ドーナツホール(ドーナツホール02)


「……ルビア!」

 翌朝、イオンはアルビオールに向かうパーティーメンバーを見送りに外に出ていた。
 そんなイオンに走り寄ってくる女性。アニスをはじめとしたパーティメンバーが警戒を露わにしたところで、イオンが告げた名前にジェイドとナタリアを除いた面々が顔を青くする。

「イオン様、何故このような所に!」

 雪が積もっているのにも関わらずルビアはその場に膝をつき、驚きを隠さない声でイオンを見上げている。
 とりあえず(今のところは)敵ではないだろうということで全員警戒を解いたが、これが噂のシンクの彼女かと視線が集まった。

「立って下さいルビア。貴方はもう騎士団の一員ではないのですから」
「何をおっしゃいます! イオン様は私が敬愛すべきローレライ教団の導師、膝を着くのは当然のことです!」
「しかしそれでは貴方の膝が濡れてしまいます。どうか立って下さい」
「……はい。イオン様、お代わりがないようで安心しました」

 膝が濡れてしまうから立ってくれと困ったように言うイオンに、ルビアは苦笑を浮かべながらゆっくりと立ち上がった。
 見れば彼女は私服で、雪国を歩くのに相応しくきっちりと着込んでいる。

「ルビア、何故此処へ?」
「観光です。退職金も出ましたし、暫くは一人旅を楽しもうかと……あ、あれ?」

 イオンの質問に穏やかな笑みを浮かべていたルビアは、自分の頬に手を当てて首をかしげた。
 その頬には涙が伝っているが、本人は泣いている自覚がないらしく、何で?と慌てている。

「ルビア……?」
「す、すみませんイオン様。すぐに止めますから!」

 そう言って服の袖で涙を拭っているが、涙はとめどなく溢れ出し止まる気配はない。事態に着いていけない面々はどうしたものかと成り行きを見守っていることしかできない。
 そこでふと気付いたようにアニスが呟いた。

「……もしかして、シンクのこと知ってるんじゃ」
「え?」

 アニスの呟きに反応したルビア。
 視線を向けられて慌てるアニスだったが、何か決意したらしいルークがアニスを庇うようにしてルビアに向き合う。

「その、イオンから聞いたんだ。ルビアさん、シンクの恋人だったんだろ?」
「……え?」
「気を強く持って聞いてほしい。シンクは……シンクは、地殻に落ちて死んでいった。けど直前まで俺達は闘ってて……俺達に負けたから、落ちたって言っても間違いじゃないと思う。だから……」
「あ、あの! ちょっと待ってください!」

 言葉を探すようにして視線をさ迷わせてるルークに、ルビアはストップをかけた。
 自分の言ってることが信じられないのかとルークはなおも言葉を続けようとしたが、ルビアの言葉がそれを遮る。

「私、恋人居ません。そもそもそのシンクって、誰なんですか?」

 その言葉に、今度こそ全員の顔が強張った。
 そもそも彼女の驚愕の言葉は、何故自分とシンクの関係を知っているのかという驚きではなかったのだと今更気付く。彼女はルークの言葉の意味が解らなくて、驚いていたのだ。
 張り詰めた空気の中、一番最初に復活したのはやはりジェイドだった。

「ルビア、といいましたね。貴方は六神将烈風のシンクをご存知ですか?」
「あ、はい。そりゃあ、同じ教団に居ましたし……」
「ではイオン様がレプリカだと言うことは?」
「何故それを!?」

 その反応からして、イオンがレプリカだというのは知っているのだろう。
 ジェイドは眼鏡を押し上げその疑問に答えながら、言葉を続ける。

「イオン様から直接聞いたんですよ。貴方もご存知のようですが……それはどこで知りましたか?」
「え? どこでって…………あれ?」

 何かに、罅が入った気がした。イオンは自分の胸の内に不安が広がるのを感じて、思わず胸元をぎゅっと押さえる。
 しかし目の前の会話を止めることができず、ルビアが額に手を当てながらあれ?と繰り返しているのを黙って見ていることしかできない。
 冷静さを保っているのは最早ジェイドだけだろう。ジェイドは血のように赤い瞳でルビアを見据えながら、更に言葉を続ける。

「質問を変えます。貴方は烈風のシンクが、イオン様と同じレプリカであることをご存知ですか?」
「シンク様、が、レプリカ…………ぁ、え?」

 またぼろぼろと涙がこぼれ始める。ルビアは完全にパニックに陥っていた。
 あ、え? と言葉にならない言葉を繰り返し、虚空を見つめて震えている。どんどん眉尻が下がり、顎から伝い落ちた涙は雪を溶かしていく。

「……ルビア?」

 そんな中、堪えきれずにイオンがルビアを呼んだ。大きく肩が揺れ、ルビアは涙を流したままイオンへと視線を移す。

「いおん、様……」

 ルビアの目が見開かれる。震える声でイオンを呼ぶ。
 そして、呟いた。

「……、……違う? イオン様じゃない…あれは…あれは…っ」

 いや、呟こうとした。誰かの名前を呟こうとして、思い出せない。
 頭を抱えて、脳内に浮かべる人物を思い出そうと焦燥し。

「ルビア!」

 ぷつりと糸が切れた操り人形のように力を無くし倒れるルビアを、イオンは慌てて受け止める。
 見れば瞳は閉じられていて、どう見ても意識がない。ジェイドがイオンからルビアを受け取り、簡単に診察するものの異常は見つけられない。

「ジェイド、ルビアは一体……」
「これは飽くまでも推測ですが……彼女は、暗示をかけられたのではないでしょうか」
「暗示って……俺がヴァン師匠にかけられたみたいに?」
「少し種類が違います。特定の物事に対する忘却、これも暗示の一種です。催眠術といっても良いでしょう」

 ルークの質問に答えつつ、ジェイドはルビアを抱き上げる。それを見守るイオンは不安げな表情を隠せない。
 ジェイドはそれを視界の端で確認しつつ、呆然とする面々に言い聞かせるように声を上げた。

「とにかく今は時間がありません。彼女についての討論は後でしましょう。ルビアはイオン様と一緒に知事邸で預かってもらえば安全は確保できます」

 その言葉にハッとしたメンバーは慌てて頷くと、それを見て歩き出したジェイドに続いて足を動かす。
 ジェイドに抱えられたルビアを見ていたイオンは、意識のない彼女の閉じられた瞼から一筋の涙が落ちるのを、何も言えず黙って見ていることしかできなかった。


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