今日の続きで会いましょう
「こんばんはー、恵ちゃんいます?」
この扉を勢いよくあけるのも少しだけ久しぶりだ。身体の指先から足の先までわたしの思いどおりに動くことについての感傷もそこそこにわたしは「恵ちゃん!」と呼ぶ。わたしの目には、目をまんまるに見開いたかわいい後輩の姿だけ。
深夜1時ちょっとすぎ。普通の高校生なら補導されかねない東京の繁華街を悠々と歩き、東京の外れにも程がある呪術高専の寮へ帰ってきた。心配症なかわいいかわいい後輩を思って真っ先に、男子寮のドアを開けたわたしに、あろうことか恵ちゃんはため息を遣した。ショックというよりもあまりのドライな対応に呼吸すら忘れて、ほわほわと白いあたたかな湯気を上げるマグカップを呷る恵ちゃんを見つめる。恵ちゃんのだすズズズという音だけが不格好にも寮の廊下に残念な感じで響く。そして恵ちゃんはそのままスタスタとわたしに背を向けていく。ちょっと? えっ、それだけ?
「恵ちゃん!? ねぇ、ちょっと……ああもうっ、お邪魔します」
そうひとり宣言するみたいに叫んで、わたしは履いていたローファーを玄関で脱ぎ捨てた。黒のハイソックスに冬の冷たい床はちょっとだけ、冷たかった。
わたしは焦っていた、とても。恵ちゃんの部屋の場所なんて言うまでもなく知っている。何回も遊びに通っているので、恵ちゃんにどんなに遅れて行こうが問題なんてない。けれど、ひとつ難点があるとすれば恵ちゃんがわたしを締め出すこと。まぁ正直なところは恵ちゃんに締め出されようとも、悟からマスターキーをぶんどればいいし、悟が渋るようならわたしの術式の出番だ。
わたしの術式、時空操作というやつはざっくりと言えば『タイムトラベル』が可能になるもの。僅か数分違いの座標への時間移動なんかはテレポートに見えるし、そういうブラフも貼れて便利なのだ。……まぁ、呪いを前にしたときのわたしの戦闘スタイルはタイムトラベルと天と地、月とすっぽんなみにかけ離れているんだけども。右手にふれたものを過去へ左でふれたものを未来へ、それぞれの座標へおくれば、あら不思議、ばっらばらの呪いの死骸。……よくを言えば、わたしはもっと素敵な術式が良かった。棘の呪言とか、憂太のハイスペックとか、ああいう。まぁ、わたしの1番お気に入りの術式はもちろん恵ちゃん。
そんなことを考えてまた頬が緩む。恵ちゃんに会えたし、術式は使うのはやめておこう。なによりも『日常生活では時空操作は使わない』って、恵ちゃんと約束したしなぁ。そのままわたしは角に差し掛かって、コーナーで勝負を挑もうと腰を低く、最短距離で突っ切ろうと、した。
「うっわぁ、あぶね! ……え、よるさん、なんで?」
「あー、ごめんね。ありがと、悠仁。さすがの反射神経だね」
悠仁は角から飛び出してきたわたしを間一髪のところで避けた。まさかこんな時間に人が出てくるとは、そう思っているのはわたしだけじゃなかったらしい。悠仁は目をまんまるに見開いたのもひとまたたきだけで、次の瞬間、悠仁はわたしに手を出してくれる。ありがと、とその手に甘えて立ち上がる。いつも部屋に篭りがちなわたしの貧弱な手より、ひとまわりかふたまわりも大きな手を思わず観察してしまう。ひとつしか違わないけれど、ちゃんと男の子の手、だ。
「なんでここに? 寮、間違えてません?」
「恵ちゃんに会いに来たの」
あー、と聞くんじゃなかったみたいな相槌が返ってくる。悠仁にすら恵ちゃんの話をするとこれだ。パンダとか真希なんて塩と砂糖を間違えてしまったみたいな顔をする。棘だって「チョコ……」とか呟く。絶対それおにぎりの具じゃない。
「ねぇ悠仁、今度ラーメンとか奢るから恵ちゃん呼んでくれない?」
ついうっかり悠仁の善良さにつけこんでそんな言葉が溢れる。恵ちゃんのあの態度を見てしまうとやっぱり、わたしでも寂しいし怖いのだ。恋人じゃないからなおさら。うーん、と悠仁は唸りながら先輩命令なら……と顔を立てようとする。命令、っていうかこれは。
「どっちかというと命令よか『お願い』かな……って、痛った……」
「よるさんは誰でも口説くんですね、それより、用件はなんですか」
あまりに突然頭の上に降ってきた痛みに、その場にしゃがむ。恵ちゃんは涼しい顔して「虎杖、さっさと部屋戻れ」なんてのたまう。ねぇ、先輩にげんこつを落とすってなに?かわいい恵ちゃんなら許すけどすごく、痛い。口説くなんて、生まれてこの方一度だって縁もない言葉なのに。
今日だって恵ちゃんが逃げるから追いかけただけなのに。
「恵ちゃん、せめてグーじゃなくてチョップがいい……」
「よるさん、大丈夫っすか?」
うわごとのように呟いたわたしの顔を悠仁が覗き込むと、さっきと同じように手を差し伸べてくれる。けれど、その手をとるよりさきにふわりと身体が浮く。え、と突然のことに全ての思考がフリーズする。えっ、いま、なにが起こってるの?
「虎杖、俺はこの人連れて部屋に戻るから。早く寝ろよ」
すぐ近くで恵ちゃんの声がする。視界には恵ちゃんの背中。……つまりわたしはいま恵ちゃんの肩に抱えられているということ? 大工が木材とかを肩に担ぐのと同じ体勢だと頭の中で情報が結びつく。恵ちゃん、と呼んた声はかすれてしまった。当然ながらそれは聞こえないから反応はなし。
「めーぐーみちゃん!恥ずかしいから下ろして!」
ムキになって恵ちゃんに叫ぶ。いくら歳がひとつ上でも男の子の力には敵わないし、さすがにここから落ちるのはごめんだ。平和に床に足を付けたい。足が床の硬さと冷たさを欲している。足をばたつかせて、騒いで、わたしがどんなに暴れようとも恵ちゃんはうんともすんとも返してくれない。
「俺はいつまで、恵『ちゃん』なんですか」
その言葉はわたしの弱いところをつきりと刺して、足の動きを止めてしまう。黒いシャツの背中をぎゅっと握って、うん、と返す。答えになってないけれど、それでも。
着きましたよ、とか、力を込めるときによっこいしょとか間抜けな声をかけることもなく、床が足につく。
「任務が終わったあとの二日間、全然連絡取れなかったのはなんでですか」
「ごめんね」
曖昧に笑う。ちょっとタイムトラベルで遠くに行っちゃって、それはただの言い訳だから、それも全部煮詰めた笑みを恵ちゃんに捧げた。恵ちゃんは謝って欲しいわけじゃないから、わたしを信用できないみたいにぎゅっと小さく蹲る。ウニみたいに刺々しいしてるけど柔らかな髪をそっと梳く。
「勝手に、どっか行かないでください」
「うん。恵ちゃんに真っ先に会いにいく」
絶対ですよ、と小さく蹲ったまま恵ちゃんが念を押してくる。子供扱いもやめてください。いつもアンタはそうやって。次から次へと溢れてやまない文句を聞く。恵ちゃんの弱さを見せてくれるのが嬉しいって言ったら見せてくれない気がするけど、恵ちゃんかわいいね、と揶揄う。やめてください、っていう割に恵ちゃんはわたしの髪を梳くのをやめさせない。
「じゃあ誓ってください。アンタのかわいい後輩が望んでるんだから」
ゆっくり顔を上げて、恵ちゃんはわたしを見る。全部見透かされたみたいなその瞳にわたしが映っている。ねぇ、恵ちゃん。すきだよ。
「いーよ、じゃあ。小指出して」
「小学生ですか。ほんとよるさんってキャラブレ激しいですよね」
「いいじゃない、ほら」
ゆびきりげんまんうそついたら、針千本のーます。
「恵ちゃん、絶対にわたしの座標を解いてね」
一方的な愛の呪いをわたしは吐き出した。ゆっくりと夜は更けていく。今はまだ、周りは暗いけれど数時間後にはオレンジに光り輝くことを、わたしは覚えている。
19.12.05