金星の検体


 三ツ谷くんの視線はずっと下に落ちていた。わたしが彼の額をそっと拭う。ぴくりと指が動いて、視線がわたしまで上がる。
「…………大寿君ってどんな人?」
 言葉を選ぼうとして、結局、選びあぐねたような声。彼はわかりやすく失敗した、という顔をした。ごめん、なんでもない。それだけを期待したけど、彼は唇を動かさない。
「わたしに聞いてどうするの」
「幼馴染、なんだろ? 白樺とよく似てるし、マジで仲良かったんじゃねえのかなって」

 三ツ谷くんにとってなんでもなかったんだろう。わたしはもう、どうすればいいのかわからなくなった。銀色、その奥にある龍を思う。視線だけをこめかみに送る。青痣。銀色。黒。
「三ツ谷くんはどうしてドラケンくんと同じ刺青があるの?」
「いや、それいま必要?」
「それとおんなじことだよ。わたしとアイツは、なんでもないの。ただ、わたしが」
 わたしが。
 声が消える。わたしが、わたしは。
 三ツ谷くんが目を大きく見開くのが見えた。見えた、っていうにはあまりにも世界は霞んでいたけれど、でも、三ツ谷くんは驚いていた、目の奥が熱い。
「ルイ」
 戸惑った声だった。涙が重力に従って落下する。傷に落ちたら痛くなっちゃう。もう誰に何を言おうとしているのかすらわからなくなってしまった。

 ああ、たすけて、大寿。ひとりで声を殺して泣いたって大寿は来てくれない、わかってる。でも助けてって言える相手をアンタ以外知らない。優しくて不器用でわたしを傷つける、世界で一番愛しい手を他に知らない。アンタ今どこにいるの?ねえひとりでさみしくないの?まるで自分のことみたいに痛いよ。
 わたしは掠れた声で大寿の名前をなぞる。
 目の前にいるのは年下の男の子で、でも三ツ谷隆だった。
 八戒の世界を塗り替えて、ユズハの隠し事をちゃんと暴けて、今日は大寿に啖呵を切った。彼になるためにわたしは何をすればいいだろう。何をするべきたった?全部諦めて来世に期待しろって、冷静なわたし吐き捨てる。ああ、だめだよ、三ツ谷くん戸惑ってるじゃない。涙だってさびしさだって苦しさだって、全部どこかに流せるのに。いつもできてることじゃない。嗚咽を噛み殺す。
「ちょっと、まって、もう、終わるから、大丈夫、すぐ、平気」
「泣いてていーよ。……でもコレでお互い様な」
「ばかじゃないの」
「ルイって泣けたんだな、ちょっと安心した」
鼻を啜って、三ツ谷くんの顔を見た。ちょっと笑ってる。人が苦しんでるってのに。でも、痛々しい傷をたくさんこさえてた顔と、安心しきった笑みのコントラストは悪くなかった。

 ぼろぼろの右手がわたしの頬を包む。沁みるよ、って言ったら確かに、って頷かれた。ばかだなあ。いつもしっかりしてる三ツ谷くんの雑なところに、影響されて、いつのまにかわたしも笑ってた。
 手のひらがあったかいのか、わたしが冷えているのかはわからない。でも、寒くはなかった。口の中を湿らせてから、ゆっくり言葉を見繕う。
「……大寿が、すきなの。アイツがわたしの手をとってくれたあの日から、ずっと、ずっと、ずっと、すきなの」
三ツ谷くんが僅かに目を見張って呟く。
「男の趣味悪りぃな」
「うっさい。わかってることいわないでよ、でも、今更、どうしようもないじゃない」
 好きになっちゃったんだから。指を三ツ谷くんのこめかみまで滑らせる。三ツ谷くんにとってのドラケンくんと同じだよ。今更、変える術がない。だって、わたしはアイツに会ってはじめて白樺ルイになれたんだから。

 雪に埋まっても、桜が全部散っても、夏の海が嫌いでも、秋の間、気道に酸素が詰まって、うまく呼吸ができなくっても、わたしをわたしにしたのは、大寿だった。愛を知らなければよかったなんて、わたしは言えない。例えどんなおどろおどろしい色だったとしても、それは愛だよ。
「だから、ありがとう。ユズハと八戒だけじゃなくて、大寿も救ってくれてありがとう。わたしじゃ、できなかったことだから」
「大寿君も八戒もユズハも救ったのはオレじゃねえよ」
「そもそも、八戒の暴力を止めてくれなきゃ今日はなかった」
「違うって。ルイ、オマエだって八戒とユズハの力になってたよ。オマエがいたから、昨日まで何も起こんなかったんだ」

 キスが出来そうなぐらいわたし達の顔は近くなっていた。囁くように、三ツ谷くんはわたしを励ます。わかってないなあ、と思う。
「わたしは何もしてない。昨日があった時点で、今までなんか全部、意味なくなっちゃう」
「あーも、頑固だな!それでもオレの力だけじゃないし、そういうのはタケミっちに言えって!」

 おにーちゃん?したったらずなかわいい声でわたし達はピタリと静止する。三ツ谷くんが振り返った瞬間に、わたし達は手を離す。おにーちゃん、ともう一回ルナが呼んで、んん、と目を擦りながらこちらに歩いてくる。
「マナがルナの布団とった」
「あー、寝相悪りぃもんな。しょーがねえからオレの布団で2人仲良く寝てろ」
「……ルイちゃん?なんで泣いてるの」
涙の跡をルナの手がぺたぺたと触れる。跡をなぞるような感傷に浸った動きじゃなくて、純粋な好奇心。
「あ、ルイちゃんも悪い夢みちゃったんだ。しかたないからルナが一緒にねてあげる!」
 わたしの手を引っ張るルナは、こどもらしくあったかかった。ああ、懐かしいなあ。大寿も、ユズハも、こんなだった。
「あはは、そーだな。じゃあ泣いてるルイちゃん挟んで4人で寝るかあ」
「三ツ谷くん?」
「ルナマナの布団もくっ付ければギリギリいけんだろ。あと4人でくっつけば寒くもねえだろ、な、ルナ?」
 眠たそうな目は、この時だけキラキラと光って綺麗だった。夢の中みたいにふわふわできれいで、ただひたすら暖かい。
 三ツ谷くん、マナ、ルナ、わたし。みんな隙間なくくっついて、熱を共有した。ルナはわたしの耳元で「もうルイちゃん泣かなくていいよ」って内緒話をしてくれた。ルナがいるからね。ありがとう、って笑った時に、一瞬涙が布団に向かって落ちて、ルナが心配そうな声をあげる。
「ルナ、だいじょーぶ。ルイちゃん泣き止ますのはお兄ちゃんに任せとけ」
 三ツ谷くんの人差し指がわたしの目尻を擦る。目があって、薄い水色は、ふっと緩む。ルナもマナもみんな同じ色。
 三ツ谷くんはルイ、と呼んだ。ピカピカの呼び名。許可も何もないけど、やめてなんて言えない。あまりにも心臓を掴んでやめない音だったから。

 オレの前では泣いていいって。泣くのはいやだよ。なんで?だって、わたしはあなたより年上なんだから。年とか今カンケーねーよ。わたしが、あなたにずっと甘えたら、あなたが泣ける場所はなくなっちゃうでしょ。

 ばかだなあ、今日何度目かの言葉にわたしは笑ってやった。わたしの言葉うつってるじゃん。目を細めた時にまた涙が溢れて言ったけど、それでいい。ばかでいいよ。わたしたちふたりずっとばかでいよう。

21.07.18