不死鳥の青年と無垢なる少年の日常/前編
それは意図しないうちのことだった。
俺にとってフローリアンという存在は、最初は困惑しか与えないものだった。
彼は、導師イオンのレプリカなのだという。
それだけでもどう扱って良いのか解らないというのに、所属は違えど同時期に入隊したというだけで何故か一緒の任務に就かされることが多かった。
フローリアンが所属する第二部隊と、自分が所属している第三部隊は趣旨こそ違えど戦闘訓練は必須であり、合同で訓練をすることが多かったのも原因だろう。
更に言うならば自分もフローリアンも中途半端な時期に入隊したために同期と呼べる人間がお互いしか居らず、かつ揃って髪を染めて仮面をつけているという怪しげな恰好をしているのも理由の一つなのかもしれない。
どう対応していいか解らないまま、俺はよくフローリアンと共にあることを強要されていた。
しかし俺の困惑など気にも留めていないとでも言うように、フローリアンは無邪気だった。
フローリアンの保護者であるラルゴいわく、どうやらフローリアンは刷り込みが中途半端で非常に純粋で無邪気なのだという。
それを肯定するかのように、フローリアンはよく笑い、よく驚き、よく怒り、そしてとても俺を振り回した。
気づけばレプリカの扱いに困惑する俺はどこかに行っていた。そんなことを考える余裕すらなかったとも言える。
フローリアンに振り回されつつも彼のフォローをするのが当たり前になっていた。良くも悪くもまっすぐな彼をほうっておけなかったのだ。
いつの間にかフローリアンのことをリアンと呼んでいて、隣にいるのが当たり前になっていた。
そして唐突に気づいたのだ。
ああ、これが論師の言っていた、俺の居場所という奴なのかもしれない。と。
だから俺は今日こそ意を決して言うのだと、懐にずっと入れているせいで皺が寄り始めている紙片の存在を改めて確認した後、ラルゴの元を訪れていた。
「ラルゴ、居るか?すまん、リアンに用があって来たんだが」
こんこん、と軽いノックをしてから声をかける。勿論、返事がないのにドアを開けるようなまねはもうしない。
かつてはしていたが、それをやる度にシンクに蹴られるのでやらなくなった。今ではこちらのほうが正しいことだと理解している。
なのでドアの前でしばらく待っていたのだが、ラルゴの入ってくれという言葉を聞き届けてからドアノブへと手をかけた。
部屋へと足を踏み入れば、神託の盾が誇る六神将の地位に相応しい広く落ち着いた部屋が視界いっぱいに広がる。
黒獅子の二つ名を持ち、第一師団を率いるに相応しい実力を持つ彼に与えられた、わかりやすい特権の一つだった。
「アポもなくすまんな」
「なに、構わんさ。フローリアンなら奥だ。勝手に入ってくれて構わない」
「解った。邪魔をする」
「後で何か飲み物とつまめるものでも持っていこう」
「長居をする気はないから、そこまで気を使わなくていいぞ」
まるでリアンの母親のようだな、と喉元まででかかった言葉を何とか飲み込み、ひらりと手だけ振ってから奥の部屋へと向かう。
以前にも訪れたことがあるのでその足取りに迷いはない。念のため奥の部屋に入る際もノックをして仮面をはずし、リアンの返事が返ってきたのを確認してから、改めてドアを開いた。
そこにはクローゼットやベッドなどが置かれている、いわばラルゴとリアンのプライベートルームだ。
リアンはベッドにもなるソファ(論師発案、三千ガルド〜で神託の盾兵限定で販売中)の上で、分厚そうな本を膝に立てかけ読みふけっていた。
「読書中か?」
「んー」
生返事をするリアンが、来いとでも言う代わりに自分の隣をぽんぽんと叩く。
そのことに小さく笑みを漏らしつつ隣に座れば、リアンは本を俺の方へと向けて少し唇を尖らせながら話しかけてきた。
ああこれは本に夢中になりすぎて俺がここに居る事に疑問を持っていないパターンだなと、心の中だけで苦笑をする。
「ねぇここなんだけど、どういう意味か解る?前後の文章と食い違っちゃうんだ」
「古代イスパニア語か、そういえばラルゴから習ってるんだったな。どれ……ああ、これは慣用句だから食い違って当たり前だ。正しく知りたいならば辞書を引いたほうがいいぞ」
「あ、そうなんだ。えっと、辞書辞書」
本を開いたまま俺に寄越し、フローリアンは早速ソファから立ち上がり本棚へと走りよる。
そして分厚い辞書を取り出したかと思うと、お目当ての慣用句を探しぺらぺらとページをめくりながらソファへと戻ってきた。
「リアン、辞書を引くなら座ってからにしろ。歩きながら読むとまた転ぶぞ」
「平気だよ。アッシュは心配性だなぁ……あれ?」
俺の言葉を受け流しながら、フローリアンはソファにどさりと座った。
そして文字列を指で追いながらお目当てのものを探していたのだが、ふと顔を上げたかと思うと目をぱちくりさせながら俺を見てくる。
「何でアッシュがこの部屋にいるの?」
「気づくのがずいぶんと遅いな」
「駄目だよ勝手に入っちゃ、ここラルゴのものもあるんだからね!」
「ノックの返事をしたのはお前だろうが!というか、ラルゴの許可はとっている」
「そうなの?でもなんで僕の隣に座ってるの?」
「お前が座るよう指示したんだろう!?」
導師と同じ顔で、ぱちぱちと長い睫を主張するかのように瞬きを繰り返すリアンの台詞に思わず突っ込みを入れてしまう。
半ば予想していた台詞ではあったものの、やはり言われると突っ込まずにはいられなかった。
これでは本来の目的を達成するのに時間がかかりそうだとぼんやりと考える。
「そうだっけ?」
「そうなんだ。集中力があるのは良いが、いい加減生返事をするのはやめろ」
「うーん。まぁいいや」
全然よくない。よくないぞ。
フローリアンは辞書の文字列からほしい情報を得ることができたらしく、少し考えた後にぱたんと辞書を閉じてから俺に押し付けていた本を回収する。
そしてその本にも栞を挟んで閉じたかと思うと、一つ大きく伸びをしてからにぱっと笑った。こういうところはとても無邪気だと思う。
「本読んでたら肩凝っちゃった。ねぇアッシュ、遊ぼう?」
「まったくお前は……俺も一応用事があったから来たんだが?」
「んー、それって急ぎの用事?」
「いや、急ぎというほどではないが……」
そう答えつつ、服の上から懐にしまってある紙片を撫でる。
厳密に言うのであればこれに申請期限があるわけではない。いつ申請するも自由だ。
そもそも俺が書く欄はすでに埋めてあるので、後はリアンの承諾とサインさえもらえればいつでも提出できる。
だから思わず言いよどんでしまったのだが、リアンはそれで特に急ぎの用事ではないと判断したらしい。
じゃあ遊ぼう!と言って元気よく立ち上がる。
なので俺も仕方がないなと諦め、手近に放置されていたリアンの仮面を手にとり渡しながらソファから立ち上がった。
「仕方ないな。それで、何して遊ぶんだ?」
「えっとね……新しい譜術の練習とか?」
「それは遊ぶとは言わん。というか、訓練中にすれば良いだろう」
「え?訓練中はアッシュがするでしょ?アッシュ譜術攻撃力低いんだから頑張らないと」
「俺には剣があるからいいんだよ!」
あっさりと言い返された内容に少しだけ泣きそうになった。
確かに譜術関連はリアンの方が圧倒的に上で、合同訓練の際はしょっちゅう俺が教えてもらう方に回っている。
正直な話、最近になって神託の盾に入ったばかりのリアンに師事することに対して何も思わないわけではないが、だが根本的な譜術攻撃力の低さはどうしようもないだろうと、心の中だけで言い訳をしておく。
「でも僕もエンシェント・ノヴァとか使ってみたい」
「上級譜術じゃないか。さすがのリアンでもまだ無理だろう」
「じゃあダアト式譜術」
「何のために正体隠してるのかわかってるのか!?」
「やっぱり駄目?」
「当たり前だ!」
とんでもないことを言い出すリアンに全力で突っ込んでしまい、思わず肩で息をしてしまう。
リアンは自分の正体がばれると論師に迷惑がかかるし面倒なことになる……ということは解っているのだが、どれだけ重要性が高いことかということまでは理解し切れていないらしく、時折こんな風にとんでもないことを言い出すから困ったものだ。
まあ駄目だと言えばすぐにやめてくれるので、もしかしたら慌てる俺を見て楽しんでいるのかもしれないが。
「んー、じゃあユキエのところに遊びに行こう?」
「論師のところか?邪魔にならないか?」
「お菓子貰うだけなら大丈夫だよ」
「お菓子はもらえる前提なんだな」
これにもまた思わず突っ込んでしまうが、訓練よりもよほど遊びらしいので俺もそれで納得する。
二人揃って仮面をつけ、なんだかんだ言いつつ紅茶を淹れてくれていたらしいラルゴに断ってから部屋を出る。
そんな俺達に嫌な顔一つせず、気をつけていって来いというラルゴはやはり父親ではなく母親ポジションではないかと俺は密かに思うのだった。
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