難しい言葉も心もいらないの
「ハ〜……。伏黒、息抜きしようぜ」
へにゃり、と虎杖が力なくテーブルに潰れる。狭いテーブルは虎杖が倒れるせいで少し揺れ、釘崎がむ、と口を尖らせる。
「ちょっと、虎杖。はじめてから15分も経ってないわよ。進研ゼミだって『1日15分!』って銘打ってるのよ」
「なんで釘崎が答えんの?」
「別に私が答えたってなんらおかしいことはないでしょ」
「オマエらうるせぇ」
はぁ、と大きく吐いた息がiPadにかかって、白く画面を曇らせる。制服の袖を引っ張ってその曇りを拭いて、ここにはいない五条先生を恨んだ。
今後のため。それを強調するように、五条先生は『自分たちで遠距離出張のスケジュールをたててみよう!』と笑ったのがついさっき。視界に映る余白の白さえも五条先生の飄々とした顔があたまによぎるから腹ただしいことこの上ない。
「せめて虎杖、オマエも時刻表ぐらい調べておけよ。いちいち調べんのめんどくせぇだろ」
「練習つってたし、いっかなって……あ。これまずいの?」
いまいち状況を理解し切れていない虎杖に顔が歪む。抑えることが不可避だったのだ、誰も俺を責められないだろう。
五条先生は遠距離出張、確かにそういった。現状、iPadで検索しているのは関東近郊。どちらかというと東京から近い方。大袈裟に遠距離出張というほど、遠方じゃないのを見るにこれは次に俺たちに割り振られる任務。はたまた、最悪、五条先生の担当の任務。どっちにしても僅かな油断で俺たちが痛い目に遭う。そんなのはこちらから願い下げだ。考えたくもない。
はぁ、と額に手を押し付ける。釘崎は薄々勘付いているような素振りは見えるが、虎杖のこの能天気さにはどうしたものか。
「あれ、恵ちゃん以外に悠仁も野薔薇もいるじゃん。どしたの」
「……よるさん。いまこの部屋暖房つけてるんで、早くドア閉めてください」
それもそうね、とよるさんが小さく頷いてドアを閉める。外からの冷たい空気が顔に当たると少しさっぱりもしたし、そろそろ換気もすることを考えておこう。すこし脱線して、今後の予定を考える俺の隣によるさんがすとん、と腰を下ろす。そのままこちらに身を乗り出してくるので、よるさんの方にすこしiPadの位置をずらした。
「これなに? いまの一年こんなことしてるの?」
iPadに表示された情報にざっと視線を通したよるさんが、困惑したように俺に問う。そんなこと俺に聞かないでほしい。
「五条先生からの課題です。ここまでのルートとかその他諸々の手配、それから確認。」
「ええ……。わたしたち去年こんなんやらなかったよ。担任は悟だったけど」
「あんのクソ目隠し……」
「野薔薇……お口が悪いわよ。なによりも悟はクソじゃなくてクズだし」
よるさんの言葉で、逆サイドから地獄の底から聞こえてきそうな声で釘崎が唸る。五条先生、女子からの評判ここまで散々なのはすこし同情を覚える。絶対に言わない。言ったら面倒臭いことになるのは、五条先生を知っている人の共通認識だろうと思う。
「んー、でもこれ大変だね」
「大変だじゃねぇ」
「恵ちゃんもお口悪いよ。わたし、よるさん」
あはは、と楽しいそうな声を上げるよるさんにじっとりとした視線をお見舞いしてやる。そんな俺が面白いとでもいうかのように、よるさんが俺の頰を突いてくる。やめろ、と手を払うが火に油を注ぐ結果になってる気はする。ぐりぐりと突っついてくるよるさんから逃れようとしていると、じっとこちらを見る虎杖と視線が合う。見てないで助けろよ。
「ずっと思ってんだけどさ、よるさんと伏黒って……なんなの」
「は?」
「いや、なんか……付き合ってんのかなって」
冷静になれば虎杖は7、8月あたりの2ヶ月間死んでいた……いや、この表現もいろいろものもしたいところがある。あるが、それは五条先生にぶつけるしかない。よるさんと一番縁が薄いのも虎杖だ。
「わたしと恵ちゃんは付き合ってないよ」
よるさんが俺の肩を掴んだままで飄々と言いのける。確かに俺たちは付き合ってない、そう言い返すしかないのもわかっている。いるが、釈然としない。
「なに言ってんのよ。いっつもいちゃこらしてるからよるさんと伏黒。もう他所でやってくださいよ」
「いちゃついてねぇって言ってんだろ」
「いまアンタに聞いてないから」
事実を言っただけで釘崎に一蹴された。
俺たちの間にあるのは付き合うとかそうじゃにとかそういうものじゃない。残念ながらそうじゃない。俺は単純な感情だけでいいと思う。でも、それはよるさんの美学に反するようで、俺たちは宙ぶらりんでいる。それだけだ。
「わたしは恵ちゃんのこと大事だけどね」
「……俺もよるさんは大事ですけど」
離れるよるさんの熱が惜しくてそう小さく呟く。よるさんはちょっと目を見開いたあと、困ったように笑う。そうなるのもわかっていたから、俺の声は拗ねたような声音で、自分が情けなくなる。
「ほら、ほっとくとすぐこれよ」
「なんていうか、伏黒ってそんな顔したんだな……」
「どんな顔だよ」
肩から手を離したよるさんが「結構表情豊かだよね」と俺の顔を覗き込んでくる。……たしかに、よるさんの瞳に映んだ俺は、穏やかな表情をしていた。
20.02.20