ブルーモーメント
紙袋が座った俺の膝の上に置かれた。眠気飛ばし用の缶コーヒーを何事かと顔を上げれば、迅がいた。
「ねえ風間さん」
「なんだ、迅。おまえがわざわざプレゼントを用意するとは意外だな」
迅は俺の言葉にわかりやすく言葉を詰まらせた。いや、正しく表現するならば気まずそうに、母音を長く吐き出した。
「いや、あー、さっき、そこで環さんと太刀川さんに会ったんだけど」
紙袋の上の部分を抑えたままの手が、指先だけを奇怪な虫のように動かす。明らかに言葉に困っている迅を観察する。いつも飄々としていて弱みなど見せない男がここまで狼狽しているというのはなかなか興味深い。青い目を見ていると、やっと覚悟を決めたように俺を
「……あれさあ、どっちもメンズだよね」
「そうだな」
俺が答えると酸っぱいものでも食べたかのように顔をゆがませながら、問を重ねる。迅が何を指摘したいのかはもうわかっていたが、特に口を挟まず人の言葉を待った。
「上はわかんないけど、あのボトムってさあ……レイジさんのだよね?」
「さすがにわかるか」
「いやー、まあ、おれはそりゃ一緒に生活してるからね……。でも、さすがに、アレはちょっとさ? ちょっとヒヤッとするんだよね」
ちょっと。迅が困ったように繰り返す言葉を俺の口もなぞる。責めたわけでもないのに、迅はその言葉に申し訳なさそうに
「ストレートに聞くけど、風間さんは明らかにサイズあってない服を彼女に着せてヒヤッとしないの?」
迅の言うことが分からないわけではない、完全にわかっているかと言われれば怪しいところではある。だが、俺も環も好きでやっているわけではない。それはおそらく迅もわかっている。俺の隣に脱力したように腰を下ろす迅に紙袋をかざす。
「これはどういう意味だ?」
「……おれと環さんならレイジさん風間さんほど身長差ないな〜って思って」
だったらおまえが渡せばいいだろう、という言葉は喉に頭だけだしてから全部溶けた。これは迅なりの俺への気遣いか。手が邪魔で迅の表情は物理的に見えない。迅がなにか見たのだろう。おそらくロクなことではない。
「……不可抗力なのはわかるが複雑な気持ちだな」
「こんなところで見栄張っても意味ないから正直言うけど」
「ああ」
「……おれの服着てる環さんはみたくないな」
指の間から青い目がのぞく。「おまえにはやらないぞ」とくぎを刺す。迅にそんな度胸がないことぐらいわかっていた。あいつはやっぱり苦しそうに、だけど少し安堵したように「わかってるよ」と返した。安心してる顔が気に食わなくて、殻にしたばかりのコーヒの缶を迅に押し付けた。
「春白」
環、と呼び掛けてとっさに名字を呼ぶ。太刀川も俺に気が付いて呑気に「風間さんじゃん」と声を上げる。「いまおまえに用はない」とじゃれついてくる声を一蹴する。いっそのことここから環の手をとって連れ去ってやりたかった。迅がなにを見たのかはしらないが、ろくでもない目に遭うのなら、俺の目の届く場所にいて欲しい。
「迅からだ、大事にはしなくてもいい」
「風間さんおーぼーじゃん」
「……わかりました。まあ、各自で判断します……?」
「ああ、そうしてくれ」
名残惜しかったが、手を放す。環が嫌がるからしないが、本当は、全員にこいつは俺の恋人だと言ってしまえればどれほどいいかと思うことがある。でも、誕生日にひとりでサプライズを企てて失敗するような環のことは俺だけが知っていればいい。夜と朝にみせる無防備な首も欝血痕の残る背中も誰も見なくていい。だから、迅。服など着せてやる。おまえには一番きれいなあいつはみせてやらない。
本部から二つ角を曲がった公園で彼女を待っていた。警戒地区の公園は砂利の間に雑草が生い茂り、わずかな秋の虫の音が聞こえる。鈴とも電子音とも形容できない草むら。もう蚊はいない。季節が変わる。寒いという理由だけで手がつなげる季節。
「蒼也、寒くないの?」
不意に現れた彼女が俺の肩に何かをかぶせた。長袖のジャージ。どこかで見覚えのあるそれに、彼女が「迅のですよ」と答えた。ちゃっかり拝借はしたらしいが、思うところがないわけではないようだった。責められても困る。家に帰る時間がなかったのは、止まれなかった俺、もっとほしいと煽った環で二分される。
「寒くはないが、今日はずいぶんと青いな」
錆びたジャングルジムも草むらも地面も何もかもが、青い。青色の薄い布を被ったようなおかしな世界だった。無機質なボーダー本部すらも青く染まっている。
「ああ、今日は一段と空気が澄んでますから。秋も悪いことばっかじゃないんですよ」
俺の右手をするりと彼女の左手に絡める。恋人だと主張するように、すべての指と指を絡めた。言い逃れができないな、と笑う。
「提案なんだが、これからは俺の家にも服を置いておくのはどうだ」
「……ちゃんと洗濯してくださいね」
「ああ。わかってる」
「下着だって洗い方あるんですよ、知ってました?」
「脱がす専門だから知らないな」
ばか。照れ隠しの言葉。ぎゅうと強く手が握られる。かわいいな、と言ってもよかったが、やめた。本当にかわいい顔をしていたから。隠したくてキスをしてやろうか、と一瞬考えた。それもやめた。家に帰ってふたりきりになってからぐずぐずになるまであまやかしてやる。嫌だといってもずっと。
環がすきそうな、きれいな映画のような、神様に祝福された時間は過ごせない。だが、神様にもおまえの肉親にも渡せない。悪いな、口からひとつも悪びれていない言葉が出る。けれもおまえがそれを咎めないことを、俺は知っている。
恋人の左手はすこしだけ、汗をかいていた。嫌ということは全くない。いっそのこと、それすら愛おしいと思えた。生きていて、俺と歩幅を合わせて、同じ帰り道を踏みしめている。つくづく俺らしくないとは思うが、これがいい、と口が勝手に告げるのだから仕方ない。
21.09.24