参謀総長のご飯事情(お惣菜屋〜一挙一動〜そのいち)


『主婦が抑えておくべき料理の基礎』
『作りおきのできるおかず三十選』
『冷めても美味しいお弁当のおかず』
『シェフの教える美味しい料理の秘密』

 適当にダアトの書架から引っ張り出してきた本を流し読みする。じっくりと読んではいられない。今日は非番だが、時間は効率的に使わねばならない。
 だから周囲からの視線は全部無視するし、おどおどした司書の反応も流しておく。いちいち構ってなどいられないのだ。

 美味しい。ということは、幸せなことだ。
 それを知った僕は単純な幸せを日々求めるようになった。

 それまでは食事なんて肉体を維持するための面倒な作業の一つだと思っていた。
 だから求めていたのは戦闘に向いた体を作るため、偏りすぎずそれでいて腹持ちの良い物ばかりを選んで食べていた。
 エネルギー効率ばかり考えた食事は味気なかったが、食事なんてそんなものだと思っていたし、次を求めるほどの美味しさなんて遭遇したことがなかったのだ。

 そう。美味しい、と言う感覚は知っていたのだ。ただ、好みの味、と言う程度の感覚だったけれど。
 しかしあれは違う。あれに出会ったらもう駄目だ。僕は本当の『美味しい』に出会ってしまった。
 ふいに零れる幸せの一言、もっとと次を求めてやまないあの感覚、あれを知ってしまえば今までの日々がなんと味気ないことか。

 しかし『美味しい』を知るきっかけになったクッキーは元々の量が少なかったためにすぐになくなり、紅茶もまた一杯ずつ大切に飲んでいたがそろそろ底をつきかけている。
 質より量の神託の盾の食堂では腹は満たされても当然満足などできず、故に僕は次の『美味しい』を求めて休みの度にダアトを駆けずり回る日々を送っていたのだ。
 が。一つ問題があった。そう。金だ。

 確かに僕は神託の盾騎士団第五師団師団長にして参謀総長を務める身だ。給料もそれに比例するように当然良い部類に入る。
 しかし休みの度に外食をしていては当然金の減りは早い。これは由々しき問題だった。

 更にもう一つ問題があった。外食したからといって必ず美味しいとは限らないのだ。
 食べられる程度には美味い。食堂の飯より美味い。良い物は使ってるだろうが、かといって感動するほどでもない。美味しいんだけどちょっと違う。
 とまあ店によって評価は様々だが高いからといって必ずうまいわけでもなく、おかげで僕は行き詰まりを感じていた。

 どうしたものか。『美味しい』に出会いたい。そんな風に悶々としながら紅茶を飲んでいた時、キッチンを見た僕はひらめいた。
 そう、ないなら作ればいいのだ。おあつらえ向きなことに、ここのキッチンには古今東西の料理器具が揃っているのだから。
 何で今まで思いつかなかったのか不思議でならなかった。僕が作れば一番僕好みの料理が作れる。手間はかかるが、使う金の量は減るだろう。
 そう思ったのがつい昨晩のこと。そして本日非番を迎え、僕は早速料理の基礎を再習得するために書架へとやってきたというわけである。

 僕だって馬鹿じゃない。自分で作るということは、自分の舌が満足する程度の料理の腕を僕自身が身に着けなければならないということ。
 それは勿論理解している。けれど僕の料理の腕はお世辞にも満足できるほどではない。だってヴァンから少し基礎を習っただけなのだから。
 故にこうして料理本を漁りに足を運び、神託の盾の仕事を習得する際に身に着けた速読術を持ってあらゆる料理本に目を通しているというわけである。

 パタン、と本を閉じた。周りがびくりとするが無視する。
 料理だけでなく大体の物事には常道というものがあり、それをまず抑えておけば後は反復練習のみであると僕は学んでいる。
 故にひとまず大量の本に目を通してその常道を抑えるべきと判断した僕は間違っていなかったようだと一人頷く。

 清潔に保つことの大切さ。
 料理のさしすせそ。
 基礎を理解するまでアレンジは禁物。
 和食の基本は出汁、味噌、醤油。
 味を決めるのに重要なのは量ではなく調味料の比率。
 エトセトラエトセトラ。

 とりあえずそれらを全て頭に叩き込んだ僕は読んだ本を全て元の場所に戻すと、周囲の視線を背中に感じながらさっさと書架を後にしたのだった。
 後は反復練習のみである。

 靴音の響く廊下を抜け、団員寮のある区画を目指しながら歩いているとふといい匂いが鼻を掠めた。
 食欲を誘うこの匂いは一体何なのか、少し考えてから揚げ物の匂いだと気付く。
 すん、と鼻を鳴らして匂いを嗅げば、急いで帰るつもりだったのもすっかり忘れて匂いの元を探すために動き始めていた。

 惣菜屋『一挙一動』

 辿り着いた先はそう看板を掲げた小さな店だった。
 団員寮のある町内の一角にひっそりとあったこの店を何故見つけられたかと言うと、惣菜を買った人々をたどってきたというのが真相だったりする。
 我ながら食に対するこだわりが強すぎて少し怖い。

 お持ち帰り用の小窓なのか、入り口の横にある縦横一メートル弱の木枠の中には誰もいない。
 普段はこんな店に入らない分少しだけ戸惑ったものの、好奇心に負けて木枠にガラスの嵌ったドアを恐る恐る押してみれば、ドアの内側に付けられていた鈴がちりんちりんと可愛く鳴った。

「いらっしゃいませー」

 入ってすぐ僕を出迎えたのは、軽やかな声と背の低いテーブルに所狭しと並べられたサラダ達だった。
 店の奥へと向かって伸びるそこには、わかめともずくのサラダ、シーザーサラダ、ポテトサラダ、生ハムのサラダなどなど、大きな木の器にそれぞれ盛られ、並べられている。
 そしてその隙間を埋めるようにドレッシングの入った小さな瓶と、サラダをとるためのトング、そして厚紙でできた持ち帰りようの箱が積んであった。

 左手を見ればそこは炭水化物の楽園だった。パスタ、パン、混ぜご飯。元は山と盛られていたのだろう。
 ところどころ崩れてはいるものの、たらこパスタと五目御飯が美味しそうで思わずごくりと喉を鳴らしてしまう。
 涎をたらさないよう気をつけつつ最後に右手を見れば、白い三角巾と紺のエプロンを身に着けた女性がショーケース越しに微笑ましいと言わんばかりに僕を見ていた。

「ふふ、いらっしゃいませ」
「……なにさ」
「いえ、なにも。騎士団の方々は初見は大体同じ反応をされますから」

 口元に手を当ててくすくすと笑う女性を見て、居心地の悪さを感じて思わず身じろぐ。それを誤魔化すようにショーケースの中を見れば、そこはまさしく肉と油の天国だった。
 ポークカツ、ハムカツ、チキンカツ、てんぷら、ソーセージ、から揚げエトセトラ。此処は天国か。満たされている筈の腹がぐぅ、と鳴った気がした。

「当店は初めてですよね。うちは持ち帰り専門の惣菜屋で、名前は『一挙一動』。騎士団の方々がよく利用してくださっているんです。どうぞご贔屓に」
「惣菜屋? 料理屋じゃなくて?」
「ご存知ありませんか?既に作ってある料理を販売してるんです。それぞれ値段がついているでしょう?」

 そう言われて改めてショーケースを覗き込む。なるほど、確かにポークカツが山と詰まれた皿の横に、丸みを帯びた字で小さく150ガルドと書かれていた。
 ポークカツ一つで150ガルド、高いのか安いのかよく解らない。

「ふーん、美味しいの?」
「それはもう! 自信を持ってお勧めさせていただきますよ! リピーターの騎士様もたくさんいらっしゃいますから」

 ふん、と胸を張って自慢する女性に内心どうだか、と呟く。だって騎士団は質より量だ。
 体が資本である以上仕方ないかもしれないが、味に拘る団員と言うのを僕は知らない。

「騎士団は自炊をしないやつが多いからね」
「そうらしいですね。ですが食堂より此方の方が美味しいと何度も足を運んでくださるんです。光栄なことです」

 なるほど、食堂よりはうまいのか。比較対象があるのはいいことだ。目安として解りやすい。
 彼女の言葉に納得して、ならば一つ試しに買ってみるかと改めてショーケースを覗き込む。
 どうせなら今から使えるものがいいと、少し考えてから僕の掌ほどありそうなチキンカツを選んだ。

「チキンカツを一枚ですね。ありがとうございます」

 トングでチキンカツを一枚掴み、厚紙で作られた箱に入れる。
 箱が開かないよう紐で十字にきゅっと縛って最後に『一挙一動』と書かれた小さな紙を挟みこみ、僕と店員の女性はレジへと向かった。

「140ガルドになります」

 紙袋に入れられたそれを受け取り、支払いを済ませる。
 美味しかったらまた来よう。そう決めてから、ありがとうございましたと言う元気な声を背中に僕は店を出たのだった。


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