですわ」

「そんなの直接書いてくれればいいじゃない!」

「……もしかして庶民のルールではわざわざ書くのが普通ですの?」

「それは……知らないけど」

ナタリアの問いかけにティアの返答は尻すぼみになりつつ視線を逸らす。
一般人のホームパーティにも呼ばれたことがないと言うのは恥ずかしかったからだ。
ナタリアは急に勢いをなくしたティアをいぶかしげに思ったものの、これ幸いと結局学ぼうとしなかった貴方がいけないのだと止めを刺して、その場から逃げようとした。
しかし幸か不幸か導師イオンがその場に現れてしまったためナタリアの逃亡は阻止されてしまう。どうやらイオンはティアの甲高い声を聞きつけナタリアに部下の不出来を謝りに着たらしい。
ナタリアはイオンの謝罪を受け入れつつも、気分が優れないからと言って今度こそその場から離れていった。
ナタリアの不調の原因はどう考えてもティアだろう。周囲でことの成り行きを見守っていた人々からすれば一目瞭然である。

「ナタリア様も慈悲深いことです。あのような礼儀知らずにわざわざ説明をしてさしあげるなど」
「にも関わらずあの娘、恩を仇で返すなんてダアトはどういう教育をしているのかしら」
「どうかしら。あの大罪人ヴァン・グランツの妹なのでしょう?ルーク様のお名前もそのまま呼ばれていましたし……元々の素質ではありませんの?」
「ああ、ランバルディア王家を辱めるよう、兄から教育されていたのかもしれませんわね」

「ルーク様のご好意を蹴った挙句ナタリア様にあのような口を利くなど、余程世間知らずなのか」
「自分の恥を惜しげもなく晒しているところを見るとそうなのでしょうなあ」
「むしろ自分はきちんとできていると思っているのでは?だとしたらとんだ恥知らずですな」
「まったくだ。あのような者と旅をなされたなどと、ルーク様とナタリア様のご心労はさぞ深いものであろう」

聞こえてくる言葉にイオンは羞恥に震える。
ティアはそんなイオンを見てキッと視線を鋭くした後、今度こそ直接文句を言おうと近場の婦人に歩み寄ろうとしたが、それはアニスによって遮られた。
アニスは今日は導師守護役の服を着ていない。彼女もまた外郭大地降下作戦の功労者として招かれている立場だからだ。
なのでその背にはトクナガもなく、腰にロッドをさしているわけでもない。それでもふわふわにセットされたツインテールを怒りで浮き上がらせながら、ティアを見上げにらみ付けている。

「アニス、どいてちょうだい」

「イヤ。てゆーかこれ以上ダアトの名を落とさないでくれる?ティアが神託の盾兵である限り、ティアが何かしたらイオン様の評価に繋がるんだから。
これ以上何かしでかしてイオン様の評価を下げるようだったら、導師守護役として強制的にこの会場からたたき出すからね」

「たたき出すって……私は何もしてないわ!むしろ周りが、」

「そんな大きな声で周囲を罵倒するのもマナー違反だから。ていうかマナー違反以前に人としてどうなの?何でそんなこともわかんないの?
キムラスカの王族であるナタリア様に簡単に近づこうとするのもルーク様を呼び捨てにした挙句罵倒するのも、身分差を理解してない馬鹿ですって自己紹介するようなもんなんだよ。
ティアは障気障害もう先が長くないから見逃されてるけど、本来なら詠師テオドーロと一緒に首をはねられてもおかしくないんだって解ってるの?
更に言うならあたしはティアより年は下だけど階級は上だから、こういった場ではティアは上官としてあたしに敬語を使うべきなんだけどそれも解ってないでしょ?」

自分よりも年下、つまり無意識のうちに自分よりも下の存在だと思い込んでいたアニスに反論する間もなく淡々と、しかし導師守護役としての凄みをもって告げられて、ティアの怒りは空気の抜けた風船のようにしぼんでいった。
それでもなおデモ、だって、それはと何とか言い訳しようとするが、その語尾は先程と違って小さくほとんどの人間の耳に届かない。
そんなティアにアニスは軽蔑の視線を向け、それに耐え切れなかったティアは助けを求めるようにイオンを見る。
イオンはティアの視線に気づいて顔を上げると、ティアへと向き直り歩み寄ってきた。が、それは勿論ティアの望んでいるような助けではなかった。

「ティア・グランツ響長。貴方が世間知らずなのはよく解りました。これ以上愚かなことをしでかす前に、早々にこの会場から退いてください。
アニス、申し訳ありませんが彼女があてがわれた部屋まで戻るよう案内をしてあげてくれませんか。くれぐれも他の方々に迷惑をかけないよう」

「イオン様のご命令とあらば!任せてください、この程度仕事にもなりませんよ!さ、行くよ響長」

非番であるアニスに命令をすることに申し訳なさそうにするイオンに対し、アニスはわざとらしいほど明るく答える。それはティアの言動に頭を痛めているイオンを少しでも慰めるためでもあり、この程度仕事にもならないのだから気にするなという意思表示であり、このように気安いパーティ会場であるからこそできる言動であった。
そして命令されたアニスは強い力でティアの腕を引いて会場を出て行こうとする。
予想していた助けを得られなかったティアは周囲を見渡して助けを求めようとするが誰一人自分に同情する視線など向けていなくて。


その時点になってようやく、貴族の生きる世界においては世間知らずは自分のほうであったと知るのだった。






暗愚魯鈍





意味:無知で道理を解らないこと。
暗愚は道理がわからず愚か。魯鈍は愚かでにぶい。という意味。

深風さまリクエスト
キムラスカ、マルクト、ダアト(−ティア)捏造で、ルークに対して散々世間知らずと馬鹿にしていたティアが導師は勿論キムラスカ、マルクトの王候貴族が出席するパーティーでテーブルマナーや貴族としては出来て当然、知っていて当然な知識や礼儀のなさに、貴族逹から世間知らずと笑われる話。
ティアって自分の常識が世界の常識と思ってる気がするので一度棲む世界が違う人達からおもいっきり叩かれてほしい。

ということでしたのでナタリアとアニスに叩いてもらいました。
何かこう……実際細かいとこも書こうか迷ったんですが、どこの国のマナーを参考にすべきか散々迷いあえてそこら辺はぼかして書いたので、ちょっともやっとしたらすみません。
結局いつものパターンになってしまった気がしなくもない。



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