不死鳥の青年と無垢なる少年の日常/後編


「今日は何かな、クッキー?マドレーヌ?マフィン?タルトやガトーショコラも美味しいよね!」

「おいおい。論師は忙しいんだ、そんな凝った菓子類を作ってる暇なんぞ無いだろう?」

「ふふーん、アッシュってば知らないんだー?ユキエはね、論師様に〜って届けられたお菓子をいっつも分けてくれるんだよ〜。一人で食べられないからって!基本的に全部贈答用だから美味しいんだけど、たまにグランコクマに本店を構える王宮御用達の焼き菓子専門店の詰め合わせとかも混じってるんだからねっ」

論師の元に向かいながらそんなことを話していたら、何故かふふん、と胸を張っていうリアン。
別にお前が貰っているわけじゃないだろうという突っ込みを飲み込み、そうなのかと無難な返事をしておく。
というか、いったいどれだけの頻度でお菓子をねだりに行ったらそんな情報を得られるのか。逆にそっちのほうが気になってしまう。

「まぁたまにユキエが作ったのもあるんだけどね、それはそれで美味しいっていうか……うん、僕はそれが一番好きかな。だって一番最初に食べた、美味しいお菓子の味だから」

スキップするような歩調でとても楽しそうにリアンは言ったが、その発言に思わず俺は足を止めていた。
一番最初に食べた、美味しいお菓子。よく考えなくてもおかしな発言だ。
キムラスカに比べればダアトで販売されている甘味類は質素の部類に入るものの決して珍しいものでもなければ、高くて手に入らないようなものではない。
ラルゴに保護されていたならばそれこそ毎日のように食べていてもおかしくないのだ。
あの男は存外リアンに甘い。厳しいところは厳しいが、三時のおやつに菓子を出さないほどケチな男ではない筈だった。

「アッシュ?どうしたの?」

「あ、ああ。論師のところで初めて菓子を食べたという発言がちょっと気になってな。ラルゴは菓子を食わせてくれなかったのか?」

それとも俺が知らないだけで虫歯ができるから駄目とか、ラルゴはおかしな方向に過保護だったのだろうか?
足を止めた俺に合わせるようにリアンもまた足を止め、きょとんとした雰囲気で俺を振り返る。
俺の質問にリアンはこてりと首をかしげた後、何か納得したような声をあげてから違うよォと楽しそうに笑った。
そして屈託無く、リアンは笑う。

「僕ねぇ、シンクが助けてくれるまで閉じ込められてたんだ〜。ヨビのヨビってことで。よく覚えてないんだけど、ヨビが駄目になったら僕を使って預言を詠ませるために捕まえておいたんだって」

それは決して往来で話していい話ではなかった。そして笑顔で言う台詞でもない。
サッと血の気が引いていくのを感じながら慌ててリアンの口をふさぎ、誰かが聞いていやしなかったかときょろきょろと周囲を見渡す。
幸い自分達以外に人影は見当たらなかったが、あまりにも軽率な行動に思わずリアンが俺の手を掴んでもがいているのを思い切りにらみつける。
リアンは何とか口をふさいでいる俺の手を引っぺがすと、ぷはぁとわざとらしく息を吸いながらけらけらと笑った。

「だいじょーぶだよ。今回りに誰もいないもの」

「だからと言って通路で話すようなことじゃないだろう」

「名前は出してないよ?」

俺の視線などなんのその、最低限の配慮はしているとにこにこと笑うリアン。
よくよく考えればリアンが論師のことを名前で呼ぶのは咎める人間が周囲に居ないときだけなのだから、どうやら心配のしすぎだったらしい。
こういうとき、俺はリアンが本当に無邪気なのが疑わしくなる。誰も信じちゃくれやしないが。

「それでね、シンクがユキエに言われて僕を助けてくれたんだけど……そこでね、ユキエが手を洗ってきなさいって言って、その後初めてお菓子を食べさせてくれたの。それが、ユキエがシンクと作ったクッキーなんだよ。
その後ユキエがラルゴが僕を保護してくれるよう手配してくれたんだけど、まぁそんなことがあったから、だから僕はあのクッキーが一番好きなんだ。
僕に美味しいって気持ちを、美味しくて幸せな気持ちを教えてくれたあの味が、大好きなの」

えへへ、と照れ笑いをしながらリアンは言う。
それはきっと些細な記憶。けれどとても大切な記憶なのだろう。
きっとリアンにとってはそれは自由の味なのだ。

「だから……だから、お前はシンクや論師のために頑張るんだな」

「そうだよ!二人は僕に幸せな気持ちを教えてくれたから……だから無理だって言われたけど、辛いからやめとけって怒られたけど、一緒にいたくて、恩返しがしたくて、僕は神託の盾に入ったんだ」

思いがけずリアンが神託の盾に入った理由と予想外に重い過去を聞かされて、俺は曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。
リアンは言動が子供っぽい。しかしその子供っぽさに似合わない重い過去を背負って、それでも純粋な心を失うことなくリアンは精一杯生きていたのだと解った。

だというのに俺はどうだ。自分のことで手一杯で、成長しようと足掻くことしかできず、リアンのように誰かのために頑張りたいなどという崇高な目的も何もない。ただ毎日を生きるのに必死になっている。
自分のことしか考えていないその生き様に、急に自分がとてもちっぽけな人間に思えた。
胸元にしまいこんでいた紙を、服の上からくしゃりと握り締める。こんな俺には、この紙を差し出す権利など存在しないのかもしれない。

そんな俺の様子が気になったのか、リアンはこてんと首をかしげた後にどうしたの?と俺の顔を覗き込みながら問いかけてきた。
仮面越しではあるもののリアンから向けられる真っ直ぐな視線に何故か後ろめたさを感じて、なんとなく視線を逸らす。
リアンはそれに僅かに眉をしかめたようだったが、俺が視線を逸らし続けるのを見て勘違いしてしまったらしい。ふっと笑顔を消した後、ぴたりと足を止めて俺に謝ってきた。

「ごめん……聞いてて楽しい話じゃないね。気分悪くなっちゃった?ごめんね?アッシュはレプリカ嫌いだって知ってたのに」

しゅんとしながら更にごめんなさいと言葉を重ねるリアンに、俺ははじかれたように顔を上げて違う!と否定の言葉を告げる。
そうじゃない。ただリアンの志を聞いて、それに比べて自分が物凄く矮小な人間に思えて仕方がなかったのだと、慌てて弁明を繰り返す。
リアンはそんな俺の言葉にきょとんとすると、何故かきゃらきゃらと笑い出した。本当に、表情がころころと変わる奴だ。

「アッシュってば、そんなこと考えてたの?変なのー」

「……おい、言うに事欠いて変とは何だ。俺は本当にお前を凄いと思ったんだぞ」

「あはは、ごめんごめん!でもアッシュは僕が凄いって思ったように、僕もアッシュは凄いと思うよ?」

「どこがだ。こんな俺なんか……」

凄いと思われる価値などあるものかと、言葉を飲み込んで下唇を噛む。
改めて通路を歩き出したリアンとは逆に、今度は俺が足を止める。下手な慰めは聞きたくなかった。

「凄いよー。だって僕の場合はさ、それしかなかったんだよ。それしか知らなかったの。だから僕はシンクとユキエのためになりたかった。それ以外を知らなかったから、それが世界の全てだったから」

「……世界の、全てか」

「うん。あの頃の僕は世界を知らなさ過ぎたんだと思う。かといって神託の盾に入ったことを後悔してるわけじゃないよ?確かにシンクの言うとおり辛いことも痛いこともあるけど、ユキエ達の役に立てて、アッシュに会えた。だから神託の盾に入れてよかったと思ってるのは確かなんだ」

リアンが足を止めた俺の手を引っ張ったために、つられた俺はまた歩き出す。
論師の執務室は近くなってきたが、普段はうろついている筈の守護役の姿も見えず周囲には誰もいなくて。
だからリアンは相変わらず論師のことを呼び捨てにしながら訥々と語り続ける。

「けどアッシュは違うでしょ。ちゃんと生きてきた記憶がある。お父さんとお母さんがいて、友達がいたんでしょ?
それを全部捨ててゼロにしてまたやり直すって、何も持っていない僕よりもずっと凄いことだと思うんだ。何も知らなかった僕と違って、捨てたものを知っているからこそ辛いことだってあると思う。
だからアッシュは凄いと思うよ。自分って言うものをまた一から積み上げて作り上げようと一生懸命生きてるアッシュは、僕よりずっと凄いと思う」

辿り着いた論師の執務室の前で、リアンは笑って言った。
その言葉を聞いて、胸のうちからじわじわと熱がこみ上げてくる。
なんてことはない。これはただの喜びだ。そう、紛れもなく喜びだ。
例え実っていなくても、俺の努力を見てくれている人が居たのだという事実に。
こんな身近に俺が努力していることを認めてくれていたのだという事実が、嬉しくて嬉しくて仕方がないのだ。

「そうか……お前には、俺が努力しているように見えるんだな」

「もちろん!」

「なら、なら……リアン、ラルゴの部屋を、出る気はないか?」

「……うん?」

お前が俺を、認めてくれているのであれば。
そう思って、前々から懐にしまいこんでいた紙を取り出す。
何度も服の上から握ったせいで皺がよっているが、それでも使えないことはないだろう。
リアンはきょとんとした雰囲気を出したかと思うと、俺が取り出した紙をまじまじと見た。

「前からお前と……と思っていた。ずっと言い出せなかったんだが、俺がお前を認めてくれているというのであれば、どうだろうか?即答は望まないから、考えてみてくれないか?」

周囲に人の気配がし始めたことに気をとめる余裕もなく、どくどくと心臓が煩いのを感じながら折りたたんだ紙をリアンへと差し出す。
リアンはそれをおずおずと受け取ると、その皺だらけの紙をゆっくりと広げる。そしてその中身を見て息を呑んだ後、俺と紙片を何度も見比べた。

「僕なんかでいいの?僕、面倒じゃない?いっつもアッシュのこと振り回して、アッシュに甘えてるのに……それでも、一緒に居てくれるの?」

問いかける声は、かすかに震えている気がした。
けど俺はそれに気づかないふりをして、力強く頷くことで肯定の意を示す。俺を振り回している自覚があったのか、という突っ込みは今は飲み込んでおく。
俺の頷きにリアンは笑顔になると、ありがとう!と言って飛び上がった。
ありがとうと言いたいのはこっちの方だと思う。俺に飛びついてきたリアンを受け止めながら、リアンの掌の中で致命的なまでにくしゃくしゃになってしまったであろう用紙に苦笑が漏れたものの、また新たに貰ってこればいいかと思い直し、ただ受け入れてくれた喜びをかみ締めた。

ああ、幸せとはこういうことを言うのかと。
確かになった自分の居場所に、胸のうちからあふれ出す幸せに身を浸していたのだが、それは第三者から声をかけられたことで唐突に終わりを告げた。

「……プロポーズなら余所でやってくれない?」

振り返れば、そこには論師の前に立ち、あきれたような空気を醸し出しながら腕を組んで俺達を見ているシンクが居た。
その後ろには少し困ったような笑顔を浮かべて俺達を見ている論師が居る。
どうやらどこかから戻ってきたところらしく、論師の背後には守護役達がずらりと列を成していて、先程までこの通路がほぼ無人だったのは守護役たちが論師に付いて行っていたからなのだとようやく悟った。

とりあえず執務室の扉の前に陣取ってしまったのは申し訳ないと思うが、プロポーズと揶揄されるのは気に入らなかった。
が、俺が反論しようと口を開く前にリアンがユキエさま!と声を張り上げ、俺から離れ論師へと駆け寄っていく。
そしてくしゃくしゃになった用紙を論師へと掲げた。

「僕、アッシュと一緒に住むね!」

「あら、そうなんですか。申請書は私ではなく小隊長に出してくださいね」

「はーい!」

「え、なにその同棲宣言。まさかアンタ本気で……」

仮面の下、心なしか青ざめた顔のシンクが俺を見て一歩引いている。
流石の俺でも多大な誤解を受けていることくらいはわかったので、違う!と大声で否定しておいた。

「まさかとは思うけど、あれってこんい、」

「違うといってるだろう!空き室申請書だ、俺とリアンで一室!」

シンクが言おうとしていた言葉を無理やり遮り、持っていた用紙名を言えばシンクは納得したようだった。
むしろ俺達が未だに別室で寝泊りしていたことに驚いているようだ。

「というかむしろアンタ今までどこで寝てたわけ?」

「最初に与えられたヴァンの隣の部屋だ。いい加減身の丈に合わない部屋を与えられたことも何とかしたいと思っていたからな」

そう、狭い部屋ではあるものの俺は個室を与えられていた。
階級も未だに付かない下っ端には過ぎた部屋。事実、個室を与えられているというだけで贔屓だと妬まれることは多々あった。
響長にでもならなければ個室というのは与えられないのが神託の盾の常識で、一等兵や二等兵などは大抵二人部屋から四人部屋を使用している。

「ふーん。それでフローリアンとか。まぁお互い素顔知ってるし、いいんじゃないの」

リアンの兄弟であるシンクからも賛同を得られたことにほっとしつつ、俺から同室に誘ってもらえたことを嬉々として論師に語っているリアンを見る。
自分から誘っておいてなんだが、あそこまで喜んでもらえると思っていなかったのでついつい苦笑してしまう。
腕を組んだシンクと二人を見守っていたのだが、シンクが小さな声でぽつりと呟くように俺に言った。

「自分が世間知らずで周囲を振り回しがちだって、フローリアンも自覚あるみたいでさ……色々気にしてたみたいだから、アンタから誘ってくれて良かった」

その言葉に俺は仮面の下で僅かに目を見開いた。
リアンがそんなことを思っているなどと思いもしなかったのだ。
いつも笑って、俺を振り回しているフローリアン。
あれはある意味、俺への甘えだったのかもしれない。

僅かに笑みを浮かべながらリアンと論師を見守るシンクに、どうやらシンクにとってリアンは心配な弟のような存在らしいということを察し、先程の神託の盾に入隊することを反対されたという旨のリアンの言葉を思い出す。
きっと痛くて辛いからやめておけと、リアンをとめたのはシンクなのだろうなと思った。
シンクだってリアンに傷ついて欲しくなかったから、言ったのだろう。
シンクとは短い付き合いだが、論師の影響が強いせいかその口は悪いものの、比較的身近な人間には優しい。
自分には欠片も発揮されない優しさだが、どうやらリアンはその優しさの対象らしい。

「俺に居場所をくれたのは、あいつだからな」

「そう……ま、せいぜいがんばんなよ」

「言われなくとも」

「アッシュ、貴方も中へどうぞ。ちょうど休憩に入るところでしたから、一緒にお茶にしましょう」

「ありがとうございます」

論師に誘われ、喜色満面のリアンと一緒に執務室内へと足を踏み入れる。
ふと視線が合ったので笑みを返しておけば、リアンも花が咲いたような笑顔で返してくれた。

こうして無事受け入れられたのだ。
俺の日常を彩る無垢な少年は、きっとこれからももっと日々を鮮やかにしてくれるに違いない。
預言を詠まなくても解る未来に、俺の口元は自然とほころんでいた。





不死鳥の青年と無垢なる少年の日常






ミトさまフリリク、トリトリの屋敷時代のルークの可愛いエピソードか言論のアッシュとフローリアンの可愛いエピソード。
himiさまフリリク、言論のアッシュとフローリアンでほのぼの日常話。
とのことでしたので、アッシュがフローリアンと同室を希望するお話、でした。

ほのぼのを目指して書きましたが、可愛くなってますか……?
自分じゃちょっと解らないので、ミトさまが満足していただけるかちょっと不安です。
でもアッシュの成長したところを書けて私としては満足でした。

それではミトさま、リクエストありがとうございました!

清花

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