加速する愛を一から定義せよ
「ダクリスってなんなのかふたりも知らないのかい?」
「はい。わたしは初めて聞きましたね……最近のアナイクス先生の講義の中で触れられていたことなどはないですか?」
ファイノンは記憶を探る。右手が手持ち無沙汰で地面の土を指先で摘んだり、小石を転がしてみる。何か刺激があれば記憶を辿れるのではないかと思いしばらく続けてみるが効果は見られない。
「特には……そもそも先生の講義を正確に理解できているかどうかという問題にもなってくるから難しいね。キャストリスさんはどうだい?」
「はい……私も、講義の中で聞いた覚えは特に……」
「キャストリスさんがいうんだから実際初めて聞くのはそうだと思うんだよね。あと先生はなんて言ってたっけ……」
「生物、伝承……そうおっしゃっていました。すると、何か大地獣のような古代生物のことなのでしょうか?」ヒアンシーは的確に問題文を覚えているようだった。
____『私たちはどのような関係なのか。それを公表していない背景について答えよ』
「それとエフィー様が関連するということも重要なヒントな気がいたしますが……ダクリスと言いますと、古代語でダクロンの活用形に見えますから意味は……涙、でしょうか」
「涙。涙かあ。うーん、そうだな。ひとまずわかっていることはこうってことかな」
ファイノンは枯れ枝を握り、地面に情報を書いていく。
1、『ダクリス』は生物である
2、『ダクリス』には伝承がある
3、それは調べれば出てくるが現在有名ではない
4、『ダクリス』の原義は古代語の『ダクロン』=涙?
5、『ダクリス』の伝承を調べればアナイクス先生たちの関係の意味がわかる?
「わかるのは関係の意味であって、関係そのものはまた異なるよね?普通に恋人同士ってことなんだと思うんだけど」
改めて書いてみて、ファイノンは思わず首を捻った。これは何をしたいのだろうか。ヒアンシーやキャストリスも黙って文字を眺めている。
「そうですね……アナイクス先生の口ぶり的に流石に同意はありそうですし」
「先生には一蹴されているけど、僕はそこは疑いようがない気がするんだよね。恋人同士なのを隠している理由とかがあるってことなのかな……?」
「そこは考えても仕方がないことなのではないでしょうか?仮定として恋人であることを置いて考えていくことは筋道として悪くはないと思います」
「キャストリスさんの言う通りだね。まず……ダクリスについて友愛の館で調べて見ないかい?」
「いい考えです!アナイクス先生は『ダクリスという生物の伝承』とおっしゃっていましたし、タイタン伝承のあたりを探してみましょう」
「……タイタンの伝承に関わるのであれば、神話史の先生の参考文献に手がかりがあるのかもしれません……私はそちらもみてみようかと」
「いいね!じゃあそういう手筈で探してみよう」
友愛の館は膨大な書庫だ。床から天井までびっしり本が詰まっている。伝承や民俗に関連する資料にだけ絞っても、ファイノンが10人いても全てを運び出すことは不可能だろう。しかし、3人ならできるかもしれない。伝承や民俗に関わる資料はこの図書館の半分にも満たないのだから、大事なものだけを判別することさえできれば、きっと不可能ではない。得体の知れない活力が3人の眼と手とそれから脳を動かした。
書架から関連しそうな資料をかき集め、閲覧室の机に置いた。その中から一冊を手に取り開いて読んでいく。
「全然見つからないじゃないか!」
ダクリスと冠した本もなければ、それが関連する資料も見つからなかった。ファイノンは開いた本の中に顔を埋める。細かい文字を追い続けた視界は文字の形で白と黒にちかちか点滅している。このやり方で続けていくのは不可能だ。
「アナイクス先生のことですからトントン拍子にいくとは思っていませんでしたが……びっくりするほど手掛かりが見えてきませんね〜……」
「……探し方が間違えているのでしょうか?」
本棚を一つ挟んで、キャストリスが疑問を口にした。
「探し方?」
「ええ……私たちは歴史学の棚を中心にみていますが、伝承とは歴史だけではありませんから……」
「ああ、なるほど。キャストリスさんは寓話なんかのほうの伝承なんじゃないかってことかい?」
「はい。アナイクス先生は問題を作る時に嘘はおっしゃらない方です。探すのであればそちらの方も有力ではないかと……」
「いいと思います!タイタン寓話を取り上げている一群は確かまとまっていたはず。寓話集としてまとまっているものであれば目録もありますから、量の割に確認するのはそう難しくはないと思いますよ」
「あ、それなら、都市国家ごとに手分けして読んでいかないかい?主要な伝承ならどこかの都市国家の記録に残っているだろうし」
「賛成です!見つからない可能性もありますが、その場合は根本の方針から一度見直した方が良いでしょう!」
ファイノンは伏せていた身体を起こして、ぐぐっと天井に向けて拳を伸ばした。同じ姿勢を続けていたせいか、首と肩甲骨のあたりから鈍い音が響き、ヒアンシーとキャストリスは同時に顔を見合わせた。
エイジリア、オクヘイマ、パルフォス、ドロス……各都市国家の寓話集が並ぶ書架を見上げる。それはクレムノスの古城の扉と同じくらい大きく見えた。しかし、睨んでいても資料は確認したことにならない。ファイノンは一番背の高い位置にある本を一冊引っこ抜いた。
「じゃあ僕はこっちから読んでいくよ」
「はい……わたくしはこのエイジリア寓話集から読ませていただきますね」
ファイノンは3冊目を捲る。今のところ、涙もダクリスという言葉も見つからない。親指と人差し指を擦り合わせて、指紋が残っているか確認した。このまま何もないままではファイノンの指紋が先に無くなるような錯覚を覚えた。
「本当にあるのかなあ……アナイクス先生、突っ込まれるのが嫌だから嘘を言ったんじゃ……」
「そんなことはないと思いますが……でもそうですね。根を詰めすぎても意味はありませんし……でも何かが意味があると思いますよ、ダクリスという言葉には」
「そうなのかい?」
「はい。これは、わたしがまだ学生だった頃の噂ですが……その頃からエフィーたんがアナイクス先生をお慕いしているっていう噂があったんですよ」
「へえ! 実際のところは?」
「そうですねえ……。エフィーたんの噂は黒。というかどうみてもそういう恋愛感情をお持ちだと断定できたのですが、アナイクス先生は……そうですね、少し読めなくて」
「あはは、アナイクス先生らしいね」
「はい。他の教え子と違って色々なところにエフィーたんを連れ回していましたし、今はエフィーたんは2年に一度くらい樹庭を離れて過ごされますが、当時はエフィーたんもずっと樹庭にいたので、アナイクス先生の一番弟子といえばエフィーたん!という感じでしたね」
「一番弟子というのは今もそうじゃないかい? 僕はエフィーさんはアナイクス先生の同志って印象があるよ」
「そうですね、そこが違うのかも知れません。昔はアナイクス先生の前だと恋する少女みたいな表情で可愛かったんですよ。そんなエフィーたんにアナイクス先生も気づかないはずがないので、おそらくアナイクス先生もエフィーたんのことを憎からず想っている、と考えていたのですが。残念ながら当時は詰めても一切ボロは出してくれなかったんです……」
「当時はまだ恋人じゃなかったとか……?」
ヒアンシーはファイノンの声に首をすくめた。
「でもわかることもありますね。いままでのアナイクス先生ならエフィーたんとの関係は肯定しなかったはず。なにが変わったんでしょうか……」
____アナイクス先生に何があったのか。
口の中でヒアンシーが言った言葉を砂糖菓子のように舐め、舌先で繰り返してみる。目的としてはとてもふさわしい考え方であるように感じた。
「それもダクリスを知ることでわかる、ってヒアンシーさんは思っているんだね……よーし、頑張ろうかな」
席を立ち上がり、書架の一番上から新しい資料を引き出した。ヒアンシーはファイノンの背中を見送ると、隣の机に視線を向けた。無数の本で周囲をぐるりと囲み、キャストリスは目線を本に滑らせていた。
「ふふ……キャスたんはすごく集中してますね」
新たに5冊を机の杖に置いたファイノンも、ヒアンシーの言葉に釣られてキャストリスの方を見た。キャストリスの周囲だけが全て時間が止まったような気配がしていた。
「本当だ。とても頼りになるよね」
ヒアンシーも今の一冊を閉じながら深く頷いた。ファイノンは目次を確認する。紙面に人差し指を添えながら探す。そして、一行目を読み終えた時、ガタッと大きな音がした。
隣のテーブルのキャストリスが立ち上がっていた。心なしか頬が紅潮していた。
「見つけました……!ファイノン様、ヒアンシー様、こちらの『パルフォス古代寓話集』にダクリスの記述があります……!」
「本当かい!やったねキャストリスさん!」
「はい……!こちらの内容をぜひ皆さんで確認してください」
「せっかくですから、キャスたんに読み上げてもらってもいいですか?」
名案、と言わんばかりにヒアンシーの提案すると、キャストリスは一瞬たじろき、怯えるように左脚を後ろに下げた。
「図書館は広いですし、わたしたち三人しかいませんから、きっと大丈夫ですよ」
「そう、でしょうか? しかし、確かに三人で回し読みというのも時間がかかりますから……では、不肖の身ですが朗読させていただきます……」