「有希子さん、じゃがいもと人参に火が通ったようです」
「じゃあ次は玉ねぎを入れましょ」

気がつくと湯気の立つお鍋の傍で、右手にはお箸、左手には鍋のふたを持った赤井さんが佇んでいる。ありすはその異様な姿に目を丸くするが、ふたりはそれを気に留めることもなく——赤井さんはくし切りにしておいた玉ねぎを鍋に加えてかき混ぜ始めた。

「赤井さん、料理するんですか!?」
「あぁ、有希子さんに教わってな。いい気分転換になる」


「…今更ですが、本当に赤井さんですか…?」

キッチンに立つ赤井を信じられないという顔で凝視するありすに、有希子はふふふと微笑む。きっと第三者から見ると、なんてことない平和な時間。——私にとっては違和感しかないけれど。

そんな時、ふと鳴りだした携帯を確認した有希子さんは、ちょっとごめんねと部屋を出て行った。





丁寧に測られた調味料が次々と鍋に加えられていく。手持ち無沙汰となったありすがその様子をぼーっと眺めていると、赤井さんは鍋に赤ワインを加えながら口を開いた。

「ありす、これからどうするつもりだ」

「どうするって…」
突然の質問に、ありすは口ごもる。

「こうなった以上、あの家には戻れないだろう」
それはたった一言だが、赤井さんの言いたいことがすぐに解ってしまう。



安室透—— 彼は組織の人間。
あの夜、私は彼に仲間にしてくれと懇願し、彼は私の無茶な提案を受け入れててくれた。
だからこそ、何もなかったかのようにあの部屋に居続けることが難しいことに、ありすは気づいていた。彼に会ってしまったら、私は答えをださなくていけない。


「とりあえず今日は、ホテルに泊まります。その先のことは…」

今はまだ、決められない。
けれどそれを口に出すのは憚られて、ありすが目を伏せると、


「行くところがないなら、しばらくここにいればいいんじゃない?」

いつの間にか戻ってきた有希子さんが、あっけらかんとした顔で言い放った。
「こんなに心強いボディーガードはなかなかいないわよ?まあもしそれが都合がよければだけど」

「でも、ご迷惑をかける訳には…」
咄嗟に出た言葉だったが、これはありすの本心でもあった。けれど、

「そんなこと気にしないでいいのよ、だってそっちのほうが安心でしょ?」
そういって有希子さんは、赤井さんのほうに視線を向ける。
「ああ、ここは有希子さんの言葉に甘えさせていただこう。これ以上ありすを危険に晒す訳にはいかない」

何も決めていない現状では自宅以外であれば何処でも良くて…ありすが暫く迷ったのちに、よろしくお願いしますと答えると、
「そうと決まったら、お部屋を用意しなくっちゃ!ありすちゃんこっちよ!」
有希子さんは楽しそうに立ち上がった。



******



夜、ありすは工藤邸の一室で、暗闇のなかベッドへと潜り込む。

今日は色々なことがありすぎた。
脳裏に焼き付いて離れない、煤けたシボレーの映像。色褪せた世界、崩れ落ちそうな地面。
けれど私はただ創られた虚像に囚われていただけだった。
あの日幾重にも練られた策によって、赤井さんはここに生きている。


今はもう、それで十分だ。





私は今、ここにいる


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