1
春崎容(はるさきよう)はいつもの調子でダイナミクスバーでプレイ相手を探していた。大昔は特殊性癖とされていた被虐や嗜虐はやがて性別として認識された。ダイナミクスと呼ばれるこの性別区分によると人はUsual、Dom、Sub、Switchの四系統に分類される。Usualは一般的な人。Domは支配願望の強い傾向にあり、Subは従順でありたい傾向にある。SwitchはDomとSub両方の特徴を併せ持つ。ダイナミクスがマイノリティであるDom、Sub、Switchは定期的にプレイを行うことで精神状態を良好に保てるという。
春崎容はSub性が強く、頻繁にプレイをしないと体調が保てない男だった。体調を保つ薬も試したがあまり効かず、結局こういうところで日々のプレイ相手を見繕う生活をしている。
こんなことでは特定のパートナーなどきっと作れないだろうと、春崎はどこかで諦めていた。
今日の相手を探しているが、顔見知りは今日は誰も相手をしてくれそうにない。久しぶりに新規開拓が必要だろうか。春崎はそう思いながら辺りをざっと見回した。ふと店員に声をかけられる。
「ハルちゃん、貴方を呼んでる人がいるけど、知り合い?」
ドア付近を手で示されてその男を見る。身長はやや高め、服の上からだと身体付きは普通、髪型はショートでスッキリめの黒髪、顔がなんだかボンクラっぽそうな、いや、木訥として優しそうな顔つきである。
「知らないけど呼んでるなら行ってくる」
春崎はその男に近寄った。男もこちらを見る。
「えっと貴方が春崎容さん?」
「うん、そうだよ。おにいさんの名前は?」
「八田壮真(はったそうま)、です。その、不躾かもしれないが貴方とプレイをしたくて」
薄々わかっていたけれどプレイのお誘いである。春崎としては渡りに船、遠慮なく乗らせてもらう。
「助かるー。今日誰も捕まらなくてさ、ホテルでいい?」
「あ、ああ」
八田壮真という男は曖昧に了承した。春崎はバーの会計をすると壮真と店を出る。
「八田、壮真……壮真って呼んでもいい?」
「うん、いい、が……」
「何歳?」
「二十五歳」
「年下だー、おれ二十七」
ま、誤差範囲でしょ、と春崎は言う。
よく行くラブホテルの部屋に着いてベッドの前で春崎と壮真は向かい合う。木訥で優しそうに見えたその顔が密室では急にうすら怖く感じた。
「セーフワード『赤』でいい?」
「いい、いいんだが……」
「どしたの」
「俺はコマンドが重いらしいんだ。その、本当にプレイしても大丈夫だろうか」
壮真が言う。ここまで来て躊躇うのかよ、と思ったがそういうことを言う機会を与えなかったのは春崎自身なので壮真の不安を尊重する。
「心配なんだね。おれはコマンドが重いってよくわからないからプレイしてみたい。泣いちゃったらごめんだけど」
「ん、うん、頼む、頼みます」
「じゃあ」
「おすわり」
どんなプレイが好み? と聞く前に壮真がコマンドを出した。その言葉に膝が床に付き、腰が落ちる。従おうと頭が動くまでもなく従わされるコマンドだった。コマンドが引力を伴って強引に従わせてくる。拒否を許さぬような重さ。コマンドが重いというのはこういうことかと思い知らされる。
その重力が春崎には心地よくさえあった。今までプレイした人達とは違う、抗いがたいコマンドの力。絶対的に自分を支配してくれそうな安心感。
「いい子だ」
頭を撫でられる。褒められて春崎は嬉しくなる。SubとしてDomのコマンドに従えることは大きな喜びである。にやけて壮真を見上げると彼の不安そうな目とかち合った。
「俺のコマンドはこんな感じなんだ。気分は悪くないか?」
「気持ちいい。続けてほしい」
「えっと、これ以上プレイをしたことがなくて、何したらいいか……」
まじかコイツ、と春崎は思わないでもなかったがコマンドに重みを感じるのは初体験なので、今までのプレイ相手はこれに耐えられなかったのかと思えばそこそこ納得出来た。壮真が春崎の手を取って立たせる。春崎は自分の両頬を叩いてぼんやりした脳に活を入れた。
「ものは試しでコマンドを出したわけね。何をしたらいいかわからないなら、導入編として三つプレイのパターンを挙げるよ。一つはセックス、プレイではよくやるものなので慣れておくと便利。もう一つは筋トレ、負荷を掛けてそれを達成すると褒めるというオーソドックスなプレイが可能だよ。最後に餌付け、相手に手ずから食べさせることによって庇護欲や支配欲を満たせるプレイ。どれがいい?」
春崎が説明すると壮真は難しそうに眉間にシワを寄せた。壮真が言う。
「春崎さんはどれがしたい?」
「セックス」
春崎がすぐに答える。プレイでのセックスが春崎には一番都合がいい。
「初めて会ったDomとするんだぞ?」
「男とするのが無理なら他でもいいけれど、初めてでも二度目でもおれはセックスを推奨するよ」
「そ、そうなのか」
壮真が唖然として言った。考えるように自分の手で自分の顎を撫でた後、決心したように言う。
「じゃあ、セックスしよう」
「オーケー、ありがとね。シャワー浴びてくる」
「ああ」
そうして、交代でシャワーを浴びた。セックスの準備を済ませた二人はベッドの上に乗る。春崎はシャツは着ているがズボンは脱いでいる。壮真は上下を着ている状態だ。ベッドサイドにはパウチ型のローションとコンドームのパックが置いてある。
「おいで」
壮真が抱き締めるために手を広げてコマンドを言う。春崎はそのコマンドの引力のままに壮真のすぐそばまで来た。こんな他愛のないコマンドでも壮真が言うとズシリと重い。壮真に抱き締められる。
「いい子だ。どうされたい? 言って」
「すぐに、そのちんぽを中にいれてほしい。我慢したくない。いっぱいアナルの奥を突いてほしい」
春崎は恥ずかしそうに言った。春崎には普段、直接的な言葉を言うことに羞恥心はない。ただ、壮真の前でそんな言葉を使うのは堪らなく恥ずかしく感じた。いつもは「言わせたいってことは恥ずかしい言葉を使うと喜ぶんだろう」程度の認識でいたコマンドが今日は酷く羞恥心を煽る。
壮真はやや呆気にとられた様子だったがすぐに春崎を誉めちぎった。
「ちゃんと言えて偉いな。いっぱい気持ちよくなろう」
壮真はベッドサイドからコンドームを取るとズボンのジッパーをおろして自分のそれに装着する。パウチ型のローションの封を開けてローションを塗りつける。
「春崎さん、見せてほしい。春崎さんのアナルを」
春崎はそう言われて四つ這いになって腰を上げる。慣れていないSubならやらないだろうが、春崎は尻たぶを両手で広げて壮真に恥ずかしいところを晒した。顔がじんわりと熱い。こんなことを恥ずかしいとは思えない程度には擦れていると思っていた自分が今はウブに頬を染めている。
「恥ずかしいならそんなに無理しなくて大丈夫だよ、セーフワードも使っていいから」
後ろから落ち着かせるようにシャツ越しに背中を撫でて壮真が言う。慣れていない人に言うような優しい言葉が逆に春崎の気持ちを乱した。相手の要望に的確に応えられていない。そんな不安が春崎を支配する。こんなに満たしてくれる人に応えられないことが何よりも恐ろしい。
「できる。できるから。応えられるから。なんでもなんでもするから」
そんな言葉が春崎の口から出てきた。春崎は普段こんな風にすがったり、なんでもするなんて確約できないことを言ったりしない。
「春崎さん、大丈夫か?」
「やめないで。続けて。ちゃんと、やるから、指示して。なんでも、大丈夫、だから」
不安感が螺旋を下るような恐ろしさ。頭の中がくるくると回って恐怖を隠せない。
「春崎さんはちゃんと応えてくれた。心配しなくてもしっかりできている」
明らかにケアの言葉だ。Sub dropしかけていたのかと春崎も気づく。
「うぁ、ごめん。……ありがと」
春崎が壮真に振り返って言う。壮真が不安そうな顔をした。
「やめるか?」
「続けたい、だめ?」
春崎はだめぇ? と若干語尾を伸ばして媚びた言い方をしてみる。春崎はビッチで通っているのもあってこの手の媚び方には多少覚えがある。壮真には普通に効いたようでちょっと照れたように笑った。壮真は春崎のアナルにコンドームを着けた先端をあてがった。
「お尻持たなくていいから、手はベッドについて。セーフワードはちゃんと言えるな?」
「うん、嫌な時は言うよ」
春崎は尻たぶを広げていた手を離し、ベッドに手を付く。「嫌な時はセーフワードを言う」という約束に安心したように壮真のそれがゆっくりと入ってくる。春崎はその圧迫感に喜びを感じた。欲しかったものが与えられる。
「あ、ああん、は、ああ、っあん」
わざとらしく喘ぐと壮真は背後から春崎の腹を布越しにさすった。ぞわりと中が蠕動する。優しくひと撫でされて、中が嬉しそうに反応しているのを春崎は感じた。
「どこが好きなんだ? 気持ちいいところを教えて」
耳元で壮真が低く囁く。それだけで中がおかしくなりそうだった。
気持ち良くなりたいわけではない。自分はいいから相手がよくなってくれないと困る、と春崎は思った。何故困るのか。いつもは、頻繁に誘いたいから不興を買いたくないのであり、今はここまでの満足感を与えてくれる人を逃がしたくないから。
「奥、突かれるの好き」
こういう時の体のいい言い訳を述べる。壮真は訝しげに言った。
「本当か。こことか好きそうなのに」
壮真の腰が動いて、春崎の中のいいところにそれが当たる。それだけでイきそうだった。簡単にイきたくない。
「あ、や、すきすきすき、そこ、やだ! やっ」
「嫌なのか好きなのかわからない。ちゃんと言って」
「すきぃ、すき」
重いコマンドは自白剤みたいなものだ。本音を引きずり出してしまう。
「今度はちゃんと気持ちいいところ言えたな。えらいぞ」
そう言って壮真はそこに性器を押し付け、小刻みに動く。春崎は褒められて頭がバカになりそうだった。中を責められるのもあり得ないくらい気持ちいい。春崎はシーツを強く掴んで耐えようとする。壮真の腰使いにただただ翻弄されるが、壮真を性的に満足させることなくイくのは不本意だ。
「そ、ま、一緒にイこ。一人、は、やだ。あっんん、お願……」
「うん、気持ちいいな。イっていいよ。ずっとここグリグリしてやるから」
優しくそう言われて意図が掴めない。思考の鈍った頭は絶頂を許可されたことしか理解できなかった。「イっていい」という重い許可のコマンドに抗えず、春崎は深く絶頂に達した。春崎の精液がシーツを汚す。
ヒクリヒクリと中がうごめく。壮真は春崎の気持ちいいところを突くのを止めない。イったばかりの身体はそのじわじわ続く快感におかしくなりそうだ。
「あ、あっ、やば、これ、だめ、ぇ」
「痛い? 苦しい?」
「気持ちいっ、戻れな、っ〜〜〜〜〜!!」
春崎の萎えたそれが潮を噴いた。あまりの快楽に涙がじわりとにじむ。壮真が中で達した。ゴム越しに震えて射精するそれが愛おしい。
「春崎さん、ちゃんと気持ちよくなってお利口さんだったな」
中からそれを抜きながら壮真が春崎を撫でた。春崎はぼんやりとした気持ちよさから戻ってこられない。壮真に身体を起こされて、壮真の膝に座らされて頬やこめかみや頭を撫でられる。壮真を眺めるが言葉が頭に入ってこない。ただ笑顔で労われているのはわかる。春崎の顔にもにへらと笑みが浮かぶ。Sub spaceに入ったことは誰の目にも明らかだ。
「よかった。春崎さん、ありがとう。嬉しい」
ぼんやりと聴覚が戻ってくる。壮真の声は優しい。
「そうま……すごくよかった」
言いながら恥ずかしくなった。どんなに嬉しくてもまだ一晩の間柄である。お互いをよく知らず、相手はこちらを名字にさん付けで呼んでくる。心の距離は遠い。それなのに浮かれてしまったことが恥ずかしかった。
春崎は壮真の膝から退く。ベッドから降りて壮真と向かい合った。
「そういえば、壮真はおれのことを何で知ったの?」
春崎が聞く。壮真は言いづらそうに視線を反らした。
「Dom専用のプレイクラブでいつも指名している人に『もう無理だから来ないでほしい。ヤりたいなら春崎容とでもヤってきてよ』と言われて……」
「おれ誰とでもヤるビッチで通ってるからねぇ」
「春崎さんが俺を受け入れてくれてよかった」
壮真が急に真っ直ぐ春崎を見た。春崎はむず痒くなる。それなりに嬉しいけれど、そのひたむきさに照れてしまう。こういう時にどう言うのが正しいのかも分からない。ただまた次があればいいと思った。
「壮真、またしようね」
春崎が言うと壮真は笑ってうなずいた。
連絡先を交換して、二人はホテルを後にした。春崎はすぐに連絡する。
「今度いつ会える?」
すぐには既読は付かない。既読は一日ほど経ってから付き、それから一時間ほどで連絡が返ってきた。
「また金曜日の夜にいいですか」
なんで敬語なんだろうとは一瞬思ったが、それ以上に嬉しさが強く飛び上がるほど喜んで食い気味に連絡を返す。うちに来ないか聞くと了承を得られた。
春崎は今まで部屋にプレイ相手を上げたことはない。部屋に上げるとなると散らかった部屋を片付けなければならないのも多少の重荷だった。
「ちゃんと片付けしておこ」
春崎は独り言を言って部屋の掃除を始めた。
日は進み、本日は金曜日である。壮真とプレイをしてからの一週間を春崎はSubとしての欲求が出ることのないまま過ごせた。気持ちのコンディションもよく、仕事も生活も楽しく送ることができた。壮真の重いコマンドが春崎のSub性を満足させていることは間違いない。春崎はお互いに特定のプレイ相手がいないうちはこの関係を続けたかった。壮真にいつか自分くらい相性の良い人が見つかるかもしれない。そうなった時に春崎は自分が選ばれるようには考えられなかった。
普通のSubと公衆便所があだ名のSubが居て後者を選べるのって使い捨てられるSubがほしいおかしな奴だけだろ、と、春崎は思う。壮真が今後ハードなプレイに目覚めたらまた話は変わるかもしれないが。
夜に最寄り駅で壮真と落ち合い、春崎は自身の住まいに案内する。壮真は部屋に入ってから言う。
「チョコ好きか?」
「好きか嫌いかで言ったらまあ好きだけど」
「よかった。これ買ってきたんだ」
壮真がキレイな包装の小箱を取り出した。チョコレートである。そういえば今はバレンタインシーズンであると春崎は思い至る。
「あ、ありがと……」
「待ってくれ」
急に壮真がコマンドを使う。春崎はビクッと止まった。壮真は驚いた顔をする。コマンドを使った自覚がなかったようだ。それでも壮真はちゃんと褒める言葉を言った。
「待てていい子だな。これ、俺が食べさせたいんだ。いいよな?」
「うん」
急に始まってしまったプレイに、それでもうっとりしながら春崎は返した。
春崎の部屋のソファに壮真が座る。手にはチョコレートが丁寧に包装された箱。壮真のすぐそばに春崎はいる。
「春崎さん、俺の膝に横向きに座って」
壮真のコマンドはズシリと重い。春崎は急に座らないように耐えながらゆっくり壮真の膝に座った。
「お利口さん。俺に負担のないようにゆっくり座ってくれたんだな」
壮真が右手で春崎の顎を撫でる。猫みたいに撫でられて春崎はふふと笑った。褒められるのも撫でられるのも嬉しい。
壮真がチョコの箱の中身を見せる。小箱には縦二段、横三列、計六個のチョコがあった。
「どれが食べたい? 選んでくれ」
コマンドが柔らかく発せられる。柔らかく言われてもその重たさに変化はない。一番食べたいモノが何か分からず春崎は手を握りしめて焦りを逃がす。応えられないのが一番怖い。
「えっと、……右上」
でまかせにそう言うと壮真が頭を撫でた。それから右上のチョコを取り出す。
「そうか。ちゃんと言えたから、ご褒美あげないとな」
ちゃんと出来たことが春崎にはなにより嬉しい。壮真のコマンドに応えられていることに喜びを感じる。
「口を開けて、食べて。ゆっくりな」
壮真にそう言われて口を開ける。舌にチョコレートを乗せられて口を閉じた。甘い。溶けていくチョコレートをゆっくり味わう。それはコマンドでありながらご褒美であった。
「美味しい?」
壮真の聞く顔が前よりも柔らかい。優しい。嬉しい。思考がバラける。ちゃんと考えられない。
「おいし……」
壮真を見つめながら感想を口にする。壮真が春崎のこめかみを撫でた。
「嬉しいよ。気持ちよくなれたか?」
「うん……」
「もう一つ食べる?」
「わ、」
わかんない。食べても食べなくてもいい。ただただ幸せが続いている。
「わからなくてもいいよ。いい子に出来たな」
質問に答えられなくても、壮真は春崎にお仕置きをするという気持ちが湧かないらしい。褒めて優しく躾をされる。
「春崎さん、こっちに寄りかかって、力抜いて平気だから」
そう言われて、春崎はずいぶん身体が重いことに気づく。実際は壮真の「こっちに寄りかかって」というコマンドが重いのだが、壮真に身を預けると、かなり楽になった。壮真に抱きついて、身を任せる。
「よしよし。ちゃんと出来たな。えらいぞ」
壮真は春崎の背中を撫でて、それから春崎を抱き締める。春崎はSub space中になされるコマンドにぼんやり応えながらさらに深いSub spaceに引き込まれていく。気持ちよさだけがそこにあって何も恐れはないように感じられた。
春崎の意識が浮上するまで壮真は春崎を撫でていた。春崎は意識がぐっと浮上した瞬間、自分の体勢に驚いて小さく跳ねた。
「うわっ」
壮真はとっさに春崎が床に落ちないように強く抱き締めたが、ゆっくりと不安そうに手を緩める。春崎は動揺しながらも壮真にしがみつき直して言った。
「え、こんなくっついてたっけ?」
「Sub spaceに入ってからもコマンドを言い続けてたからこういう体勢にさせてしまった。その、嫌なら悪かった」
「い、嫌じゃないけどぉ?」
壮真の思わぬ物言いに春崎がフォローを入れつつ状況を把握する。春崎は壮真に抱き付いたまま言葉を続けた。
「すごく気持ちよかったよ」
「よかった。春崎さんが気持ちいいと嬉しい」
壮真の笑顔を見ながら春崎は思う。ここからセックスに持っていけないかなぁと。壮真はやりきった顔をしているので春崎のSub space後にセックスをする気はなさそうだ。春崎自身もセックスを強く所望しているわけではないが壮真に物理的に気持ちよくなってほしいとは思っている。
「壮真、あのさ、セックスしない?」
「セックス込みのプレイか?」
「うん」
「やっぱりセックスは好き合った人とする方がいいと思うんだ」
「あ? おれ壮真のこと好きなのに壮真は違うの?」
これ、好きな相手に言われたら嬉しいけれど嫌いな相手だったらすごく言われたくない言葉だな、と春崎自身は思いながら言う。今のところ他のプレイ相手がいない壮真が春崎から離れられないことを見越しての発言ではある。壮真は渋い顔をした。嫌か。
「そういうの嬉しくなっちゃうだろ」
壮真が怒ったように言う。嬉しい時の顔じゃない。どういう感情なの。
「好きなのに何がダメなの? こんな好きなのに?」
好き好き言ったら耐えきれずに壮真がにやける。なんだ嬉しいのか、と春崎は思った。壮真は春崎の口を手で押さえて言った。
「春崎さんは嘘でも相手が喜びそうなこと言うからダメだ」
その言葉は確かにその通りだった。当たっているだけにそこそこ頭に来た。嘘でも相手の喜びそうなことを言うのがなんで悪いのかという憤りもある。春崎は壮真の手をはね除ける。壮真を睨んで言った。
「はぁー? ムカつく」
もとからキレイなままで済むようなもんじゃねぇだろ。と、春崎は思う。
確かにセックスは相手が喜びそうなことだと思ったから春崎は言った。大抵のプレイ相手は喜んでセックスに興じたし、あんまり辛いプレイにならないことが多かったから春崎としても楽だった。目の前の壮真はそういうのが嫌だと言う。壮真は春崎が当然の慣習のように壮真自身には合わない気の使い方をしたのが嫌だったのかと春崎は解釈した。
壮真を睨んでいた目を反らす。
「……ごめんなさい」
すねた子どもみたいな声が出た。春崎はそんな自分にマジかと思う。気を取り直して春崎は言い足した。
「好きなのは本当だからね」
「わかったから」
「照れんなよ。好きなの、わかる? 大好きなの」
「やめ、やめろ、やめてください」
壮真は言う。言いながら、どうしても顔がにやついてしまうらしい。嬉しそうにするくせに止める壮真を春崎はかわいいと思う。たとえ無自覚に壮真から禁止のコマンドが出てしまってしばらく「好き」と言えなくても、であった。
決まって金曜日の夜、二人でプレイすることが続いた。好調だった。春崎は満足感の高いプレイと調子のいい日々を過ごしていた。
二人がプレイを始めて一ヶ月ほど経った金曜日、珍しく壮真にプレイの予定をずらされた。土曜日の夜に会うことになり、いつも空けてくれていた金曜日を他で埋められたことに春崎は不安感がある。その不安感はSub性の欲求をひどく刺激した。金曜日をやり過ごすことができれば土曜日には会える。それはわかっていた。その金曜日の夜、どうしてもプレイをしないことに我慢できなかった。どうせ、付き合ってもいないし、お互いをプレイのパートナーだと明言もしていない。土曜が永遠に来ないようにすら思えた。だから、以前、足しげく通っていたダイナミクスバーへと赴いてしまった。
その場しのぎでもいいからと、プレイ相手を探す。店員も知り合いも皆「久しぶりだね」と声を掛けた。その中で見知ったDomが春崎に言う。
「特定の相手を見つけたんだと思ってたよ」
そのDomの名前を春崎は必死に思い出そうとした。顔は覚えている。名前とどんなプレイをする男だったかが思い出せない。どうせ、こいつとするかもしれないのに名前が出てこないのはダメだ。
「そうなりそうな人はいるよ」
「なら、こんなところに来ていいの?」
そのDomに煽られていた。怒りも、プレイに対する欲求も。ただ、春崎はその手の嘲笑に笑って返せなかった。以前のように露悪的になれない。わざわざプレイ相手すら貶めるように誰彼構わずプレイに興ずるビッチの仕草をするのが急に怖くなった。何故、怖いのか。一人の人をちゃんとパートナーにしたくなったから。その人に恥じることをしたくないから。
「帰る」
「ハルちゃん冗談だよ。気を悪くしないで」
春崎は腰を引き寄せられて驚いた。こんなありがちな接触に驚く自分に更に動揺してしまう。
「春崎さん!」
そこに壮真が声を掛けた。春崎の手を取る。もしかしてDom二人に取り合いにされるのか。それは恥ずかしいからやめてほしいと春崎はちょっと思った。
「壮真、なんでいるの」
春崎はまずその疑問を問う。壮真が答えた。
「ここにいるかもって聞いて……」
「誰に?」
「以前プレイしてもらってたそういうお店の指名してた人に」
「なんでおれのこと知ってるのその人、ホントに何?」
壮真にことの次第を詳しく聞きたいけれど腰に巻き付く名前の思い出せないDomが邪魔だった。
「なんだよお前」
そのDomが壮真を睨みながらGlareを出す。春崎はDomの男の、自分の腰を掴んでいる手を払いのけようと叩いた。別にDomからしたら怖くもないだろうが春崎は凄んで言う。
「帰るっつってるよな?」
そのDomの名前は思い出せないがプレイはどうも薄っぺらかったのは思い出した。言葉責めが好きで、コマンドがペラペラで、こういう時のGlareも効いているのかいないのかわからないぼんやりしたものだった。
そのDomが手を離す。
「こんなところでGlareなんて出すな」
壮真が苦い顔をして言う。ほんと、他にもSubはいるんだから、と春崎は思ったあと、壮真に取られている方の手で壮真のその腕を軽くつねった。名状しがたいが、ムカついたので。壮真が痛みに手を離すと、フォローも兼ねてその肩に手を置いて言う。
「帰ろっか」
結局、そのDomの名前を思い出せなかった。お店を出て春崎の住まいに壮真と二人で行く。春崎は壮真のことが頭に来ていた。Glareを出されてやり返さなかった壮真に苛立っていた。別に正式なパートナーでもないし仕方ないんだけれど、普通に腹立つなコイツ。と、春崎は思っていた。その気持ちが、プレイをしていないことと直前のGlareと相まって意識を混濁させていく。春崎自身はそれに気付いていない。
部屋に入る頃にはふらついていた。
「春崎さん? なんか、変じゃないか? Sub dropしてないか?」
異変に気付いた壮真が春崎を支えてソファに座らせる。春崎は壮真を睨んだ。
「壮真は、おれのことどうでもいいんでしょ。ずっと他人行儀だし」
「なんでそんな風に言うんだ」
「事実でしょ」
「俺は春崎さんのこと好きだよ」
「公衆便所なんか好きになる人いない」
「やっぱり気分が悪いんだな。そんなこと言い出すなんて、今ケアするから」
「いらんいらん。帰る。かえ、帰れるか……ら」
呂律がおかしい。目の焦点が合わない。
「ここ春崎さんの部屋だよ」
「じゃあ壮真が出ろよぉ……」
「嫌ならセーフワードを」
「……」
「俺は春崎さんが大切なんだ。こんなに愛おしい。俺のためによく頑張ってくれてる」
言われたケアの言葉にじんわりと春崎の気持ちが和らぐ。春崎の思考が明瞭になり、自分の言い分が子どもじみていると感じた。壮真は春崎を心配そうに見つめる。
「壮真、怒っていいよ。一人でバーに行ってごめん」
春崎が壮真に視線を合わせた。謝ると壮真が言う。
「それを言ったら俺は前に行ってたDom専門のプレイクラブのいつも指名してた人に会いに行ってたぞ」
「はあ? ぶん殴りたい」
春崎は若干のイラつきを示す。壮真が返した。
「殴りたいよな。ちゃんとそういう時に殴れるように、付き合ってほしいんだ。こういう約束してなかっただろ」
「うん、付き合う」
「……よかった」
壮真が安心したように言った。春崎は付き合えた余韻もなく詰問する。
「で、いつも指名してた人に会いに行ってたってなに?」
「春崎さんのことで相談をしに行ってた。その、恋愛相談なんだが……」
壮真の言葉に春崎は急にその人のことが可哀想になった。恋愛相談って友人のものでも迷惑な時だってあるというのに。
「それはその人もいい迷惑だろうがよ。何相談してたの」
「春崎さんがちゃんと満足できているか不安で」
そんなこと相談してたのか、と春崎は呆れる。それでもその手の不安も理解できた。春崎がプレイ毎にSub spaceに入っていても、今まではそんなことが出来なかったという過去が壮真を苦しめるのだろう。
「はぁ? ……まあ壮真コマンドくそ重いもんな。……もしかしてそのくそ重いコマンドのせいで友達いない?」
「そうだ」
壮真はコマンドが意図しないところで発動するから、友人付き合いも大変だったことだろうと春崎は思った。友達いないから本職の人に業務外のことをさせるくらい不安だったなんて、ちょっと笑える程度には可哀想だ。
「かわいそう……それで以前指名してた人しか頼れないなんて哀れすぎ」
「春崎さんと付き合えたからいいよ」
「それなんだけど」
と、春崎が言ってソファから立ち上がった。そして言葉を続ける。
「付き合うなら見せておくものがあるよ。びっくりするかもしれないけれど」
そう言って春崎はシャツを脱いだ。上半身には無数の傷ややけどの痕がある。
「おれはSubとしての欲求が強くて、前は誰とでもヤってた。でもそういうSubは結局普通のDomからは忌避されるから、やりたいプレイをSubに受け入れてもらえないDomしか相手してくれないんだよね。だから、こういうことばっかりしてたんだ……」
Subとしての本能はなんでも喜んでしまう。コマンドに応えられるのが嬉しくて仕方ない。でも身体は傷だらけになる。春崎にとってこれらの傷は引け目ではないけれどびっくりされることが多いのでこの上半身はそういうDomにしか見せたことがない。
この傷まで受け入れてもらえなければ壮真とは付き合えない。
「萎えた?」
春崎が壮真に聞く。壮真は顔をしかめて言った。
「普通に痛そうだな。……もっとちゃんと大切にしたいと思ったよ」
壮真が優しく春崎を抱き締める。春崎は茶化した。
「やさしーじゃん」
その語尾が少し震えて泣いているみたいだった。その日、春崎と壮真はお互いを一番大切な人にしあった。
- 1 -
*前次#
ページ: