ドーナツホール(ドーナツホール03)


 ルビア。
 ルークを中心とする一行にとって、彼女の印象は最初はコロコロと変わるものだった。

 アニスから話を聞いたときは、どんな女性だとおののいた。次に自分達が恨まれるのではと思ったときは血の気が引いた。
 実際に会ってみると、穏やかな笑みを浮かべる線の細い女性だった。しかし彼女はイオンの顔を見て滂沱の涙を流し、そのまま意識を手放してしまう。
 最強伝説の片鱗など欠片も見せず、儚い印象しか抱けなかった。

 そんな彼女に次に出会ったのは、ダアトでだった。なんと導師守護役に復帰したらしい。
 イオンの身体の事情を知っている人間だからと詠師トリトハイムに頼み込まれてしまったと苦笑する彼女は、以前録に話さずに倒れてしまったことをルーク達に謝罪した。

「イオン様を見ていると、懐かしい思いがこみ上げるのです」

 そう言う彼女の顔は何処までも穏やかで、少しだけ寂しげだった。シンクとの事は、未だに一つしか思い出せないとも。
 何を思い出したのかと聞けば、顔だという。イオンと同じで、違う顔が頭から離れないのだと、彼女は穏やかに笑っていた。

「不思議ですよね。確かに覚えているのに、形がない。それを照明できない、なんて」

 切ない。悲しい。
 彼方を見つめる瞳が物語る。
 皆、何も言えなかった。

 そうしてルビアとの交流を深めていったルーク達に、一つの転機が訪れた。両親を人質に取ったモースに脅され、アニスがイオンをザレッホ火山へと連れて行ったのだ。
 顔を青くしたルビアの案内で火口から火山へと侵入したルーク達が見たものは、イオンが惑星預言を詠んでいる所だった。

「やめろ、イオン! やめるんだ!」
「イオン様、おやめください!」
「聖なる焔の光は穢れし気の浄化を求め、キムラスカの音機関都市へと向かう。そこで咎とされた力を用い、救いの術を見出すだろう……」

 ルークとルビアが叫びながら倒れこむイオンを支え、ガイがモースを押さえる。しかしイオンは止めることなく、ルークのために一つの預言を詠んだ。
 ルークの手を握り締め、イオンは苦しげに口を開く。その瞳に最早力はない。

「ルーク……今のは僕があなたに送る預言。数あるあなたの未来の、一つの選択肢です。頼るのは不本意かもしれませんが……僕にはこれぐらいしか貴方に協力することができない……」
「馬鹿野郎! 今までだってたくさん協力してくれただろ! これからだって…!」

 泣きそうなルークとは裏腹に、イオンはうっすらと笑みを浮かべていた。その顔を見て悟る。
 彼は死を覚悟して、預言を詠んだのだと。その証拠だというように、彼の声は死期が近づいているというのにどこまでも穏やかだ。

 自分の代わりはたくさん居るというイオンと、そんなことはないと否定するルーク。
 ルビアは瞳に涙を溜めてそのやり取りを見ていたが、イオンがティアを呼ぶために手を伸ばしたところで意を決したようにその腕を掴んだ。
 手を取ろうとしたティアを含め、何を、と全員が目を見開く。

「貴方を……死なせはしません」

 何かを堪えているのか、はたまた怒っているのか。
 眉間に皺を寄せるルビアは涙を流しながらイオンの腕を掴んで離さない。そんなルビアの全身が、白い粒子に包まれ始めた。

「! ルーク! 今すぐ彼女から離れなさい!」

 ルビアが何をしようとしているか気付いたジェイドが珍しく慌てたように叫んだ。
 ルークは何が起こっているのか理解できないままジェイドを見て、ジェイドは慌ててルークの襟首を掴みルビアとイオンから引き剥がす。

「物凄い量の第七音素が集まっています! 乖離したいのですか!」

 ジェイドの説明を聞いてルークは慌ててその場から離れた。
 その間にもルビアは瞳を閉じ、全身のフォンスロットを開いて大量の第七音素を集め、イオンへと注いでいく。

「……ルビア、あなたは!」

 ルビアがやらんとしていることを察したイオンは驚愕に目を見開き、ジェイドもまた黙ってそれを見守っている。
 濃密すぎて、息苦しさすら感じそうなほどの第七音素。

「大佐、彼女は一体何をしようとしているのですか?」
「イオン様に第七音素を注ぎこみ、乖離を止めようとしているのです。コレだけの第七音素を集めるなど、常人にはできない筈……彼女は一体……」

 ティアの疑問に、未だに驚きを隠せないままジェイドは答えた。
 誰もが手を出せないまま、次にルビアはイオンが首からぶら下げている音叉を手に取る。
 そこに何かを書き込むように指先を動かしながら、そこに第七音素を収束させていく。

「まさか、あれを触媒にする気か……!」
「ど、どういうことなんだよ!?」
「全身のフォンスロットを開いて第七音素を集め、次にイオン様の身体に音素を注ぎ、そしてあの音叉に音素を収束させる譜陣を描いて拡散を防ぐことで第七音素が満たされた状態を維持し乖離を止める……人並みはずれた才能と、集中力と精神力が無ければできない……いや、あったとしても……どちらにしろ、人間業ではありません」

 呆然とするジェイドの説明に、ティアとルークは目を見開いてルビアを見る。
 精密な譜陣を描いているであろう指先はやがて動きを止め、イオンへと注ぎ込まれた第七音素は譜陣の効果の通り拡散することは無かった。
 乖離が止まり、イオンはルビアを見つめたまま動かない。

「ルビア!」

 肩で息をしながら額に汗を浮かべるルビアの身体が揺らめき、顔を青くしたイオンが慌ててそれを支える。
 しかしルビアはイオンから離れると、震える手で腰に差していたロッドを抜き取り、そのままぴたりとモースへと向けた。

「元大詠師モース、情報漏洩、横領、教団の私物化、脱獄、導師誘拐だけに収まらず導師殺害未遂……ここで首を跳ねられても文句はありませんね?」
「それはレプリカであろう! 本物の導師ではない!」
「元大詠師というものでありながら導師の定義をご存じないようですね……導師とは惑星預言を詠める存在。イオン様は先ほど見事に惑星預言を詠みきられた……間違いなく、教団の導師であらせられるお方です。第七音素を扱う素養すらない犯罪者風情が、いい加減その口を閉じろ、耳障りだ」

 駆け寄ろうとしていたルークたちの動きがぴたりと止まる。その顔は先ほどとは違った意味で、青い。
 敬語の取れたルビアは、どう見ても完全に堪忍袋の緒が切れていた。簡潔に言えば、切れた。

「焼き豚になるか!? イラプション!」
「ぐぁっ!」
「それとも串刺しがお好みか!? ロックブレイク!」
「ぐへっ!」
「地獄に落ちろ! ネガティブゲイト!」
「ぐぇっ!」
「貴様には鉄槌すら生ぬるいがな! リミテッド!」
「ぐふっ!」
「いっそ焼け焦げろ! サンダーブレード!」
「ごふっ!」
「いつまで立っている! 導師の御前だ、跪け、グラビディ!」

 あれだけの譜術の嵐を食らって立っていられたモースは、案外譜術防御力が高かったのかもしれない。
 どこか現実逃避気味に考えながら、無茶をしたせいで震えていたはずだというのにそれを感じさせない譜術の嵐に全員顔が引きつっている。

 最後にFOFを使って生き絶え絶えのモースをぺしゃりと潰し、ルビアは毛を逆立てた猫のようにふーっふーっと荒い息を繰り返していた。
 アニスが言っていた最強伝説が目の前で繰り広げられ、皆言葉を無くす。そんな中声を発したのは、慣れているのかはたまた天然なのか解らないイオンだった。

「そ、それくらいで……勘弁してあげませんか? モースももう動きませんし、僕も生きていますし……落ち着いてください、ね?」

 勇者だ、勇者が居る。
 何人がそんな感想を抱いたのだろう。
 しかしルビアはキッと眉尻を吊り上げ、イオンを振り返った。流れるような仕草で膝をつくルビアに、イオンの身体がびくりとはねる。

「イオン様、恐れながら申し上げます」
「あ、はい……どうぞ」
「ご自分の身体のことを理解しておいでですね? その上で惑星預言を詠もうとなされましたね? 私は以前、言ったはずです。『くれぐれもご自愛ください、貴方の身体は貴方だけのものでなく、また貴方を敬愛する信者は世界中にいらっしゃるのですから』と。そう、お教えした筈ですが?」
「……はい、覚えています」
「では理解なさっていらっしゃるのですね? 貴方がなさる事でどれだけの人が嘆き、どれだけの人が途方にくれ、どれだけの人に損害が及び、またどれだけの涙が流されるのか、理解した上でこのような選択をなされたと」

 その言葉のイオンが弾かれたように顔を上げる。
 その仕草だけでイオンは理解していなかったのだと全員が知り、ルビアは米神に青筋を浮かべた。

「導師を道を反れようとした場合、それを正すのもまた導師守護役の務め……」

 そこで言葉を切ったルビアに、イオンは冷や汗を流しながら怯えている。恐らく過去にあったことを思い出しているのだろう。
 助けを求めるように周囲を見渡すが、全員が全員サッと目をそらした。
 助けはない。お説教が始まった。

「貴方という方は……ご自分の地位と責任を理解なさってくださいと何度進言したら理解していただけるのですか!! 導師イオンは平和の象徴であり、ダアトの最高指導者であり、信者達の心の拠り所でもあり、皇帝陛下との対話ができるほどオールドラントの民に敬意を払われていらっしゃる! 導師とはそれに見合った権利を持つ代わりに、ありとあらゆる行為に地位と立場を自覚することが求められ、そして全ての言動に責任が存在するのですよ!」

 ルビアの説教は長く、それはまるで子供に言い聞かせるようなものだった。結局イオンが涙目になろうとも、モースのHPが切れようとも終わらない。
 此処では何ですから教団に帰りましょうとジェイドが提案するまで、止まることは無かった。


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