頭と身体を洗い終え、バスタブに入浴剤を入れる。
かき混ぜると、バスタブの水が淡黄色に染まった。
「…これくらいかな?」
タブレットが溶け切ったのを確認して、湯船に浸かる。
入浴剤は濁るタイプのものだったのか、入ってしまえば身体も見えなかった。
「ふぅ…」
一息ついて、先ほどの三郎さんとのやり取りを思い出す。
正直なところ、「今更何言ってるんだ」と怒られるかと思っていた。
けれど、実際に返ってきたのは意外なもので少し驚いていた。
「(まぁ、一郎さんにこれ以上迷惑かけないようにって思ったんだろうな…)」
三郎さんにとって一郎さんは尊敬する兄であり、育ての親のような存在だ。
だからこそ、一郎さんに迷惑をかけるようなことをしたくはないのだろうと思った。
「(う、そう考えてたらすごく申し訳なくなってきた…)」
「おい、もう入ったか?」
風呂場の扉から三郎さんの声が聞こえた。
そうだ、入ったら三郎さんを呼ばないといけなかった。
「うん、今入った」
「分かった」
脱衣所で服を脱ぐ音がした後、三郎さんは風呂場に入ってきた。
自分はとっさに壁のほうを向いた。
「(…こういう時はどこを見るのが正解なんだろう)」
シャワーの音を聴きつつ、天井を眺める。
定期的に掃除しているのか、換気扇には埃がついていなかった。
ふと、三郎さんの方を見ると、バスチェアに座って身体を洗っていた。
腰にタオルが巻かれているのは、「人と風呂に入ったことがない」という自分への配慮なのだろうか。
「(三郎さん、身体大きいな…)」
山田家の人々は身長がとても高い。
三郎さんもそれに漏れず14歳という年齢にしてはかなりの高身長である。
「(自分とは大違いだ)」
自分は年齢にしては身長が低く、実年齢より幼く見られる事が多い。
体格も中性的らしく、性別を間違われることもよくある。
師匠は「成長期に十分な栄養を取れなかったから、一般的な子供と比べて成長が遅くなっているんだろう」と言っていた。
たしかに、昔は「生きる事」に精一杯で、栄養だのなんだのって考える事は一切なかった。
「…なんだよ。こっち見て」
「え、あ、ごめん。何でもない」
気が付けばじっと見てしまっていたのか、再び壁のほうを向く。
「(自分もまだ、身長を伸ばしたりできるのかな…)」
そんな事を考えていると、身体を洗い終わった三郎さんがバスタブへ入ってきた。
入る人数が増えたことによって、お湯がバスタブから溢れて出ていく。
「(三郎さん身体大きいから、もう少し端いったほうが良いかな?)」
そう思い、自分は身体をバスタブの端のほうに寄せる。
「…そこまで端いかなくても大丈夫だよ」
「そ、そう?」
「一応大きめのバスタブらしいし、昔は兄弟二人ならギリギリで入れたから」
「へぇ…(入れるか試してたんだ)」
「それより」
「ん?」
「何でずっと背中向けてるんだよ」
三郎さんはそう言って目をしかめる。
自分は先ほどから、三郎さんから見て背中を向けていた。
「だって、身体見たりとかしたら失礼かなって思って…」
「…」
「ごめん」
「謝らなくていいだろ。別に怒ってるわけじゃないし」
「うん…」
怒ってないからと言って、そちらを向いていいのかも少し迷った。
何か話せばよいのだろうか?
だとしたら何を話せばいい?
むしろ三郎さんが自分の話に乗ってくれるのか?
「(んー、どうしよう…)」
「…っ!お前っ」
「え、おぉっ!?」
両肩を掴まれ、後ろへ思い切り引き寄せられた。
「な、何っ?」
「怪我…」
「え、?」
「首の、怪我してる」
後ろから、少し焦ったような三郎さんの声が聞こえる。
たしかに、今日はいろんな場所を駆け回ったが、首を怪我した覚えはなかった。
「(もしかして、首って項の事?)あ、これは…」
「あれか、木に登った時に枝に引っ掛けたのか?」
「そうじゃなくて…これは大丈夫な奴で」
「何が大丈夫だよっ、怪我してたなら早く言えよ!」
「っ、ち、違うんだって!!」
誤解を解かなくてはと、急いで三郎さんの方を振り返る。
「これ、昔の怪我なんだ」
「…昔の?」
「うん。大分前のだし、もう塞がってるから大丈夫」
「…もっかい見せてみろ」
その言葉に通り、もう一度背を向ける。
三郎さんが項をじっと見つめる。
「たしかに、出来たばかりの傷じゃないな…」
怪我を確認し終えると、三郎さんは「はぁ…」と息をついた。
「うん。ごめん、驚かせて」
「本当だよ…でもまぁ、怪我してなくてよかったよ」
「ん?」
「何でもないっ」
そう言ってそっぽを向いてしまった。
そして、お互いが離さないまま暫くの沈黙が流れた。
「(ちょっと気まずい…)」
先ほどまで何を話すか、話していいものか悩んでいたが、そんな事を気にするなら話しかけてから色々考えればいいと考えが変わった。
むしろ、この沈黙が続いてしまうのはあまり良くなのではと感じていた。
「…そういえば、萬屋って猫探しみたいな依頼もやってるんだね」
「…まぁ「萬屋」だからね。不可能ではないものなら基本何でもやってるよ」
「へぇ」
「今日は猫だったけど、犬とか、エミューを捕まえてくれって言うときもあったし…」
「エミューって、あの大きい鳥?」
「そう」
「…(動物園からも依頼もらってるのかな)」
「信じられないって思ってるだろ」
「いや、そういうわけじゃなくて、びっくりしただけ」
「ふぅん。まぁ猫探しはよくあるから慣れてるよ」
「そうなんだ」
ふと、今日の依頼で三郎さんが立てた作戦を思い出す。
それは猫の習性と今回の捕まえる猫の癖を利用したもので、三郎さん頭の良さが伺えるものだった。
おかげで、何とか捕まえる事ができた。
「 猫追いかけたことなかったから、ちょっと大変だった」
「ははっ。たしかに、お前猫に振り回されたな」
「あはは…でも、楽しかった」
「…楽しい?」
「うん。年の近い子と一緒に走ったり、作戦立てて何かしたりって事したことなくて」
「えっ」
三郎さんを見ると、少し驚いたような表情を浮かべていた。
自分の覚えている記憶は大分曖昧で、親のことでさえギリギリ覚えているかだ。
本当は、同い年や歳の近い子と遊んでいたのかもしれない。
しかし、自分にはそれを確証できる記憶はなかった
「師匠に拾われる前の記憶がほとんどなくて。だから、今日みたいな事出来て嬉しかったというかなんというか…」
「…」
「あ、ごめんっ、依頼のこと「楽しい」とかそんなこと言ったら駄目だったよね…」
「っ、あぁ!一兄からもらった大事な依頼にそんな事言うなんて失礼だっ」
「ごめん」
「…」
再びしばしの沈黙が流れる。
今度こそ三郎さんを怒らせてしまっただろうか。
「…やる」
「えっ?」
先に沈黙を破ったのは三郎さんの方だった。
「だから、また猫探しとか、依頼来たら手伝いとして呼んでやるよ」
「三郎さん…?」
「それに、僕のボードゲームの相手もさせてやる」
「え、え?」
「なんだよ、嫌なのか?」
「ううん。そういうわけじゃなくて、頭が追いついてないっていうか…」
「…だから、一緒に遊んでやるって言ってるんだ!」
しびれを切らしたように自分を見る。
「遊ぶ…」
「まぁ、依頼は遊びじゃないけど、お前がこっち来たときは相手してやるよ」
「…いいの?」
「っ、良いから言ってるんだよっ!」
まさかそんな事を言われるとは思っておらず、目を丸くした。
けれど、次に頭に浮かんだのは「嬉しい」という言葉だった。
「うん。自分も、三郎さんともっと遊びたいし、話したい」
「っ、特別だからな…!」
「うん!ありがとう」
嬉しくて自然と笑顔がこぼれる。
気がつけば、風呂に入り始めた時に感じていた緊張も解けていた。
「…熱くなってきたから先に上がる」
「でも、三郎さんのほうが後に」
「僕はのぼせやすいんだっ」
そう言うと、バスタブから出て脱衣所へのドアに手をかけていた。
本当にのぼせかけていたのか三郎さんの耳は赤く染まっていた。
「あ、夕飯食べていくよな?」
「?」
「お前を待ってるときに、一兄が言ってたんだ「夕飯作るからあいつにも言っててくれ」って。不本意だけど、一兄が言うから仕方なく言ってるんだからな」
「でも、お風呂借りちゃってるし…悪いよ」
「…一兄の厚意が受け取れないっていうのか?」
「いや、そういうわけじゃないけど…(不本意って言ってたじゃん)」
「ならありがたく受け取れ」
「う、うん…」
「あと、駅までは僕が送ってくから」
「わ、わかった」
「じゃ、ゆっくり浸かってて」
三郎さんは脱衣所へと消えていった。
「…」
呆然と天井を見る。
一緒に風呂にいたのはちょっとした時間だったかもしれないが、三郎さんと色々話せた気がする。
"一緒に仕事した奴と風呂入って交流深めるのもなかなか良いもんだぜ?"
一郎さんの言っていた事を思い出す。
たしかに、その通りだったかもしれない。
「(三郎さんって、本当は優しいのかも)」
言葉に棘はあるけれど、そこに何か隠れている考えがある。
素直ではない、という事なのだろうか。
「(…これから知っていけるかな)」
そう思いながら、淡黄色に染まったお湯を両手で掬った。
「…おわっ!びっくりした」
「⁉︎突然入ってくるなよ低能!」
「別に家族だからいいだろ。つか顔赤いけどのぼせたのか?」
「っお前には関係ない!」
「はぁ!?兄貴に向かってその言い方はないだろ!」
「別に突っかかってこなくていいだろ!これだから低能は…」
「(…これ、いつ出られるかな)」
脱衣所で繰り広げられる二郎さんと三郎さんのやり取りを聞きつつ、自分はバスタブいっぱいに身体を伸ばした。
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