誘惑のスイートタイム
朝起きたらよるさんがいた。
寝起きの頭はうまく働いていないが、俺の部屋にいるかどうかだけを確認する。本棚のラインナップ、電気の消えた照明、すこしくすんだ白い壁、ハンガーにかかった俺の黒い高専のジャケットとスラックス、トレンカ。間違いなく俺の部屋だ。
「よるさん、朝から人の部屋で何してくれてんですか」
「え、わたしって今部屋にいるだけじゃない?」
「いや、自分の部屋に戻ってくださいよ」
部屋にいるだけ、という割には彼女の手元には昨夜俺が途中までよんでいた文庫がある。机の上に置いてあったやつだ。
床に座り込んでいるよるさんは黙った俺にこてん、と首を傾げる。よるさんは着替えていないのか、はたまたわざわざ着替えてから来たのか。ともかく、よるさんは高専の制服を着たままで影と同化していて、薄気味悪い。
朝起きたらなぜかよるさんが部屋にいる。というのは初めてではない。
おそらく今日も『深夜の任務に呼ばれて、終えたはいいものの自室まで帰るのが面倒で部屋にきた』ってとこだろう。いつもそうだし。はぁ、とため息をついて布団から身体をのろのろと持ち上げる。お世辞にも朝には強くはない頭はあっという間に思考を放棄した。
♢
「恵ちゃんさー、いつも実話系しか読まないけど、テレビでやってるようなドキュメンタリー見るの?」
突然の問いに瞬きを数回する。「ほら、北極の動物の子供の独り立ち〜みたいな」という言葉でああ、と曖昧に頷く。それよりもどう着替えるかが問題だと思う。よるさんがここで着替えるわけじゃないし、別にそういうことに過剰に反応もしない人だったことを思い出して、黒いスウェットの裾に手をかける。
ちょうどこちらを向いていたらしいよるさんは珍しく顔をちょっと硬ばらせると、くるりと背中を向けた。一応一言は断っておくべきだっただろうか。いつも遠慮しないよるさんの自業自得なのでちょっといい気味だとか思ってしまう。
「わたし一回部屋出た方がいい?恵ちゃん気にならない?」
「ぶっちゃけいてもいなくても大差ないんで、よるさんの好きにしてください」
「そっか。じゃあ部屋にいる」
俺の言葉を聞くまで緊張したように、すこし背中を伸ばしたよるさんは、俺の回答を聴くと本に視線を戻す。こちらを振り向かなさそうなので、今のうちにトレンカとスラックスを履いてしまおうと彼女を意識から外した。
♢
「ね、恵ちゃん一緒に一限サボろうよ」
「五条先生がめんどくさいです」
「面倒ならサボろ」
「いや……よるさんは日下部先生でしょ」
「いいじゃない」
まとわりつくよるさんにため息をつく。着替え終わりましたよ。と言った途端これだ。本当に困る。
「なにするんですか、サボって」
「恵ちゃん乗り気じゃん。ドキュメンタリーでも見る?いっそのことどっか遠くにいく?」
ノープランだよ、と楽しそうに笑うよるさんの頬に俺は手を伸ばす。みょん、と左右に引っ張って溜飲を下げる。両方のほおをさすすって俺を見上げるよるさんに「この間貸した本返してください」と言ってやる。
「ねぇ、色気って知ってる?恵ちゃん」
「そんなの付き合うようになってから言ってくださいよ」
何回も告白を交わしたくせに。よるさんの痛いところをつけば、よるさんは両手を上げて「降参」と笑った。
20.02.17